京都五山の送り火の由来と意味

大文字

お盆に日本各地で行われる送り火。
その中でも一番有名なのが京都五山の送り火です。

送り火はお盆の行事として定着しています。

お盆の行事は仏教の行事と思っている人も多いですし現在ではお寺が行っていますnね。でも、もともとは日本に古くからある「盆」の行事です。旧暦7月15日はお盆の日。その前後に祖先の霊が帰ってきて暫くの間家族と過ごします。旧暦の7月15日は1年の後半で最初に満月になる日です。

お盆の由来につていはこちらにも書いてます。

お盆とお中元のはじまり

簡単に書くと祖先をお迎えして見送る行事が「盆」です。後に仏教の地獄の死者を供養する行事「盂蘭盆会」と合体して今のような行事になりました。

旧暦7月16日は送り火をともして祖先の霊を見送ります。

現在では8月16日に五山の送り火を行っています。新暦の8月16日が旧暦の7月16日になるのではありません。若干ずれます。でもほぼそのあたりになることから単純に1ヶ月ずらした8月16日に決めているのでしょう。

観光のため行ってると思う人もいるかも知れませんが、仏教と深く結びついた祖先の霊を送る行事なんです。

大文字焼きともいいます。山を焼いてるわけではなく、火を灯しているので焼きは不適切ともいわれます。だから京都の人は「大文字焼き」とは言いません。

近年では五山の送り火を模して各地で似たような「大文字焼き」が行われています。その場合は「大文字焼き」と言うこともあるようです。その元祖といえるのが五山の送り火です。

五山の送り火について紹介します。

目次

五山の送り火

五山の送り火というくらいですから。送り火は5つあります。

「大文字」 左京区 如意ヶ嶽
「妙法」 左京区松ヶ崎 西山・東山
「舟形万灯籠」 北区西賀茂 妙見山
「左大文字」 北区 大北山
「鳥居形松明」 右京区嵯峨 曼荼羅山

妙法は二つの山に点火しますが一つとして数えます。

20時に大文字が点火、その後20分くらいの間に順番に点火されます。昔は点火する時間はバラバラでした。ところが観光業界の要請で大文字から順番に点火するようになったようです。

昭和初期までには他にも送り火を灯す山があったらしいです。でも現在は5つです。「五山の送り火」というのは昭和になってから定着した名前。それ以前はもっとあったわけですね。

それ以前には「精霊の送り火」とよんでいたようです。

大文字の由来

この中でもいちばん有名な送り火が「大文字」で知られる東山の如意ヶ嶽の「大」ですね。

由来については諸説あります。

代表的なものを紹介しましょう。

いつのころか不明ですが、如意ヶ嶽のふもとにあった浄土寺が火事になりました。

そのとき、本尊の阿弥陀如来が如意ヶ嶽の頂上に飛来して明るい光を放ちました。

その光をかたどって火祭をおこなったのが「大」の起源だといいます。でも当時は「大」の文字ではなく、5つの角がある星のような形だったといわれます。

こんな形だったと思われます。

 

星型には仏の光を表します。また清明桔梗や西洋のペンタグラムなど五芒星と同じ魔除けの意味があります。

その後、弘法大師空海が「大」の形に改めました。

密教ではそれぞれの角が「地水火風空」の五大を意味します。五大はあらゆる世界を作る要素です。地水火風空は物としての要素だけではありません。性質も現しています。

地:確固として動かないこと。
水:柔軟性。変化への適応。
火:力強さ・情熱・動機・欲求
風:成長・拡大・自由
空:あるがまま・すべてをつつみこむ

大文字はそれ自体が強力な魔除です。と同時に宇宙のすべてを意味する深い意味を持つ形なのです。

現在はお盆は8月になり。送り火は8月16日に行われています。旧暦では7月がお盆の月でした。お盆の送り火として行われたのが「精霊(しょうりょう)の送り火」。それが五山の送り火の起源なのです。

現在は浄土寺はありません。浄土寺のあった場所には現在は慈照寺(銀閣寺)があります。浄土寺は応仁の乱で消失。跡地に足利義政が東山殿(後の慈照寺)を建てたため、浄土寺は相国寺付近に移転されました。そのご後廃寺になり江戸時代に再建。現在の左京区にある浄土院は浄土寺を引き継いだものといわれます。

大文字は正確にはいつごろから今の場所で行われていたのかよく分かっていません。古くは平安時代、遅くとも室町時代にはおこなわれていたようです。

山で文字の形に点火する送り火は古くは平安時代には行われていたとする説もあります。具体的な場所や形を記した資料は残っていません。大の字を書いたのは空海の他にも青蓮院門主や相国寺の僧・横川景三などの説もあります。

浄土院の檀家(元含む)の人たちによって行われています。

妙法の由来

妙法の点火は法華経の信者が行ったものです。

永仁2年(1294年)。鎌倉時代の日蓮宗の僧・日像が布教活動を行い松ヶ崎の村人が日蓮宗に改修しました。
徳治2年(1307年)。日像が西山に「妙」の字を書き下鴨大妙寺の日良が東山に「法」の字を書き、村人たちが点火したのが始まりといわれます。

「妙法」とはお題目「南無妙法蓮華経」の意味です。

涌泉寺の檀家(元含む)の人たちによって行われています。松ヶ崎には京都市浄水場の配水池があるため、一部は浄水場の職員も点火を行います。

舟形の意味

承和14年(847年)。天台宗の慈覚大師円仁は唐から帰る途中暴風雨にあいました。慈覚大師は「南無阿弥陀仏」と唱え、無事帰国できました。

慈覚大師は西方寺の開祖。西方寺の檀家の人々が、その故事にちなんで船の形に点火したのが始まりだといわれます。

左大文字

いつ頃始まったのかは不明。江戸時代の初期に始まったとされます。

法音寺を含めた旧大北山村の人たちによって受け継がれてきました。

鳥居形松明

いつ頃始まったのか不明。江戸時代中期にはありました。

他の送り火が寺を中心にした檀家の人たちによって行われているのに対して、有志の人々によって行われています。

他の送り火と違い木を組んで点火するのではなく、松明を突き立てます。

送り火は自分を再確認する機会かも

このように京都の五山の送り火には古い歴史と大切な意味がありました。
観光用のイベントではないんですよ。

日本人は祖先との繋がりを感じながら生きてきました。あなたも突然この世に生まれたわけではありません。ご先祖様がつないできた命の先にあるのがあなたです。

各家庭で行われていた送り火を集落単位で大規模に行ったのが京都の送り火。現在は5つが残っているので五山の送り火といわれます。

みなさんも送り火を見るときはご先祖様のことや、自分が今生きていることに感謝しながら見るのもいいかもしれませんね。

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