フトマニ図が人気ですね。
以前、展示会でKCジョーンズのブースを訪れた時、フトマニ図のペンダントを見せていたいたことがあります。手のひらにすっぽりと収まる小さな円盤の中に同心円状に神代文字が並んだものでした。興味を惹かれましたが、ちょっと高価だったので買うのは控えました。でも、それ以来なんとなく気になっていました。
ところが、知る人ぞ知るオカルト雑誌月刊ムー2018年4月号に「フトマニ図」が付録になると聞きつけ購入しました。
早速付録を取り出してみると。
「あれ?なんだか違う」
言いようのない違和感がありました。フトマニ図みたいだけれど、何かが違う。
そう思って記憶をたどっていくと描かれている文字が違っていました。
モトアケ・フトマニ図
モトアケ。いわゆるフトマニ図と呼ばれるものはこのようなものをいいます。
モトアケとは古代の宇宙感を意味する図形に文字を並べたものです。文字はそれぞれ神様を意味します。描かれた文字は「ホツマ文字」あるいは「オシテ」と呼ばれる神代文字が一般的です。フトマニ図と呼ばれることが多いです。
ようするに曼荼羅みたいなものです。というより古神道版の曼荼羅ですね。
ところがムーの付録のフトマニ図はこんなかんじ。
こちらもモトアケのようです。文字の種類が違いますが配置は同じ。文字を入れ替えただけのようです。描かれているのはホツマ文字ではありません。「龍体文字」と説明があります。
いったいこれは何なのでしょうか?
調べてみましたが龍体文字がなんなのかよくわかりません。ムーを呼んでも、龍体文字がどこで使われていた文字なのかわかりません。
太占とフトマニは違う?
ムー2018年4月号の記事で違和感を覚えたのが国生み産神話で「フトマニ図」が出てくると書かれていること。
えっ!
古事記にそんな場面あったかな。
と、もう一度読みなおしてみました。
古事記の太占
国生み神話でイザナキノ神とイザナミノ神が交わった時、骨のないヒルのようなヒルコ神が生まれてしまいました。そこで天つ神に相談にいきました。
古事記では「天つ神の命もちて、布斗麻邇に卜相ひて」と書かれています。
布斗麻邇とは太占のこと。
つまり天つ神に「太占(ふとまに)で占え」と言われたのです。
この太占の技法は現代にも一部の神事に伝わっています。ここでいう太占とは鹿の肩甲骨や亀の甲羅を熱して、できたヒビの形から吉凶を占うという方法。古い時代には鹿の骨を使っていたといわれます。「布斗麻邇」とも書きます。
太占とは占いの方法だったのです。
もちろん古事記には龍体文字は書かれていません。
オシテのフトマニ
ところがモトアケのフトマニは太占とは別物。
フトマニは秀真伝(ホツマツタヱ)と同じようにオシテ(=ホツマ文字)で書かれた古文書です。フトマニや秀真伝など秀真文字で書かれた文献はオシテ文献といいます。フトマニは占いの要素の強い書物です。その中にホツマ文字で書かれたモトアケが載っているのです。
秀真伝(ホツマツタヱ)もフトマニも、アカデミックな歴史学者は信じていません。現在伝わっている秀真伝の写本は江戸時代に書かれたものらしいです。
でも、できた年代はわからないとしても内容的には面白いです。
古神道の研究者からも注目されています。
古神道というのは江戸時代後半から戦前にかけて流行った考え方です。神道を神仏習合以前の形に戻そうという考え方でした。古神道ブームのなかでオシテなどの神代文字や秀真伝、宮下文献、竹内文献などの古史古伝などが「発見」されました。
そういうわけで現代の歴史学者からはうさんくさいと言われてしまってるのですが。最近のスピリチュアルブームのなかでこうした神代文字や古史古伝の内容は注目度が高まっています。
漢字以前にも文字はあったのかもしれません。古事記以前にも、もとになった記録はあったかもしれません。各地の豪族に伝わっていた伝説をまとめたものはあったかもしれません。だからいちがいに偽物とはいえません。
龍体文字って何?
ホツマ文字やモトアケ(フトマニ図)には根拠になる文献はあります。
その文献を信じるか信じないかは自由です。
でも龍体文字はどこから来たのかさっぱりわかりません。僕も神道関係の資料は集めていますが手元にある古史古伝の資料にも載ってない。
龍体文字は神代文字の一種といわれています。でも神代文字といっても見るからに怪しいものもあります。どう見ても外国の文字を組み合わせて作ったものだ。と思えるものもあります。
龍体文字をよく見るとアルファベットが入ってますね。偶然にしても多すぎるでしょう。
ネットで拾った情報には漢字が伝わる前に日本で使われていた神代文字だと書かれています。5600年前に作られたとか・・・初耳です。
5600年前って縄文時代ですよ。龍体文字の描かれた土器があるとは聞いたことありません。秘伝だったのでしょうか?5600年間もどうやって残したのでしょうか。
謎です。
とはいっても、たとえ素性が謎でも文字や図形にはきれいだったり神秘的だったり、心にうったえるものがあります。
でも龍体文字にはそれがない。
少なくとも僕には魅力的な文字には見えませんでした。
こういうスピリチュアルなものには相性もあるのでしょうね。たまたま僕とは相性があわなかっただけなのかもしれません。
謎といえば聞こえはいいのですが、正体不明の文字。というのが龍体文字の感想です。
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