彦星と織姫が七夕の日に会う理由とは?

天の川 3)文化と伝統

こんにちは、たかふみです。

七夕といえば彦星と織姫の伝説が有名です。

もともと古代日本には彦星と織姫の伝説はありませんでした。

彦星と織姫の伝説は古代中国から伝わった伝説が元になっているからです。

では織姫と彦星の伝説はどのようなものかご存知ですか?

彦星と織姫の物語を紹介します。

 

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彦星と織姫の伝説

彦星と織姫の物語はもともとは唐から伝わった牛郎と織女の伝説が元になっています。

天の川の東に織女が住んでいました。織女は天帝(天空に住む神)の娘です。天帝のためにいつも機織りをしてあざやかな衣を作っていました。

天帝は織女が独身なのを気の毒に思って天の川の西に住んでいる牽牛郎と結婚させました。

ところが織女は結婚後、機織りをしなくなりました。怒った天帝は2人を別れさせ、織女を天の川の東に帰らせました。

ただし7月7日の夜だけ川を渡って合うことを許しました。

こうして二人は一年に一度だけ会うことになったのです。

この話は漢の時代ころから普及し始めたようです。

中国では彦星は牽牛星、織姫星は織女星とよばれました。

織姫と彦星は恋人ではなかった

よく間違えられるのですが、牽牛と織女は恋人ではありません

夫婦です。結婚しているのに一年に一度しか会えないのです。

ところで、男と女のどちらが河を渡るのを知っていますか?
中国では織女(女)が河を渡って牽牛(男)に会いに行きます。
日本では彦星(男)が河を渡って織姫(女)に会いに行きます。

平安以前の日本では男が女性のもとにやって来る通い婚が当たり前でした。日本の習慣にあわせて物語も変わったのです。

万葉集に書かれた織姫と彦星の詩

織姫と彦星の話は遣隋使などを通して日本に伝わりました。このお話は日本人の共感を得ました。飛鳥・奈良時代の時代から様々な歌に詠まれてきました。万葉集から古代の人々が詠んだ詩を紹介します。

万葉集の七夕の詩

2029 作者:柿本人麻呂

天の川あまのがわ かぢ音聞おときこゆ 孫星ひこほしと 
与織女たなばたつめと 今夜逢こよいあふらしも  

意味:天の川に楫の音が聞こえる。彦星と織姫は今夜会うのだなあ

楫=水をかいて船をこぎ進める道具。

2040 

牽牛ひこぼしと  与織女はたおりめと 今夜逢こよいあ
天川門あめのかわとに 波立なみたつなゆめ

意味:天の川の渡し場に、波よ決して立つな!

古今和歌集

平安時代には続萬葉集ともいわれる古今和歌集が作られました。その中にも七夕の詩が載っています。

恋ひ恋ひて 逢う夜はこよひ 天の川
斬りたちわたり あけずもあらなむ

意味:一年中恋してようやく今夜逢える。霧よ、今夜は明けないようにしておくれ。

久方の 天の河原のあたしもり
君わたりなば 楫かくしてよ

意味:天の川の渡し守さん、あの方(彦星)が川を渡ってしまったら、船の櫓を隠して帰れないようにしてください。

万葉や平安時代の人々だけではありません。鎌倉時代や江戸時代になっても様々な人々が七夕の詩を詠んでいます。織姫と彦星の話はそれほど日本人の心を捉えて離さない物語なのです。

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