令和のスピリチュアルな意味

野山

平成が終わり令和(れいわ)になりましたね。

令の意味は「よい」「美しい」、和は「なごむ」という意味。

美しく平和な時代になると願ってます。

令和は史上初めて国内で作られた文献「万葉集」から選ばれたということでも話題になりました。今までの元号は確認できる限りでは中国の文献から採用されていたのです。

これは単に出典元の本が違うという簡単な問題ではありません。今までは外国の教えや考えを自分たちの時代の名前にしていたのです。

でも今回は日本人の考え方や感性が時代の名前として映し出されたことになります。

確かに令和のもとになった令月という熟語は古代中国で作られた熟語ですし、元になった詩は日本人が書いたもの漢文の形になっています。でもそれは外国から伝わった知識を自分たちにピッタリ合う形に作り変えている途中の時代のものなのです。

新しい知識や技術を取り入れて、自分たちに合った形にアレンジするのは日本人は得意です。それが1300年も前から行われていたことの証明にもなります。

そんな日本的な名前を持つ元号の時代がやって来ました。

令和という時代は失われつつあった日本らしさを再認識する時代なのかもしれません。いえ、期待も込めて失われつつ合った日本らしさが再評価される時代が来たと言ってしまいましょう。

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見直される日本らしさ

日本らしさとはなんでしょうか?文化・芸術・技術様々な分野で日本らしさはあります。でも今見直されているのは日本人らしい心だと思います。

というのもその兆しがあったからです。平成が終わりに近づくにつれてその動きは大きくなっているように感じられます。

数年前にパワースポットがブームになりました。今はブームとしての過熱ぶりは収まり人々に馴染んでしまっているようにすらかんじられます。宗教や信仰に興味のない人でも、普通にパワースポットに出かけることは珍しくありません。

信仰心の高い方からみると「ご利益主義じゃないか」と眉をひそめる人もいるかも知れません。でも以前なら見向きもされなかった神社仏閣にも注目が集まるようになりました。

確かにきっかけはご利益かもしれません。でも「なぜそこに行けばご利益があるの」という小さな疑問がその奥にある深い歴史や心にふれるきっかけになるのですね。

そして足底にある日本人の心に触れれば生き方の道標になるかもしれません。

日本人らしい心とは感謝と謙虚さ

古代日本人は自然の中で暮らしていました。日本だけでなく原始時代はどこでもそうです。私達人間は自然の中で暮らし、自然に生かされている想いをもって生きていました。自然そのものが神様だった時代です。

現在は神社に行けば名前のついた神様がいます。でも古代には神様には名前はありませんでしたし、平安時代や江戸時代になっても名前はよくわからないけどとにかくそこにいらっしゃる神様はありました。

日本人にはそんなよくわからない神様でも受け入れるおおらかさがあったのです。

自然そのものが神様だった時代は、その日が無事に生きられるだけで感謝でした。食料が手に入れば感謝、子供が生まれれば感謝です。

でも自然は恵みを与えてくれる一方で災害ももたらします。

自然は優しいだけでなく怖い存在でもあったのです。

だから古代の日本人は神様に感謝するとともに怖れ敬いの心を持っていました。

神様は目に見えません。自然現象という現象はあっても神様そのものは見えません。でも自然の営みに神様の意思を感じて感謝と怖れと敬いの心をもって生きていたのです。

でも現代の日本人は自然に対して感謝も恐れも敬いを持っている人はどのくらいいるでしょうか。
まして現代の日本人は神様に対して感謝も恐れも敬いもありません。

神様というと宗教の問題のように考えがちです。でもどの宗教も関係ありません。
神様と書きましたが呼び方は何でもいいのです。

周囲の”もの”に謙虚な心をもつという生き方の問題なのです。

あなたはこの世界で生かされている。
さまざまな人やできごとの関わりの中で生きている。
それを「縁」という人もいますし「和」と考える人もいるでしょう。どちらも大切なことです。

怖れというと悪いもののように思うかもしれません。でも人には怖れがあるからこそ平和が保たれているのです。怖いものがなくなると人は欲望のまま行動して人を傷つけ奪います。

怖がりすぎるのも問題ですが、人が社会の中で生きていくためにはある程度の怖れも必要なのです。

敬いの心は謙虚さそのものです。相手に対して偉そうにしない。仕事がうまくいっても相手が良かったから、助けてくれる人がいたから。と考えれば偉ぶることもありません。自分の力や能力を過信して偉そうにしていたら、そのうち周囲の人々から見放されます。

過信と自信は違うのです。自信は自分を信じると同時に周囲への配慮も忘れません。過信は全てが自分のおかげだと考えます。でも過信で築いた地位や財産は、崩れるときは早いです。それまで親しくしていた人も一気に離れていきます。

それはあなた自信に魅力があったからではなく、あなたの財産や地位が目当ての人ばかりが集まっていたからです。

令和はこころの時代を見直すきっかけ

人間はそうした目に見えない不思議な力に守られて生きています。たとえうまくいかない事があっても、今は何かが足りないのかもしれません。将来のためにひつようなものかもしれません。どこか過去の自分に原因が合ったのかもしれません。

そういう謙虚な心があれば、今を乗り越える原動力にもなりますし、改善する意欲にもなります。

損得を気にしすぎたり、目に見えるものだけに価値を持って生きていると周囲への謙虚な心は失われます。都合の悪いことは人のせいにしてしまいます。でもそれではなにも変わりません。人のせいにしてもあなたの環境が良くなるわけではありません。悪意が悪意を呼びますます生きづらくなります。

でもいま一度、大昔の日本人がもってた謙虚さで周囲に感謝と恐れと敬いの心を持って生きてはどうでしょうか。

令和の時代はそんな生き方を見直すきっかけになるかもしれません。

 

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