一の宮とはどんな神社?

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山城国の一の宮(下鴨神社)

 

全国にはたくさんの神社があります。その中でも 一の宮(いちのみや)と呼ばれる神社があります。一の宮とはどのような神社なのでしょうか?その歴史と特徴を紹介します。

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一の宮とは

律令国で一番格式の高い神社

一の宮とはその国の中で最も格式が高いとされた神社です。ここでいう国とは律令制で定められた律令国(旧国)のことです。大和国、山城国など全国に66~68の国(時代によって多少違います)があります。現在では律令国は廃止され都道府県になりました。

四国のように律令国がそのまま都府県になった地域もあります。多くはいくつかの律令国をまとめて都府県が作られました。そのため一つの府県に複数の一の宮があることもあります。

現在ではその地域で最も格式が高い神社と考えればいいでしょう。

一の宮は国司が真っ先に参拝しなければいけない

一の宮がどれほど重要だったかわかるエピソードがあります。律令時代(飛鳥~平安時代)には国司(県知事のようなもの)が赴任するとその地域の主要な神社を参拝する決まりになっていました。どの神社を参拝しなければいけないかは延喜式で決められています。

一の宮は国司が一番最初に参拝する神社でした。つまりそのくらい重要だったとのです。

一説には国司が領内の神社を参拝する順序を決めた、その最初だったから一の宮になった。とも言われます。でも、そうではないようです。さきに一の宮が決まっていたのでそこを一番最初に参拝することになったようです。

いつ決まったの?

一の宮は格式の高い神社なのですが、実はいつごろどのように決まったのかはよく分かっていません。それでいて長い間、格式の高い神社として崇拝を集めていたのです。

いまのところ分かっているのは、平安時代の中ごろにできたと考えられています。
平安時代には式内社が決まりました。そして式内社の中から平安京を中心に特に朝廷が重要だと考えた二十二社の神社が選ばれました。

二十二社が決まったのと同じころ。地方でも特に重要な神社を決めようという動きがありました。二十二社と違い、一の宮は朝廷が認定したわけではありません。地方の人々が決めたようです。最終的に「一の宮」に認めるのは国司や朝廷だったとしても、もともとその地域で崇拝を集めている神社があった。中央の格式制度をみならって一の宮を選んだ。といえるのではないでしょうか。

一の宮に選ばれる基準

一の宮に選ばれるには特にルールはありません。一の宮はその地域で特に崇拝されている神社、その地域でとくに勢力の強い神社が選ばれることが多いようです。

でも、一の宮として決まっている神社には似た特徴があります。一の宮の特徴は次のとおりです。
原則として一つの国に一の宮はひとつ。

・御祭神に国津神をお祀りしているところが多い。
・全て延喜式神名帳に載っている神社から選ばれている。
・神位(正一位とか二位とか)が高いとは限らない。正一位でなくても選ばれる。

古くからその地域の守り神になってる神社が多いようですね。

また、その地域で特にご利益がある神社はすでに延喜式神名帳の「名神大社」に選ばれています。一の宮が必ず名神大社から選ばれるわけではありません。でも、名神大社が一の宮になることは多かったようです。

時代とともに変わる一の宮

朝廷が力を失い、武士の時代になると律令制で決めた多くの制度も廃止になってしまいました。でも武士の時代になっても一の宮はその地域で最も格式の高い神社として崇拝を集めました。でも長い年月の間には勢いが失われる神社もありました。鎌倉時代や室町時代に新しく一の宮になったところもあります。平安時代に一の宮になってもその後、別の神社が一の宮になることはあったのです。そのため、一つの国で一の宮が複数存在する場合もあります。

また歴史的経緯を考えると北海道や沖縄には一の宮が存在するはずはありませんが、現在では一の宮を称する神社があります。明治時代以降に決められたものです。

二の宮、三の宮

一の宮と同様に、二の宮、三の宮が存在する地域もあります。でも地域によってばらつきがあります。因幡国のように二の宮がない国もあれば、上野国のように九の宮まである国もあります。一の宮は国司が最初に参拝しなければいけない神社なのは確かです。でも二の宮、三の宮はそうでもありません。地域の神社の格付け(社格)だったようです。

伊勢神宮は別格

一の宮が神社の格式だとしたら、日本で一番格式が高いはずの伊勢神宮は伊勢国の一の宮なのでしょうか?ところが違います。伊勢神宮には格式を表現するものがありません。日本の総氏神として別格の扱いだからです。つまり全ての一の宮よりもさらに上にあるのが伊勢神宮なのです。

総社とは

国司は律令国の神社(主に式内社)を参拝しなければいけません。でも全て回るのは大変です。そこで領内を回る手間を省くため、国府(今でいう県庁所在地)に一の宮や二の宮以下の神社を勧請した神社を造りました。それが総社です。総社に行けばその国の神社を回ったのと同じになる。という神社のデパートのような場所です。ですから全ての律令国に総社があるわけではありません。総社を作るかどうかはその国によって違います。

一の宮めぐりの始まり

現在では一の宮という制度はなくなりましたが。熱心な神社愛好家の間では一の宮巡りも行われています。

記録に残るかぎりでは一宮巡りを最初に行ったのは江戸時代の神道家・橘三喜(たちばな みつよし)だといわれています。

橘三喜は延宝3年4月(1675年)から元禄10年9月(1697年)の23年をかけて全国の一宮を巡りました。その記録を「諸国一宮巡詣記」という本にまとめました。それ以降、庶民の間で一宮巡りが広まったといわれます。

現在では一の宮の制度はなくなりましたが

現在では神社に格式はありません。式内社の制度も同じです。日本の総氏神の伊勢神宮を除けばすべての神社が平等の立場です。でも由緒のある神社として「一の宮」の称号は生き続けています。先人が特にご神徳(ご利益)があると考えた神社。歴史のある神社のひとつの呼び方と考えればいいでしょう。

 

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