式内社と二十二社とはどんな神社?

式内社 神社参拝のしかたと神道

「式内社」と書かれた神社があります。平安時代に決められた神社リストに載った神社なのです。

式内社について紹介します。

式内社とは

平安時代の法律「延喜式」で神社リストが作られる

平安時代の中ごろ、西暦927年に朝廷では神社や宮廷の祭祀について律令(ルール)が作られました。それが「延喜式」です。

延喜式は現在の感覚でいうと「神社や宮中祭祀についての法律」なんですね。

延喜というのは、神社や祭祀のルールが作ることを決めたときの元号です。「式」というのは律令のなかの細かい規則を書いた部分です。延喜という年に細かい規則を作ったから延喜式なのです。

延喜式には朝廷が祭祀を行う神社の一覧表があります。平安時代にも全国にはたくさんの神社がありました。それまでは各地の豪族や人々がそれぞれ思い思いの方法で祭祀を行っていました。

日本は飛鳥時代から平安時代にかけて、古代国家から律令国家へと変化しました。古代国家では何か問題があったり決めなければいけないことがあると豪族が集まってその都度話し合って決めていました。決まったルールがないのでそのたびに違う決定になることがあります。それでは不公平ですし効率が悪いです。そこで法律を作ってそのとおりに実行しようという世の中になったのです。

平安時代には日本人が古代から行っていた神様の祀り方も律令で管理しようということになったのです。

延喜式ではどの神社を誰がいつ、どんな祭祀を行うかが書かれています。

その祭祀を行う神社のリストが「延喜式神名帳」なんです。

つまり延喜式に載っている神社は「朝廷がとくに重要だと認めた神社」なのです。

式内社の種類と社格

延喜式が完成したのは10世紀の平安時代の中ごろです。

でも天武・持統天皇が活躍した7世紀には国が神社を管理しようという試みは始まっていました。畿内の神社を中心に朝廷が重要だと認めた神社は「官社」に指定されました。

官社には2月の祈年祭に朝廷から神祇官が派遣され、お供え物をしたり儀式を行いました。

官社の制度は8世紀には全国に広まりました。

平安時代になると官社は重要度で「大社」と「小社」に分けられました。

また祈年祭に朝廷からお供え物を直接受ける「官幣社」と、地方の国司(長官)からお供え物を受ける「国幣社」に分けられました。

官幣社大社、官幣小社、国幣大社、国幣小社の分け方がありました。これらの神社が全て載っているリストが延喜式です。

その延喜式に載っている神社を「式内社」といいます。

特に霊験あらたかとされた神社は「明神大社」ともいわれました。

こうした神社の格式を「社格」といいます。

平安時代以降に朝廷の力が衰えるとこの制度も廃れてしまいました。でも式内社という呼び方は残り、由緒正しい神社の目安にもなりました。式内社といえば、少なくとも平安時代には重要な神社だと認められていた神社になるからです。

平安時代より後に作られた神社はどんなに大きく立派でも式内社にはなりません。
式内社に定められてもその後廃れた神社もありますし、今はどうなったのかわからない神社もあります。名前が変わったのでよくわからない神社もあります。

現在では式内社の制度はないので意味はないのですが。平安時代から存在する由緒ある神社ということで「式内社」と書いてある神社もあります。

二十二社

式内社の制度ができてしばらくすると朝廷が崇拝する神社もあるていど絞られてきました。朝廷から特に人気のあった神社が二十二社です。二十二社は雨乞いや災害など国家の大事があったときに祈願をする神社です。最初は平安京に近い十六社でしたがのちに増えて二十二社になりました。

平安時代の二十二社は以下のとおりです。特に格が高い神社が上七社、次に中七社、下八社となっています。()内は現在の名前です。

上七社

伊勢(神宮)・石清水(石清水八幡宮)・賀茂(上賀茂・下鴨)・松尾(松尾大社)・平野(平野神社)・稲荷(伏見稲荷)・春日(春日大社)

中七社

大原野(大原野神社)・大神(大神神社)・石上(石上神宮)・大和(大和神社)・広瀬(広瀬神社)・竜田(龍田大社)

下八社

日吉(日吉大社)・梅宮(梅宮神社)・吉田(吉田神社)・広田(廣田神社)・祇園(八坂神社)・北野(北野天満宮)・丹生(丹生川上神社)・貴布禰(貴船神社)

ほとんどが平安京を中心に畿内と伊勢に集中しています。

式内社のまとめ

以上、式内社についてまとめるとこうなります。

・式内社とは平安時代に決められた「延喜式神名帳」に載ってる神社。

・延喜式神名帳に載ってる神社は朝廷がとくに重要だと認めた神社。

・現在は式内社の制度はないが、少なくとも平安時代には存在していたことがわかる由緒ある神社。

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