久我神社 伏見の賀茂社?の由緒と境内案内

鳥居

上賀茂・下神神社から離れた伏見に賀茂社ゆかりの神社があります。

それは伏見区久我にある久我神社(こがじんじゃ)。

北区にも同じ字を書く久我神社(くがじんじゃ)があります。鎮座する場所はかなり離れていますがどちらも賀茂神社と同じ神様をお祀りしているのです。

どうして賀茂神社から離れた場所に賀茂神社の御祭神をお祀りした神社があるのでしょうか?不思議に思ったので久我神社に行ってきました。

久我神社が鎮座するのは京都市伏見区の鴨川と桂川が合流するあたり。桂川の西側にある久我(こが)という地域です。住宅街の中の細道を歩くと石灯籠があります。

石灯籠

ここから神社はすぐ近くです。

木々に囲まれひっそりとたたずんでいます。緑の木々に囲まれた朱色の鳥居がきれいですね。

「式内久我神社」と書かれています。

式内社とは平安時代に作られた延喜式神名帳という神社の各付け表に載っている神社のこと。当時は「久何神社」と書いていたようです。式内社だと少なくとも平安時代から存在する神社の証明になります。京都でも歴史の古い神社なのです。

鳥居

 

木々に囲まれた静かな参道を歩きます。新緑や夏の緑が生い茂った時期に来ると緑のトンネルです。こじんまりとした境内ですが雰囲気がいいですね。

本殿に行く途中に大手川という小さな川があります。本殿の前に流れる川は結界の役目をします。小さな橋がかかっていますね。森乃そり橋というそうです。

橋

湾曲した太鼓橋のようになってます。社殿の前にある湾曲した橋は神橋といって、原則として神様が渡る橋です。なのでわざと人間が渡りにくいように湾曲した形になっているといわれます。天上と地上を結ぶ虹をイメージしているともいいます。下鴨神社の神橋だと本当に傾斜がきつくて普段は人は渡れません。

久我神社ではこの橋は参道を兼ねているので勾配は緩やかで人間が往来できるようになっています。ここから神域に入るという心構えをするための橋でもあるんですよ。

この橋をわたれば拝殿です。

 

目次

久我神社の社殿

割拝殿

拝殿の真ん中に道(馬道:めどう)がある、割拝殿という形式の拝殿ですね。馬が通れるようになっているんですね。伏見区にはこの形式の拝殿がいくつもあります。

その奥には本殿があります。三間社流造という作りです。現在の本殿は江戸時代の天明4年(1784年)に建てられたもの。播磨の大工、宗右衛門と利兵衛が中心になって造ったそうです。

本殿

由緒

京都市内でも古い神社と言われますがいつごろできたのかは不明。

平安時代の延長5年(927年)に作られた延喜式神名帳に「久何神社」と名前があります。平安時代前期より前は久何神社という名前だったのでしょう。つまり10世紀の初期には既にあったのです。

神社の由緒書によると。もともと久我神社の場所は古代豪族の久我氏の氏神がお祀りされていたといいます。でも、あとからやって来た賀茂氏にとって変わられたようなんですね。平安京ができる前の大昔には古代豪族の聖地だったのかもしれませんね。

平安時代中期以降になると村上源氏がこの地域に別荘を作り久我家を名乗ります。その久我家とは別のようです。

由緒書には「長岡京時代には北東の守護として崇敬された」と書かれています。でも位置的には長岡京の北東というよりも東になるんですけど。どうなんでしょうか?鬼門信仰はもうちょっと後、平安時代からのような気もします。

 

久我神社の御祭神

建角身命(たけつぬ の みこと)
玉依比売命(たまよりひめ)
別雷命(わけいかづち の みこと)

建角身命は下鴨神社の御祭神・賀茂建角身命と同じ。古代の京都を開拓した賀茂一族の氏神です。
玉依比売命は賀茂建角身命です。下鴨神社の御祭神です。
別雷命は上賀茂神社の御祭神・賀茂別雷命と同じ。玉依比売命の息子。

つまり賀茂ファミリーがお祀りされているんですね。これらの神様は各地の賀茂・加茂神社でお祀りされています。賀茂一族が移住した場所か賀茂一族と関係のある場所が多いようです。

 

御祭神の謎

つまり。賀茂神社と同じ神様が14kmも離れた場所に鎮座している理由は。

久我にも賀茂一族がいたから」それか「賀茂氏の領地だったから」ということなんでしょうね。

賀茂一族は古代には大和(奈良)の葛城に住んでいましたが、一部が山城国に移住したといわれています。

神武天皇が大和に来るとき八咫烏が道案内をしました。この八咫烏は賀茂建角身命のことです。

山城国風土記逸文によると賀茂建角身命は神武天皇を案内した後、大和国から山城国にやって来ました。次のようなルートで山城に移住しました。

1「山代国(山城国)の岡田の賀茂」。
2「葛野川(桂川)と賀茂河(鴨川)との会う所」。
3「久我の国の北の山基」。

このうち2に当たる場所が京都市伏見区の久我神社です。

他の2つ
1は木津川市の岡田鴨神社
3は京都市北区の久我神社
です。

それぞれが賀茂一族が移り住んだ場所なんでしょうね。

摂社末社

歯神社

歯神社

鳥居の手前にある末社。
名前の通り、歯のご利益があるそうです。

御祭神:天神立命(あめのかむだち の みこと)

賀茂氏が来る前にこの地を支配していた久我氏の氏神なのです。

でもなんと、天神立命は邇邇芸命(ににぎ の みこと)が天孫降臨するよりも前、饒速日命(にぎはやひ の みこと)とともに天孫降臨した神様。由緒ある神様なのですけれど。鳥居の外に置かれているのは衰退した一族の氏神様だからでしょうか。ちょっと悲しいです。

 

本殿の西側(向かって左)にある末社。

久我神社末社左から

稲荷社

御祭神:倉稲魂命(うかのみたま の みこと)

春日社

御祭神:武甕槌命(たけみかづち の みこと)、経津主命(ふつぬし の みこと)、天児屋根命(あめのこやね の みこと)、比売神(ひめかみ)

 

本殿東側(向かって右)にある末社。

久我神社末社平成30年の台風の影響でしょうか。ブルーシートが痛々しい。
左から

天満宮

御祭神:菅原道真(すがわらの みちざね)

八幡宮

応神天皇(おうじんてんのう)

清正社

加藤清正(かとうきよまさ)

 

久我神社は観光地図には載っていない地元の氏神様。駅からも遠く、地図がないと迷います。

静かな木々に囲まれた神社のたたずまいは和やかな雰囲気があります。参道は下賀茂神社の糺の森のミニチュア版といえば大げさでしょうか。

人の多い京都に飽きたらこういう静かな神社巡りもいいですね。よいところでした。

久我神社の情報

御祭神:建角身命(たけつぬ の みこと)、玉依比売命(たまよりひめ)、別雷命(わけいかづち の みこと)

住 所:京都市伏見区久我森ノ宮町8-1

 

アクセス

駅から離れており、自動車を止める場所もありません。
唯一の公共機関は京都市バスのみです。

京都市バス、

18系統
久我下車 徒歩12分

22、南2、特南2系統
下久我下車 徒歩6分。

駐車場:なし

 

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