七福神とはどんな神様なの?いつ始まったの?

七福神

大黒天・弁財天・毘沙門天・恵比寿・布袋・寿老人・福禄寿。出身や役割の違いをとびこえた七神がユニットを組んだのが七福神。今では人々に幸福を与えてくれる神様として人気です。

七福神とはどんな神様なのか。その歴史となぜ人気があるのか紹介します。

目次

七福神はいつどうして産まれた?

平安時代、伝教大師最澄が比叡山で大黒天を台所の神として祀りました。大黒天と恵比寿がセットで信仰されるようになります。どうしてこのニ神が一緒に信仰されたのかはわかりませんが、どちらも食べ物や豊かさ・繁栄につながる神様だったので一緒に信仰されたのでしょう。

平安時代後期、京都の鞍馬山で毘沙門天が祀られると黒天・恵比寿・毘沙門天の信仰が人気を集めました。本地垂迹説(日本の神は仏が姿を変えて出現したものという考え)では毘沙門天と恵比寿は同じものと考えられていました。そのため毘沙門天も加わることになったのでしょう。

鎌倉時代に弁財天信仰が広まると、黒天・恵比寿に弁財天を加えた三神が信仰されるようになりました。

このころまでは三神が縁起がいいとされていたようです。

室町時代になると禅寺を中心に「竹林の七賢」という水墨画が描かれるようになりました。七賢人のメンバーは七福神とは違いますが、神様を七人集めると縁起がいいという発想の原点だといわれます。

七賢人に影響されて黒天・恵比寿・毘沙門天・弁財天に神様を加えて七神にしようという動きがひろがります。様々なバリエーションが産まれました。

鎌倉時代から室町時代にかけて活躍した五山文学の禅僧たちによって布袋・寿老人・福禄寿という中国出身の神が取り入れられたと考えられます。

でも今のような七神が決まっていたわけではありません。寿老人と福禄寿は同じと考えられたので、寿老人のかわりに吉祥天や猩々など様々な神様を加えた七福神が祀られることもありました。

江戸時代には現代と同じ、大黒天・弁財天・毘沙門天・恵比寿・布袋・寿老人・福禄寿でほぼ決まったようです。

七難即滅七福即生

七福神のご利益として仁王般若経の「七難即滅七福即生」がよく七福神のご利益として言われます。七難を消滅させれば七福が生まれるというものです。

七難とは、太陽や月の異変(日食など)、星の異変、火災、風水害、風害、日照り、外からの侵略。

七福とは、寿命、有福、人望、清簾、威光、愛敬、大量

お経によっては七難の内容が違うこともあります。

確かに仏教的な理由付けはそうかもしれません。

でもそれは一部の僧侶や知識人が言ってる理屈です。

お経の内容を知らない庶民には関係ありません。

庶民は豊かになるための現世利益がほしかったのです。

庶民の「現世利益」を求める願望を「お手軽な方法で」満たしてくれる神様が七福神。

だから七福神が人気になったのですね。

七福神はどうして人気が出たの?

都市部の住民の願望を満たす神

平安時代から室町時代までの間に徐々に数を増やしていった七福神ですが爆発的に人気が出たのは江戸時代になってからです。

七福神は様々なご利益のある神様です。でも一番大きな特徴は「福」を与えてくれることです。幸運・財運・さまざまな良いことを与えてくれる神様です。

それまでの信仰はどちらかというと「災いを避ける」や「病気を治す」「病気にならない」といった悪いものから守ってくれる、悪い状態をもとの状態に戻してくれる神様が人気がありました。農民であれば雨乞い、豊作。漁師なら大漁、武士であれば戦勝。これらはご利益主義のようにみえますが、それがなければ生活が成り立たない、死に直結するというかなり切実な問題でした。

江戸時代になると世の中は平和になりました。

幕府や藩の中心地には人々が集まり都市が発展します。商売も盛んになり庶民の間にも余裕が産まれました。そうなると「もっと豊かになりたい」「財産を増やしたい」「楽にご利益が欲しい」という願望が産まれます。

豊かになるための現世利益最強ユニットが七福神

江戸時代は貨幣経済が発展して「商売」が活発になった時期です。都市部なら庶民でも「お金」を手にする時代でした。お金が増えれば豊かになります。人々の間で「蓄財」が関心事になりました。

都市部に集まった庶民の願いは「豊かになること」。

そこで都市部で暮らす町人向けのご利益が必要になったのでした。

町民の願望は様々です。食べ物に困らないだけでなく、商売がうまくいく、財産が貯まる、子宝に恵まれる。など人によって求めるご利益は様々。そこでわがままな人々の願望を叶えてくれる神様が人気になりました。

様々な現世利益がワンセットになった七福神はお手軽にご利益が得られる信仰として人気になりました。

七福神には戒律もタブーもありません。ただ祈れば豊かになれるのです。

外国の神様が多いのはなぜ?

七福神の神様はほとんどが外国出身です。
大黒天は大国主命と同じとされますがもとはインドの神様です。
弁才天、毘沙門天もインド出身です。
寿老人・福禄寿も中国の道教の神様です。布袋は中国の僧侶です。
日本の神様は恵比寿しかいません。

でも当時の人々には国籍は関係ありません。もともと日本の文化の多くは外国から入ってきました。むしろ「外国のものが最先端」「舶来品が格好いい」「新しいものは良いものだ」と考えてきたのが日本人です。

現代人は車ならベンツにポルシェ。バックならエルメス。スマホならアップル。日本人は外国のブランドが大好きです。

神様も同じです。

現代の日本人には道教や中国の神さまといってもあまりなじみがないかもしれません。

でも江戸時代以前の人々にとって中国の神様は最先端でおしゃれな神様だったのです。明治以降の人がキリスト教に持っている印象に近いかもしれません。だから七福神には中国の神様が入っているのです。

なんだかよくわからないけど効きそう」というイメージが大事なんですね。

ですから外国出身の神様でも違和感なかったのです。

多神教どうしで仲良く

日本は多神教の国です。仏教や道教も多神教です。中心になる神仏はいても他の神を否定はしません。わりと神様のあつかいもおおらかです。勝手にユニットを作っても教団が怒ることはありません。一部の過激な教団を除けば平和に共存しているのが日本の神仏です。

もし明治以降に七福神が誕生していればキリスト教の聖人や天使も候補になったかもしれません。でも教会側が異教の神と一緒にされるのを認めなかったかもしれませんね。

異教の神々が同居している。外国ではあまりみられない現象ではないでしょうか。

姿かたちをイメージできる神様が人気

日本の神様には姿がありません。もともと日本では神様は姿が見えないのが当たり前でした。「この神様はこんな姿」という決まりがありません。仏教伝来以来、日本の神様を姿形にして表現しようとした人はいます。でも「この神様はこの形」という共通したイメージはできませんでした。

日本では偶像崇拝は禁止していません。でも日本の神様には偶像がありません。過去に作られたことはありましたが普及しませんでした。これも日本の神様の特徴です。

例えばお稲荷様はご利益は絶大です。でも「お稲荷様はこの姿」という共通したイメージはありません。眷属の狐を想像する人が多いのではないでしょうか。

その点、仏教や道教の神様は姿形がはっきりしてわかりやすいです。見た目も個性的です。江戸の庶民には「わかりやすさ」が大切なのです。

だからご利益をイメージしやすい神様が選ばれたのです。

では七福神はどんな神様なのか、どんなご利益があるでしょうか。いちばん大切なことですよね。それついては次の記事で紹介します。

七福神の神様の紹介とご利益

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