神前結婚式:古くて新しい結婚式事情の不思議

神前結婚式

 

 

結婚式とは神様の前で行う結婚式のこと。とくに日本古来の神様の前で行う結婚式のことをいいます。神道式といってもいいかもしれません。

ところが古式ゆかしいように思える神前結婚式ですがその歴史は意外と浅いです。

でもそこには古代から受け継がれた日本人の考え方が生きているのです。古いようで新しい、でも新しいようでも古い。そんな不思議な神前結婚式の不思議について紹介します。

目次

神前結婚式が広まるきっかけは明治時代

神前結婚式が広まるきっかけは明治時代の出来事でした。

明治33年5月10日。明治天皇の皇太子、のちの大正天皇が結婚式を行いました。結婚式が行われた場所は皇居にある賢所(かしこどころ)といわれる場所です。賢所とは宮中三殿のひとつ。天照大御神をお祀りする神殿です。皇居内にある皇室専用の神社といってもいいですね。

皇居内に(御所)に神様をお祀りすることは古くから行われていました。平安時代の内裏(昔の皇居の呼び方)には温明殿(うんめいでん)という名前で神様をお祀りする場所がありました。皇居が京都から東京に移っても神様をおお祀りする場所は作られました。恐れ多い神様がいる場所ということで貴所、恐所、尊所、威所と呼ばれていましたが、明治時代に賢所という名前に落ち着いたようです。

宮中三殿は神様がいる場所なので様々な神事が行われています。

宮中三殿は、庶民にとっての神社とまったく同じ役目をしているのです。

もちろん大正天皇以前に神の前で結婚式を行うことがなかったわけではありません。でも明治以前には宮中の儀式を庶民が知ることはなく、ひっそりと行われていたのです。一般の人々が神社に行って結婚式を行うことはありませんでした。

庶民の結婚はどのようにしていた?

しかし結婚式が神様とまったく関係なかったかというとそうではありません。

日本には古代から「人々が生きていけるのは神様のおかげ」という古くからの信仰がありました。結婚という人生の転機に神様の恵みを祝うことは行われていました。

現在と違うのは昔の結婚式は個人の家庭で行っていたことです。結婚式だけではありません。冠婚葬祭は家庭で行うものだったのです。現在でも地方に行くと、葬式や法事を個人の家で行っているところもあります。時代劇を見ると武士や商人の家に人々を招いて結婚式を行っている場面があります。

むしろ何処かに行って結婚式を行うこと自体が珍しいことだったのです。

古代や中世などは庶民が盛大な結婚式を行うことはなかったでしょう。親族が集まってひっそりと行っていたかもしれません。

でも江戸時代になって人々の生活が豊かになってくると、庶民の家でも人々を招いて結婚式を行うことが増えました。その場合に庶民の家でも、大名家や武家で行っていた方法を真似て行いました。大名家や武家は公家の作法を真似しています。つまりもとをたどれば平安時代の宮中の作法に行き着くのです。

伊邪那岐命と伊耶那美命の前で結婚式を行っていた

江戸時代の結婚式は家庭で行いました。その方法とは、伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)をお祀りして神様にお供え物をして。その前で新郎新婦が御神酒を飲み夫婦の契りを交わすものです。伊邪那岐命と伊耶那美命ははじめての夫婦神ですから結婚の場にふさわしい神様とされたのす。伊邪那岐命と伊耶那美命は古事記や日本書紀では後に別れたことになってます。でもその後も会っていたとも言われており縁起が悪いわけではありません。

そもそもこの二柱の神様は生きている間はずっと一緒でした。「死ぬまで一緒」という意味では結婚を誓う神様にふさわしいのです。

三三九度の意味

神前結婚式で大切なのが三三九度です。平安時代には宮中で行われていたと言われます。古代日本の習慣がもとになっているといわれます。

結婚式でおこなう三三九度は、新郎と新婦が同じ酒を飲む儀式です。一献目が新郎・新婦・新郎、ニ献目が新婦・新郎・新婦、三献目が新郎・新婦・新郎とつがれるのが丁寧な方法ですが、簡略化しした方法もあります。

これは同じ物を口にすることで魂が一体になるという、古代日本の考えが元になっています。

3という数が陰陽思想からきています。奇数は陽数と呼ばれ陽の気が満ちる数。中でも3は縁起の良い数で、3を3回行うことでさらに良くなるとされます。

似たような考えは他にもあって「同じ釜の飯を食う」といいますが。食べ物を共有することは一体感が生まれるという考えが古代からあったからです。平安時代には公家の宴の席でおこなわれました。主人と客人の間で盃を交わして親交を深める儀式がありましたし、武家では主君と家臣になるものが盃を交わし合う儀式がありました。「契の盃」とよばれるものです。

神道のもとになった古代日本人の考えがさまざまなところで息づいているのです。

庶民の神前結婚式が増えたのは住宅事情

大正天皇の結婚式が宮中の神殿で行われたことで、人々の間で神前結婚への関心が高まりました。

結婚式は人生のハレの舞台ですから「もっと盛大に行いたい」と思うのが人々の希望だったでしょう。

そこで日比谷大神宮(東京大神宮)で民間向けに結婚式を行うことになりました。そして他の神社でも神前結婚式を行うことが増えたのです。

とはいっても神社で結婚式を行うのは一部の人に限られました。依然として家庭に親族や客人を招いて結婚式を行うのが圧倒的に多かったのです。その場合は神職や巫女さんが家庭にやって来て儀式を行うこともあります。

一般の人々が神前結婚式を行うようになったのは戦後のことです。人々が都市で生活するようになり、自宅に沢山のお客さんを招くことが難しくなったのが大きな理由だといわれます。

広い場所が必要ですし、準備にも手間がかかります。そこで結婚式を行う場所を家の外に求めたことが神前結婚式が増えた大きな理由です。

同じ時代には神前式以外にもキリスト教式や宗派にとらわれない形式のものも増えました。結婚式がビジネスとして広まった時代でもあるんです。

 

神前結婚式もそうした時代の変化や人々のライフスタイルの変化によって広まったものなのです。

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