10月に入ると日本では街にはハロウィンを意識した飾り付けがあふれ、テレビや雑誌、ネット上でもハロウィンをモチーフにしたものがあふれます。
日本にはハロウィンの習慣はなかったのにいつの間にか広まりました。
でもハロウィンって何なのか知っている人はあまりいないと思います。
キリスト教の行事?少し詳しくてケルトの伝統?
でもそれだけではありません。
ヨーロッパのハロウィーン(Halloween)は死者のための行事がもとになっているのです。とても「Happy」といえる行事ではありませんでした。
それを考えると、ハロウィンの仮装やモチーフが悪魔や魔物だらけなのもなんとなくわかるような気もします。
ハロウィンのもとになったヨーロッパの伝統と歴史を紹介します。
ハロウィーンとは
ハロウィーンの意味
ハロウィーンの起源はキリスト教よりも古いです。
でもハロウィーン「Hallowe’en」という言葉が登場するのは 1745年ごろ。キリスト教の行事の名前でした。
「Hallowe’en」を日本語に直訳すると「聖人の夕べ」
All Hallow’s Eve(聖人の日の前夜)が省略されて「Hallowe’en」になりました。
Eve とは even(前夜)の意味。
イブといえば日本ではクリスマスイブでおなじみですね。あれはクリスマスの前夜だから。
つまり「ハロウィーン」は「聖人の日」の「前夜祭」を意味するのです。
聖人の日とは
キリスト教(カトリックや一部の正教)には All Hallow’s Day(諸聖人の日)という行事があります。Hallowmas ともいいます。宗派によって呼び方は違うようです。
諸聖人の日はキリスト教ですべての聖人と殉職者をお祝いする日です。609年か610年。ローマ帝国では5月13日が「聖マリアとすべての殉職者の日」に定めました。最初は殉職者に限っていたようですが、殉職していない人も祀るようになりました。
古代ローマのレムリア(死者の日)が起源
「聖職者の日」はもともとは古代ローマの Lemuria(レムリア=死霊祭、死者の日)だったといいます。(Lemuralia:レムーラリアとも書きます)
古代ローマの死霊祭は死霊(lemures:レムレース)を追い払うための行事です。
ちなみにレムリア大陸の語源になったのも死霊・幽霊を意味するラテン語の「lemures:レムレース」です。
古代ローマ人はユリウス暦で5月の9・11・13日になると死霊が解き放たれて生者のもとにやって来ると考えていました。
死霊は孤独感と生者への羨ましさから「生きている家族を連れ去ってしまう」と信じられていました。
そこで生きている人は真夜中に死霊に連れ去られないように夜中に儀式をしました。裸足になって両手を泉の水で洗い、黒豆を手にとります。そして後ろに投げ「私はここに豆を投げる、この豆は我と我が家族を救う」と9回唱えます。すると死霊は黒豆を拾おうとします。そのあと青銅の鉢を鳴らしながら「祖先の霊よ失せたまえ」と唱えると死霊は家から出ていくそうです。
日本風にいうとお盆のような日です。豆を投げるところは節分にも似ています。でも日本では祖先の霊が生きている人を連れ去るとは考えません。おもてなしします。逆に節分にやって来るのは明らかに危害を加える霊なので豆を投げて追い返します。ヨーロッパでは死への恐怖心が強かったようです。
古代ローマ帝国がキリスト教を採用すると「死者の日」はキリスト教の聖人を祝う祭りになりました。
古い宗教を新しい宗教が書き換えたわけです。
また「聖人の日」はローマの「死者の日」とは別に5世紀に東方教会(コンスタンティノープル)で始まった。ともいわれます。
いずれにしろローマでは「死者の日」が「聖人の日」に置き換わったようです。
でも現代の私達が知るようなハロウィーンの行事とはかなり違っていました。
やがてキリスト教はローマから西ヨーロッパに広がりブリテン島(イギリス)に上陸します。
イギリスでは8世紀ごろから聖人の日が11月1日になったと考えられています。ヨーロッパ大陸でも9世紀には11月1日が聖人の日になりました。
キリスト教がケルトやゲルマンの文化と出会い、聖人の日が11月に移動したのでした。
古代ケルトの祭り
サウィン祭
一年の終わりと始まり
スコットランドやアイルランドにはサウィン(Samhain)というお祭りがありました。「夏の終わり」という意味だといわれていますが、「集まり」を意味する”samani ”が語源ともいわれます。
キリスト教が伝わるよりも前の時代。ケルト系民族のゲール人が行っていた祭りに起源があるといわれます。
アイルランドやスコットランドの人々はキリスト教が伝わった後もこの祭りを行っていました。
キリスト教の影響を受けながらも古い信仰は形をかえつつ受け継がれました。
ゲール人は1年を4つの季節に分け、季節の変わり目にお祭りをしていました。11月1日から冬が始まると考えられました。4つの季節の始まりとも考えられました。
この時期には放牧していた家畜を小屋に入れ、農作物の収穫が終わるころです。10月31日が1年のサイクルの終わりであり、11月1日が次のサイクルのスタートでした。
異界の門が開く
サウィンの時期になると異界の門が開き、シー(妖精)や死者の霊が出てくると信じられていました。
死者の魂は家に帰って家族にもてなしされるのを望むと考えられました。各家庭では温かい暖炉の近くに死者のための食べ物が用意されました。
日本のお盆に似ています。
サウィンの日には丘の上ではドルイド達がかがり火を燃やし続けました。衰えた太陽の力を復活させるための儀式ともいわれます。家庭ではかまどの火を消し。かがり火の火を家庭に配って新しい火で点火したといいます。
サウィンの日には祖先の魂も帰ってきます。ですがいたずら好きなシー(妖精)もやってきます。人々はシーのためにも食べ物を用意しました。そうしないと家族や家畜に危害が及ぶかもしれないからです。
ケルトの祭りがキリスト教の聖人の日になる
8世紀頃にはイギリスとドイツのキリスト教会では11月1日を「聖人の日(All Hallows’ Day)」にしました。11月1日にしたのはケルトだけでなくゲルマンの習慣も関係していたようです。ゲルマン人にも似たような習慣があったのでしょう。
10月31日オールハロウズイヴ(All Hallows’Eve)、 11月1日オールハロウズデイ(All Hallows’ Day)、11月2日オールソウルズデイ(All Souls’ Day) と聖人を祝う日が3日間続きました。3日あるのはローマのレムリア(死者の日)の影響もあったのでしょう。
この聖人の日の前夜祭にあたる All Hallows’Eve がHallowe’en になったのです。
宗教改革以降、プロテスタント系キリスト教団体の中には「ハロウィーンは異教の祭り、聖人崇拝もしない(祈りを捧げるのは神だけだから)」としてハウィーンや聖人の日を否定するところがあります。ところが皮肉なことにハロウィーンの日を決めるのに大きく貢献したのがドイツとイギリスのキリスト教団体だったのです。
ハロウィーンの仮装といたずら
サウィン祭りではかがり火に集まる人達は仮装していたといいます。炭で顔を黒くしたり、服を着たりしました。死霊やシー(妖精)に連れて行かれないようにするためとも、いたずらをされないようにするためともいわれます。
16世紀ごろになると若者が妖精や死霊に変装して家々を訪ね食べ物をもらいました。これはシーや死霊がやってきて食べ物をもらうのを真似しているからだといわれます。
死霊や妖精がやってくるお祭りに便乗して食べ物をもらおうとしたのです。仮装した人々は「食べ物がもらえないといたずらをする」と脅しました。
そのためアイルランドではサウィン祭りは”Mischief Night(いらずらの夜)”と呼ばれることもありました。
現代のハロウィーンで子供たちが悪魔や魔女、モンスターに仮装して「お菓子をくれないんといたずらするぞ」と家々をまわるのはこの名残です。
近現代のハロウィーン
アメリカに渡ったハロウィーン
ハロウィーンの習慣は19世紀アイルランド系移民によって北アメリカに伝えられました。はじめはアイルランド系移民の間で行われていましたが、やがて他のアメリカ国民も真似するようになりました。
ケルトの死者を迎え食事でもてなす行事がアメリカでは子供たちが仮装して「お菓子をくれないといたずらするぞ」お菓子をもらう行事にかわりました。
子供たちはお菓子をもらうために工夫をこらした衣装を作り子供たちが集団を作ってて近所の家々を訪れました。本当にいらずらをすることもあったようです(中にはいたずらではすまされない反社会的行為もあったようですが)。
1960年ごろまではアメリカのハロウィーンは過激ではた迷惑な子供たちのお祭りでした。でも社会にはそれを受け入れる余裕があったのでしょう。
現代のハロウィーン
ところが今やアメリカでもかつてのような子供たちが仮装して家を訪れる行事は廃れました。様々な社会的な変化があったからです。
今では子供が親に付き添われて近所を訪れたり、イベントで仮装したり、子供たちが親たちに連れられてショッピングモールを訪れることが多くなったといいます。
そしてアメリカでは今やハロウィーンはクリスマスに継ぐ経済効果の大イベントになりました。
アメリカでは10月に入ると早くもハロウィーン商戦がはじまります。そして1ヶ月の間、様々な業界が売上を伸ばそうと激しい商売合戦を繰り広げます。
その商法を真似したのが日本というわけです。
1980年代以降、アメリカではハロウィーンは商業のためのイベント化がすすみました。いきさつをしらない日本人が形だけ真似て今のようになったのも当たり前かもしれません。
スピリチュアル世界のハロウィーン
このところ欧米ではケルト文化への関心が高っています。
欧米で活動しているニューエイジの人たちの間ではキリスト教ではない別の見方からハロウィーンを捕らえなおそうといううごきもあります。
ハロウィーンはスピリチュアルな存在に触れる機会だというのです。亡くなった人、祖先の霊であったり、天使だったりアセンテッドマスター(指導霊)だったり。人によっていろいろです。
日本ではまだそこまで言う人はあまりいないようです。「仮装騒ぎ」のイメージが強いせいでしょうか。
とにかくいつも以上にスピリチュアルなものに触れやすい日なのでしょう。
たしかにアイルランドのサウィン祭りの日には冥界の門が開き霊的な力が増すので占いが当たりやすいとされました。サウィン祭りの日に恋占をする女性も多かったようです。
ハロウィーンの起源は死者が帰ってくる日。日本でいうとお盆のようなものです。霊的なものと触れる機会が増えるのは当然かも知れません。
かつて死者の霊を送り返す行事。今では経済活動。その一方で、聖人の日として祝う宗教団体もあります。今でも亡くなった親族を祭るところもあります。
もはや初めの目的はどこにあったのかすらわからなくなっても、行事としては続いています。
時代の変化はおもしろいものです。
参考文献
アンソニー・F・アヴェニ,”ヨーロッパ祝祭日の謎を解く”,創元社
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