お稲荷様とはどんな神様?神道系と仏教系の稲荷神たち

伏見稲荷

商売繁盛・五穀豊穣の神様として人気のお稲荷様。

非常に人気の神様です。でも名前は有名だけど、実際にどのような神様なのか知らない人も多いのではないでしょうか。稲荷様=狐だと思ってませんか?

お稲荷様をお祀りする神社仏閣ではどのような御祭神(御本尊)をお祀りしているのか紹介します。

 

目次

お稲荷様の正体

お稲荷様は狐ではない

「お稲荷様=狐」と誤解している人が多いようです。
でも違います。狐はお稲荷様の眷属(けんぞく)です。眷属とは神様に付き従う家来のようなもの。眷属も人間以上の力をもっているので神様に間違われることはあるのですが。神様そのものではありません。

狐はお稲荷様の使者なのです。

大きく分けると神道系と仏教系

お稲荷様には大きく神道系と仏教系に分けられます。江戸時代までは神道と仏教が合体していた神仏習合の時代があったからです。神仏習合では日本の神様は仏が姿を変えて出現したものという考えられました。

稲荷の総本社・稲荷社(現在の伏見稲荷)が真言宗の東寺と関係が深かったことから稲荷神は神道と仏教の両方の性格を持つ神として全国に広がりました。

明治時代の神仏分離でお稲荷様を祀る場所は神社と寺院に分けられました。神社でお祀りされているお稲荷様を神道系、寺院でお祀りされているお稲荷様を仏教系とします。

そのため神道系も仏教系もどちらも「◯◯稲荷」と名乗っていることが多いです。「神社だと思っていたら実はお寺だった」という場合もあります。

同じ稲荷と名のっていても神道系と仏教系では御祭神・御本尊が違うのです。

では神道系と仏教系の稲荷様について紹介します。

神道系のお稲荷様

神道ではお稲荷様の御祭神は宇迦之御魂(うかのみたまのかみ)です。豊受比女や保食命と同じ穀物や食べ物の神様です。古代には別々の神様でしたが、平安時代には豊受比女や保食神と習合して同じ神様になりました。神社によっては保食命や豊宇気毘売の名前でお祀りされていることもあります。

でも出自が微妙に違います。それぞれの神様を紹介しましょう。

宇迦之御魂神

古事記では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
日本書紀では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

「うか」は「食べ物」の意味。「うかのみたま」とは稲に宿る魂の意味。

穀物や食べ物の神様。特に稲との結びつきが強いです。農民の豊作祈願や庶民の食卓の神として信仰されました。米にはお金の役割もあったことから後の時代には商業・工業の神にもなりました。

伏見稲荷大社の御祭神。伊勢神宮でも御倉神としてお祀りされています。祝詞では豊受姫の別名とされています。

名前では性別はわかりませんが女神です。

天照大神の食事を担当したり、古代から江戸時代までの朝廷や現在の皇居内でも食事の神として祀られています。その場合は貴い方の食事を守るので御食津神(みけつかみ)と呼ばれます。

宇迦之御魂(御食津神)を修験者や民間の陰陽師が同じ発音の三狐神(みけつかみ)として広めたことから狐のイメージが広まる原因にもなりました。

古事記と日本書紀に載っている神様ですが出自が違います。

古事記
父:須佐之男命
母:神大市比売
兄:大年神

日本書紀
父:伊弉諾尊
母:伊弉冉尊

伏見稲荷大社をはじめ全国の稲荷神社でお祀りされています。

豊受気毘売神

古事記では豊受気毘売神(とようけびめのかみ)。
豊受大神宮(伊勢神宮外宮)では豊受大御神(とようけおおみかみ)。

「とようけ」の「うけ」も食べ物の意味。「豊かな食べ物の神」という意味。

古事記では伊邪那美命から生まれた和久産巣日神の娘。
日本書紀には登場しません。倉稲魂命が伊邪那美命から生まれています。

天照大神の食事を担当することから御食津神(みけつかみ)とも呼ばれます。

もとは丹波(京都府北部)の神でした。雄略天皇の時代に伊勢の天照大神が「呼び寄せなさい」というので丹波から伊勢に移したとあります。もともとは丹波地方の食べ物の神だったことがわかります。

伊勢神宮の外宮や奈具社(京都府京丹後市)、籠神社(京都府宮津市)などでお祀りされています。

若宇迦能売

若宇迦能売(わかうかのめ)は神話には登場しません。主に奈良県で信仰されている稲作と河川、治水、灌漑の女神です。

豊受気毘売神や宇迦之御魂神と同じ神だといわれています。稲作には水が必要なこと、川が反乱すると水田が流されることから、治水と農業の神として崇拝されました。

広瀬神社(奈良県北葛飾城郡)などにお祀りされています。

保食神・大宜都比売

古事記では大宜都比売(おおげつひめ)
日本書紀では保食神(うけもちのかみ)

「うけもち」の「うけ」は食べ物の意味。「食べ物を保つ神」
「おおげつひめ」の「おお」は多い、「け」は食べ物。「つ」は「~の」の意味。「たくさんの食べ物の女神」

日本書紀では、口から食べ物を出していたところを月夜見尊に見られて殺害され、女神の体から食べ物ができました。

古事記では保食神が大宜都比売に、月夜見尊が須佐之男命になっています。

志和稲荷神社(岩手県紫波郡)などにお祀りされています。保食神を御祭神にする神社は東日本に多いです。

仏教系稲荷

荼枳尼天(だきにてん)

古代インドの豊穣神から愛情の神へ

もともとは古代インドのドラヴィダ人が信仰した大地の精霊ヤクシー(ヤクシャの女性形)のひとつ。豊穣の女神・ダーキンです。農業の神なので稲荷神と役目は同じです。農業だけでなく多産・生殖の神としても信仰されました。

インドにアーリア人が侵入するとドラヴィダ人の神はアーリア人の神よりも格下の神とされました。ダーキンはシヴァ神の妻・カーリーの侍女ダーキニーになりました。

ダーキニーは人の心を捕らえる能力があるので愛欲の神とされました。古代ローマのキューピットのような神です。また豊穣神ということから生殖を司る神にもなりました。

仏教の天部に

ダーキニーが仏教に取り入れられて荼枳尼天と愛染明王になります。インドのダーキニーは愛欲の神でした。仏教では愛情・情熱を悟りを求める心に変えることができる力とされました。その力を発揮するための姿が愛染明王です。

 また「人の心を捕らえる」のは「心臓を食べるのと同じ」と考えられ文字通り心臓を食べる夜叉女にされました。しかし大日如来が化身した大黒天に調伏されて改心し。人間の心の垢(煩悩)を食べる神になりました。それが荼枳尼天です。

人を食べていたころの名残から曼荼羅などでは人肉を食べる姿で表現されることもあります。

荼枳尼天は密教の荼枳尼天はもとの豊穣神から様々な性格が追加されました。予知能力と強力な神通力を持つことでも有名です。恐ろしい過去を持ちながら優れた現世利益を与えてくれる神になったのです。

つまり、荼枳尼天が恐ろしいイメージになったのは仏教に入ってからです。

ジャッカルが狐に

インドのダーキニーはジャッカルを眷属にしていました。中国で野干と翻訳されましたが中国にジャッカルはいないため形のよく似た狐が荼枳尼天の眷属になりました。日本にもそのまま伝わったので狐が荼枳尼天の眷属となったのです。

日本では密教系の真言宗、天台宗によって広められ、密教の影響を受けた修験道によって庶民の間にまで広まります。密教系以外の宗派でも現世利益の神として信仰されました。

稲荷神と習合

荼枳尼天が稲荷神と考えられたのは室町時代からです。平安時代は稲荷神と荼枳尼天は別々に信仰されていました。しかし両方とも狐を眷属とするので仏教の側では稲荷神と荼枳尼天は同じと考えるようになりました。

本来は関係のない神でしたが、こじつけに近いかたちで稲荷神と荼枳尼天は同じ神とされたのです。

荼枳尼天は大きな神通力を持つ神です。仏教でも現世利益を求める宗派では人気がありました。最初は密教の天部だったものが日蓮宗に広まり、禅宗でも本尊としている寺はあります。

豊川稲荷(愛知県豊川市)。正式名は曹洞宗 円福山妙巌寺。神仏分離以降は仏教系稲荷の勘定元になる事が多い。仏教系稲荷の中心的存在。吒枳尼眞天の名で荼枳尼天を御本尊としています。

最上稲荷(岡山県岡山市)。正式名は日蓮宗 最上稲荷山妙教寺。御本尊の稲荷大明神は「最上位経王大菩薩」の名をもちます。稲穂を背負い鎌を持ち白キツネに乗った天女像の姿をしています。その姿は荼枳尼天と同じです。日蓮宗の寺院にも稲荷神を祀るところがいくつかあります。

人気がある神様は名前も多い

このように稲荷神は様々な神様が習合した複雑な神様です。

日本では同じ名前でも正体がいくつもある神様は存在します。大国主神は大物主神や大黒天と同じとされ。蛭子神と事代主神はどちらも恵比寿神とよばれます。稲荷神もそういった複数の顔を持つ神様のひとつです。

稲荷神の信仰が広がっていく中で様々な地域で信仰されていたよく似た性質の神様が「稲荷神と同じ」と考えられたのです。

 

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