大嘗祭で天皇陛下は何をしているの?

豊作 神社参拝のしかたと神道

平成元年11月14日は大嘗祭が行われる日です。天皇陛下が即位して最初に行なう儀式。しかも一世に一度だけ行なうということで注目されていますね。

ただし基本的な内容は毎年行っている新嘗祭とあまり変わりません。

新嘗祭は五穀豊穣を願い。国の発展と国民の安泰を願う儀式なのです。

ところがこの大嘗祭については宮内庁が公表していない部分があり「なにか特別なことをしているのではないか?」と人々の関心を集めたこともあるんですね。

現代では國學院大學名誉教授・岡田荘司氏らの研究によって大嘗祭の詳しいことがわかってきました。

まずは既に時代遅れになった説ですが大嘗祭についての面白い説を紹介します。そのあとで大嘗祭では何をしているのか紹介します。

まずは大嘗祭にまつわる諸説から

天皇が生き神になる儀式「真床覆衾」説

わりと有名なのが真床覆衾(まどこおふすま)説です。民俗学者の折口信夫氏が昭和の始めのころに主張した説です。

大まかな内容はこうです。

日本神話の天孫降臨の場面を再現。
天皇が瓊瓊杵尊の役割を演じる。
それによって「天皇霊」とよばれる霊を天皇に降ろす。
天皇霊を身に付けた人は生きながら神になる。
天皇霊を見に付けた人=現人神になる。

というもの。

肉体は滅びるが魂は不滅。天皇霊もこの世にひとつだけ。そこで代々の天皇は天皇霊と一体化することで完全な天皇=現人神=生神になれる。

これを儀式として行っているのが大嘗祭。というのが折口氏の説です。
かなりオカルト的ですね。

この節は発表当時は人気があったみたいです。20世紀が終わるまでは信じてる人は多かったようです。平成の大嘗祭でもこの説は注目されました。反響が大きかったせいか宮内庁はこの説を否定したほどです。

僕も最初に聞いた時は「ほぉ~、そうだったのか」と思いました。

でも。

よく考えればおかしな話です。

神道や日本人の自然感・生死感・人と神の関係について知れば知るほど折口氏の説はおかしいと思いました。

だって、天皇は血筋があるから即位できるのです。

霊を呼び込んでなれるなら誰でもいいことになります。

それなら天皇家の血筋は必要ないじゃありませんか。真床覆衾説は新興宗教の教祖みたいな考えですよね。

しかも皇位継承を正当化するための儀式なら公開しなければ意味がありません。誰も見ていないところで天皇の霊を継いだことにしても意味がないのです。

神がかりとも違う

また、世の中の宗教的な儀式などでは一時的に体に神を降ろしてご神託を受けたり、奇跡的な現象を起こすとされることがあります。いわゆる「神がかり」ですね。

日本の神事やお祭りにも神の霊をおろす。とされるものもあります。神事の間は神の魂を宿したモノ(依代:よりしろ)としてあつかわれます。

でもそれは一時的なものです。生きた人間が依り代になり続けることはできません。

天皇の立場は譲位するか崩御するまで続きます。一時的な神がかりでできるものではないのですね。

肉体を持った人間が神になる考えは神道とは違う

神道のもとになった古代日本人の価値観では人間は自然の一部です。

人間の魂も神様の魂も本質では同じです。だから人は死ぬと魂が肉体からはなれどこか遠く、あるいは神の国(常世の国ともいいます)に行くと考えられました。魂は祖先の魂と一体になり「カミ」と呼ばれる存在と一体化します。

つまり祖先の魂はカミになるのです。これが氏神信仰、祖霊信仰です。だから神道の世界観では祖先が神なのは不思議なことではありません。その神がどの程度力をもっているかは別の問題です。

逆に生まれるときにはカミの一部が魂となって肉体に入ります。そして誰でも死んだら魂は神になるんですね。

その一方で人の力や理解を越えた力を神と呼んで恐れ敬います。

人は生まれながらにして神と同じ性質をもった魂を体の中に持っている。でも人の体に宿る魂は自然界の神に比べればほんの一部です。肉体を持った人間が神そのものになることはありません。

自然界の神は人間以上の力を持っています。肉体を持った生身の人間が神になれるものではありません。

「持って生まれた魂とは別の魂を体に宿して生きたまま神になる」とはなんと恐れ多い考え方でしょうか?神をも恐れないとはことではないでしょうか。

新興宗教ではそのように主張する人はいるのかもしれません。でも神の力を恐れていた1000年以上昔の日本人が考えていたとは思えませんね。

神は身近な一方で同時に畏れ敬うのが神道です。神道に詳しい人間なら考えつかないはずの発想だと思うのです。

戦前でも「神のように尊い人」という意味で現人神と呼ばれることはありました。でも天皇が本物の神と信じている人はいないでしょう。戦前生まれの人が天皇陛下を見て涙を流すことはありますよね。それは人智を超えた神だからではありません。心から尊敬できるだからです。武士が将軍と会って感激して涙するのと同じでしょうね。

現代人も優れた人を「◯◯の神」「◯◯のカミ」と呼びます。基本は同じなんですね。

神のように尊敬される人はいても、神の魂を体に宿しつづけて肉体を持ったまま神になる考えは神道にはないのです。

もともとの日本人の考え方では天皇の役目は神と人の仲介役です。神そのものではありません。

儒教の影響?

「人が天皇霊のおかげで天皇になれる」という考えは儒教の思想に似ていると思います。儒教では霊の存在を否定します。その一方で「天」という超自然的で絶対的な存在がいます。その「天」が人の世界に影響を与えるという考え方です。

儒教では「天」に選ばれた者が「皇帝」になります。血筋は関係ありません。だから王朝交代が正当化できるんですね。武力を使って頻繁に王朝交代した中国ならではの考え方ですね。

本人とは違う超人間的な力が働かなければその地位につけない。という発想は儒教の天の思想に似ていると思います。

神との結婚・聖婚儀礼説

こちらの説も一時期学会で流行ったようです。昭和50年代ごろに流行った説です。

これは何と天皇が神に見立てた女官と寝所を共にするというものです。寝るといっても単に横になるだけではありません。さすがに現代では「模擬儀礼(一緒に寝るふり)をするだけではないか」ことになってます。(なってる、というのはそのように主張している学者がいた、という意味です)

確かに大嘗祭の儀式の場には采女(うねめ)という女官がいます。実際には儀式の準備をするので忙しくてとても寝床を共にするどころではないとか。

だいいち即位したばかりの天皇が祖先のいるところで女性と寝ますか?

相手は天皇家にとって恐れ多い祖先神・天照大神です。祖母や母と寝るに等しい。皇族にとっては考えることすらおぞましい祖先神への冒涜になるはずですよね。

それにしても学者って意外とセクシャルな妄想が好きなんですね。ふだんムッツリして溜め込んでいるせいなんでしょうかね?

「自分もそうだから他人もそうだろう」という下衆(げす)の勘ぐりでしかないですよね。失礼な話です。

神様のための寝所?

ではなぜ真床覆衾や聖婚儀礼のような珍説がでてくるのでしょうか?それには理由があります。

それは儀式を行なう悠紀殿・主基殿の内部の配置は公表されていて。神座に坂枕(さかまくら)や八重畳(やへだたみ)があるからです。

内部

出典:図説 天皇家のしきたり案内

神様がいるはずの場所に枕と畳。まるで寝床?
なぜ儀式の場に寝床があるの?
隠されるとよけいに気になってしまうのが人の性。

というわけで上に紹介したような真床覆衾や聖婚儀礼説のような妄想気味の説がでてくるわけです。

ちなみに神座の畳は天照大神が休憩するところです。神道では神様を擬人化しているので食事もするし休憩もするんですね。

天皇は神座に座ることも寝ることもできないようですよ。

 本当は大嘗祭でなにをしているの?

では大嘗祭では何をしているのでしょうか?

折口氏やそのあとの珍説にどうしても納得できない僕はいろいろ調べました。すると岡田氏らの最新研究にめぐりあいました。そして神道や古代より続く日本人の考え方に照らし合わせても納得できる説だと思ったのです。

実際に見ることはできなくても現代ではかなりの部分が公表されています。

それでは分かる範囲で大嘗祭の内容を紹介しましょう。

大嘗祭で大切なのは悠紀殿・主基殿の儀。
悠紀殿では東日本の豊作と安泰祈願。
主基殿では西日本の豊作と安泰祈願が行われます。

まず新天皇はお湯で体を清めて白い衣服を着ます。

敷物の上を通って悠紀殿に入ります。途中、天皇の体は一度も地面に触れることはありません。清らかにしていなくてはいけないからです。

神道の儀式は穢れを嫌います。宮中の儀式も穢れを嫌うという点では同じです。

平成の大嘗祭では午後6時30分から9時30分まで儀式を行いました。約3時間かかっています。
間にもう一度体を清めます。

次に主基殿に向かいます。

平成の場合、主基殿では日が変わって翌日午前0時30分から3時30分まで儀式を行いました。

悠紀殿・主基殿の中では神様にお供え物をします。

米・粟・黒酒・白酒・海産物「なまもの」・干した魚・海藻・鮑・果物など十数種ある食べ物が備えられます。けっこう多いですね。

天皇は食べ物を竹箸でとって神々に供えます。
この箸で供える作法を500回!行います。
悠紀殿と主基殿なので合計1000回行います。
とてつもない回数です。大変な儀式なんですね。
お供えする神様は一柱だけではないようです。
食べ物をお供えすると天皇が神に感謝の言葉を述べ祈願します。
そのあと天皇も食事します。
このときの食べ物は神様が与えてくださった恵みとしていただきます。
一般家庭でも正月に神様にお供えした鏡餅を家族で食べます。すると無病息災とか神様のご利益があるといいます。それと同じですね。

この儀式は吉田卜部氏や公家の記録にも「大嘗祭でいちばん大事」と書かれています。崇徳天皇が儀式を行った時の様子が公家の日記にかかれていたり、後鳥羽上皇の日記にも詳しく載っていたりします。

なんのことはありません。神様にお供えをして一緒に食事をすることが大事なんですね。
大嘗祭は農耕民族の古代の儀式がもとになってます。それは神道とかができるよりも前の古代日本人の考え方です。だから儀式そのものはシンプルだと思いますよ。

大嘗祭の秘儀とは?

岡田氏らの研究によると。吉田卜部氏の記録には大嘗祭の秘儀が書かれています。秘儀の部分は粟を使うこと。食事の作法と内容にあるようです。お供えものの配置の仕方にもいくつかあってそれが秘儀になってるようです。

お米を使うのは当然としてもなぜ粟が秘儀なんでしょうか?実は神話でも粟は大事な食べ物として扱われています。古代には稲だけでは生きていけなかった、栽培が簡単で腹もちのする粟は庶民が生きていくためには必要な穀物だったのです。そのことを忘れないためにも粟を神に供えることが秘儀として伝わったようです。

大嘗祭の意味

大嘗祭では天皇陛下が天照大神に豊作祈願をします。
次に災害を鎮めてほしいとお願いします。

国民を代表して天皇陛下が神様に食事を出しておもてなしすることで国民が平和に暮らせるように神様にお願いするのですね。

とくに即位して最初の大嘗祭は神様との初めのお願いの儀式。即位礼正殿の義で対面しているはずですが、あのときは挨拶だけ。今回は神様にお願いをするのです。だから粗相がないように普段の新嘗祭よりも慎重に盛大に行なうのでしょう。

大嘗祭は約1300年前の天武・持統天皇時代から続く儀式。途中戦乱などで中断したことはありましたが現代まで続いています。現在は宗教儀式というより天皇家の伝統行事とて行われています。

でも科学万能の時代に国の代表が国民のために祈る。世界でも珍しく古くて伝統のある儀式なのですね。

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