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狛犬の起源・オリエントのライオンが日本に来るまで

神社に行くと必ずと行っていいほど狛犬があります。

狛犬はライオンがモデル。でもライオンは日本にはいない生き物です。

日本にいないライオンが日本の神様を守っているなんて不思議ですね。

狛犬はいったいいつどこから来たのでしょうか?

実は遠く離れたオリエントやインドにその起源があるようなのです。

ライオンはオリエントやインドでは王や神を守る生き物と考えられました。

狛犬のもとになったライオンがオリエントからインドを経て東アジアに来るまでを紹介します。

目次

狛犬はライオン

まずはライオンが日本に来るまでを紹介しましょう。長い歴史のお話になりますがお付き合いください。

神に仕え王権を守護するオリエントのライオン

メソポタミアライオン

バビロニアのイシュタル門

古代、ライオンはインドから中東、ギリシア、アフリカまで広い地域に住んでいました。ライオンは生息地域で最も強い生き物でした。

メソポタミア文明の王はライオンに立ち向かって勝つことで権威を高めました。王たちは王座にライオンのモチーフを取り入れました。ライオンは王座の象徴になり、王座を守護する聖獣と考えられました。

シュメールのあと栄えたバビロニアではライオンや牡牛、犬が魔除けの動物と考えられ多くの像が作られました。ライオンはラマッス(人頭、胴体は牡牛かライオン)とともに門を守護する聖獣でした。

バビロニアにあったイシュタル門にもライオンが描かれています。

メソポタミア神話の戦いの神イシュタルはライオンを従えて戦いに挑みます。嵐の神アダトもライオンと牡牛とグリフィン(ライオンの体に鷲の頭と羽を持つ伝説上の生き物)を従えていました。ニンフルサグやキュベイなど様々な地域で信仰された地母神もライオンを従えています(イナンナ/イシュタルがライオンを従えているのも地母神の性格があるため)。

スフィンクス

エジプトのスフィンクス

エジプト文明でもライオンは王の権威の象徴でした。エジプトではピラミッドの近くにスフィンクス像が作られました。ライオン型の聖獣が王の墓を守護すると考えられたからです。エジプトでもライオンは王権の象徴と考えられ多くのライオン像が作られました。

文明発祥の地オリエントではライオンは王座を守護し神に仕える生き物だったのです。

やがてメソポタミア文明は滅びますが、そのあとオリエントを支配したアケメネス朝ペルシャもバビロニアの伝統を受け継ぎライオンを王座の象徴にし、ライオンやラマッスの像を作りました。

インドで仏教を守護する生き物になったライオン

インダス文明のあとインドを支配しのはインド・アーリア系民族でした。

インドにペルシャの文化が伝わります。

インドの王もライオンを王権のシンボルにしました。ライオンのモチーフがついた玉座に座りました。

紀元前3~2世紀にマウリア朝の最盛期を作ったアショーカ王は自分の方針を人々に広めるため、石柱の先端にインドの四大河を意味するライオン・像・牛・馬を彫って国中に建てました。

さらに4頭のライオンが塔の先端で四方ににらみを効かせているものもあります。そのデザインは現代でもインドの国章に受け継がれています。

アショーカ王の印章

アショーカ王石柱を模した建築物

 

アショーカ王は仏教を深く信仰していました。ライオンは王を守護するだけでなく仏教を守護する動物になりました。

でもこの時代はまだ仏像はありません。ストゥーパの門にライオンが刻まれました。

2世紀頃。ガンダーラやマトゥラーで仏像が作られるとその台座に一対のライオンが刻まれました。仏の座る台座のことを「獅子座」とよぶようになりました。

マトゥラーの釈迦牟尼仏

マトゥラーの釈迦牟尼仏(出典:Wikipedia)

2~3世紀のクシャーン朝、グプタ朝の仏像はライオンのレリーフが刻まれた台座に座っていました。でもこのときはまだ独立したライオンの像ではありません。台座に刻まれた模様でした。

仏教に取り入れられたライオンは、この後ライオンがいない地域にも広まります。ライオンは仏教とともに東アジアにも広まっていきました。

中国に伝わったライオン

仏教はインドからガンダーラ・バーミヤンを経て敦煌に到達、中国へと伝わります。

敦煌に来たライオンは台座から飛び出ました。2頭のライオンは仏像の両脇で仏を守る聖獣になったのです。

敦煌の仏像は弥勒仏の両脇にライオンが座っている像があります。

敦煌弥勒仏

敦煌莫高窟の弥勒仏(出典:Wikipedia)

仏教伝来よりも前。前漢の時代にはイラン系の遊牧民族大月氏からライオンが献上され。漢民族はライオンの存在を知っていました。その強そうな形から武具や鎧の意匠に用いられました。インドやペルシャの王座を守る聖獣の伝承も伝わったようです。

そこに仏教とともにライオンの像が伝わり、仏法を守る神聖な生き物として広まります。

漢字名の獅子はライオンを意味するヒンディー語の”シンハ”、やペルシャ語の”シャー”の発音を写したものです。

中国ではライオンは聖獣として広まりました。もともと古代中国では聖獣を墓や宮殿の門番に置く習慣がありました。トラに角の生えたような姿の伝説上の獣・辟邪(へきじゃ)などが墓の守護に置かれていました。

獅子の像は王宮や墓を守る聖獣になりました。

朝鮮半島に伝わったライオン

漢から南北朝時代に獅子の像は多く作られ、朝鮮半島など周辺国にも広まりました。

漢から武具や鏡の模様として獅子の模様は伝わっていたようですが、石像の伝来はもっと後です。

4世紀後半。中国北朝の前秦から高句麗に仏像と仏典が伝わります。やや遅れて百済にも仏教が伝わりました。5~6世紀に新羅にも仏教が伝わります。朝鮮半島に四神が伝わったのは確認できますが。この時期に獅子が伝わったかどうかは確認できません。7世紀。新羅の善徳女王の時代で作られた獅子の石像がいまのところ朝鮮半島で確認できる最古の獅子像です。

日本に来たライオン

最初は模様として伝わった獅子

古墳時代。大陸から伝わった道具に獅子の模様がありました。剣や鏡に獅子と見られる模様があるのです。

ライオンが物を噛んでいる様子をデザインした獅噛(しがみ)とよばれるデザインは武具や防具に使われました。獅噛が付いた剣は「高麗剣(こまつるぎ)と呼ばれました。漢民族が作った模様が朝鮮半島を経て伝来したものです。

仏教の守護獣として伝わった獅子

欽明13年(552年)。百済から仏教が正式に伝わりました。崇仏派と廃仏派の争いあと仏教が公認され、各地で仏像や寺院が作られました。

推古7年(607年)。法隆寺が完成。法隆寺の壁画には釈迦牟尼仏の前で座る二頭の獅子が描かれています。その姿は現在知られている狛犬とほぼ同じです。仏教伝来と近い時代に獅子が仏を守る生き物として伝わっていたのです。

残念ながら法隆寺金堂の壁画は昭和24年に焼失。ある程度は復元されましたが現在は肉眼で確認するのは困難になってます。

メソポタミア文明から広まったライオンへの信仰はインド・中国を経て日本に来ました。

次回は日本に入ってきた獅子のデザインが神社の狛犬になるまでを紹介します。

狛犬の由来 大陸から来た獅子が神社の狛犬になるまで

 

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