平安京が四神相応の地だった本当の理由

四神

京都が四神相応の地は有名です。四神相応の地とは風水で良いとされる場所です。

四神相応を「北に山、東に川、西に街道、南に湖(水)だと思ってませんか?でも違います。少なくとも京都が四神相応の理由はそうではありません。

風水では大地を流れるエネルギーを「気」。大地の気の流れを「龍脈」といいます。風水とは大地の気の流れをもとにしてその場所の「良い」「悪い」を決める占い。風水の法則で土地を調べるとその土地が良いのか悪いのかが分かるのです。

風水で都を置くにふさわしい場所が「四神相応の地」です。

日本に風水が伝わると都の計画に用いられました。日本で最初の四神相応の地といわれた都は平城京です。藤原京にも多少は風水の知識が使われているかも知れません。しかし藤原京も平城京も四神相応の地としては不十分な場所でした。

結局長続きせずに新しい都が造られます。平城京の次に造られた長岡京は遷都を急いだためか風水的には中途半端な都でした。満足の行く都はできず平安京でようやく満足の行く四神相応の都が完成したのです。

なぜ平安京が四神相応の地として優れていたのか紹介します。

 

目次

風水的に理想な都の条件

四神を説明する前に風水で優れた都の条件を紹介しましょう。

風水では良い運気が溜まり、悪い運気が入らない、悪い運気があっても外に出ていくのがよい場所です。

北を背にして南を向いている

風水は陰陽思想の影響を受けています。陰陽思想とは世の中は「陰」と「陽」に分けられるという考え方です。

東西南北にも陰陽があります。
北が「陰」、南が「陽」です。

建物を造るときは北を背にして南を向いているのが良いです。だから宮殿や神殿は南を向いているのです。

一般の住宅でも「南向きの日当たり良好な物件がいい」といわれます。もちろん現代日本人は風水を気にして家を選ぶことはありません。「日当たり」を気にしているから南向きがいいのです。でも実は風水的にもいい家なんです。

風水は一見すると迷信のようです。でもよくみると合理的なメリットが隠されていることがあるのです。

平城京、長岡京、平安京は都の北側に宮殿(御所)があり南を向いています。

平地を囲む山があること

風水では気の溜まる場所を明堂(めいどう)と呼びます。龍脈から出た気が集まる場所です。都市では人の住む平地が明堂になります。しかし気は流れるものです。風が吹くと飛び散ってしまいます。そこでよい気が逃げないように溜めなければいけません。気を溜める壁が山です。

四方か三方を山に囲まれた平地が風水ではよい都市です。つまり盆地がいいのです。

北側に高い山があると冷たい北風を防ぐことができます。盆地は山に囲まれているため敵から攻められにくいという利点もあります。都市としても理にかなった形なのです。

確かに盆地気候の京都は冬は寒くて夏は暑いです。でも意外と冬の北風は弱いです。私自身も京都で暮らしていますが温暖だといわれる四国の瀬戸内側よりも北風は弱いのです。冷たささえ耐えればむしろ過ごしやすいくらいです。

流れる水がある

風水というくらいですから水は大切です。

水の流れは龍脈から出た気を運び、明堂を循環させ外に出ていきます。悪い気も一緒に外に流れます。大地にとって川は血液のようなもの。悪いものも良いものも流れます。大切なのはただ水が存在するだけではなく「流れること」です。

しかも急激な流れはよくありません。ゆっくりと穏やかに流れるのがよい川とされます。現実にも大きな急流があったら水運にも不便ですし橋をかけるのも大変です。川は穏やかに流れているのがよいのです。池や湖があっても水の入り口と出口があって水が入れ替わっていることが大切です。

他にも風水的に理想の都市の条件はありますが、専門的になるのでこのくらいにします。ひとまず平安京が風水的に優れた都市を理解するには十分だと思います。

四神に対応する地形

四神とは

四神とは古代中国で東西南北を守る空想上の生き物のこと。四獣ともいいます。平城京の勅には「四禽」と書かれているので当時から四方を守護する生き物だと考えられていたことがわかります。

 方位  四神  色
 東  青龍  緑(青)
 西  白虎  白
 南  朱雀  赤
 北  玄武  黒

 
五行説では中央に麒麟(黄色)を配置することもあります。

青龍は龍。日本の龍と違って蛇のように長い胴体ではなく獣のような姿をしています。体型は西洋のドラゴンに近いです。「青々とした森」というように、古代には緑と青は区別されていませんでした。青という字を使いますが、本来は緑色だといわれます。
白虎は白い体に黒い縞のある虎。実在の虎よりもスマートで豹のような体型で描かれることが多いです。
朱雀。鳳凰のような赤い鳥。鳳凰とは別物です。
玄武。足の長い亀に蛇が巻き付いた形で描かれることが多いです。尾が蛇の場合もあります。黒い色をしています。

ただしここでいう四神の霊獣は風水の考えを説明するために使われた記号のようなもの。実際に四神という神様や霊獣が住んでいるわけではありません。十二支を動物で表現するのと同じです。

四神はどんな地形

風水では龍脈から湧き出る気=大地のエネルギーを守るのが四神の役目。東西南北にある山が四神になります。

北の玄武

四神でもっとも大切なのが北の玄武です。
龍脈が走る大きな山(主山)が玄武。龍脈の先端にある盛り上がった地形を玄武頂と呼ぶこともあります。
平野部を囲む山の中では最も大きな山がふさわしい。宮殿の後ろにそびえる大きな山地が理想です。

東の青龍

主山が北にあるとき、東に位置する山地が青龍。単独の山でもいいですが、連なった山、小高い丘の方が良いとされます。平地を囲む山地なので独立した山よりもつながっている方がいいのです。東の青龍は男児・地位・名誉を司るといわれます。玄武より大きな山だとバランスが悪いです。

西の白虎

主山が北にあるとき、西に位置する山地が白虎。平地を囲むように連なった山がよいとされます。白虎が西の白虎は女児・財運・武力を司るといわれます。西の白虎が大きすぎると女性関係のトラブルが起きやすいといわれます。青龍同様に玄武を凌ぐ大きな山ではダメです。青龍と白虎の片方が極端に大きいのも問題。東の山地と西の山地の大きさがバランスが取れているのが理想です。

南の朱雀

平地を挟んで北の玄武に向かい合うようにそびえる山が朱雀。北の玄武を凌ぐ大きな山ではいけません。

朱雀の場合は山でなく、水でもかまいません。これを水朱雀といいます。南側に川や池があるのが理想です。川は気を循環させ、池は気を溜めることができるので運気が上がるとされます。

ではこれらの四神を京都にあてはめるとどうなるのでしょうか?

平安京を守る四神

四神

京都の玄武は北山

京都北部の山地(北山)は大地のエネルギーが流れる龍脈です。
京都盆地の北側には東から比叡山(848m)、蔵馬山(569m)、貴船山(699m)、高雄山(428m)、愛宕山(924m)という900m級の山が並びます。これらの山は聖地・霊山とされているものが多いです。その後ろにひかえる丹波山地も龍脈はつながっていて気の供給源として働きます。大地のエネルギーは貴船山から船岡山(111m)へと流れ、船岡山の先端に平安京の大内裏が造られました。船岡山は玄武頂という龍脈の先端部分。玄武の本体ではありません。京都盆地北部の山々が玄武なのです。

京都の青龍は東山

大文字山(466m)から稲荷山(233m)へと続く産地が東山。京都の青龍です。一旦切れて宇治の山に繋がります。

京都の白虎は西山

京都盆地を囲む嵐山(382m)から松尾山(276m)へとなだらかにつながる山地が西山。西山の最高峰は鳥ヶ岳(からすだけ)標高398m。さらに長岡京の山々へと繋がります。

京都盆地を囲む東の山地と西の山地がほぼ拮抗した形で並びます。東山がやや高いので、やや青龍が強いです。白虎よりは青龍が少し強いくらいのほうがよい。といわれるのでむしろちょうどよいくらいです。

京都の朱雀は巨椋池と淀川水系

京都の場合は山ではなく、川と湖がつくる水朱雀。
京都山地から流れる鴨川と桂川が京都の市街地を取り囲むように流れ南へと下っていきます。鴨川と桂川の2つの河川は合流して中流域では淀川と呼ばれます。

さらに京都の南にはかつて巨椋池(おぐらいけ)という湖がありました。巨椋池は入り口は宇治川。出口は淀川につながっています。

気を循環させる川と気を溜める池の両方を持っていたのです。現在は巨椋池が埋め立てられたので気を溜めることはできません。現在の京都が気を溜める力が弱まっているのは仕方のないことでしょう。

風水に詳しい人の間では巨椋池は水朱雀にしては小さいのではないかという意見もありますが。浄化の水朱雀がやや弱かったことが京都に戦乱や災害、疫病が絶えなかった理由、京都が魔都と呼ばれる理由と関係しているのかもしれません。

それでも1000年近く都として栄えたのですから大成功でしょう。

四神山川道澤説はただのネタ話

雑学本などでは京都の四神は別の説が書かれています。

北の玄武は船岡山。
東の青龍は鴨川。
西の白虎は山陰道。
南の朱雀は巨椋池。

北に丘、東に流れ、西に道、南に池を配置する。これを山川道澤説といいます。

現在はこちらの説が主流になっているようです。
京都検定の問題になったこともあります。

でも。京都に住んでいるとわかりますが。舟岡山はとても小さいのです。確かに平安京の中心線(朱雀大路)の目印にはなりました。でも目印というだけで。舟岡山が京都の守り神とはとても実感できないんですね。

山陰道が西の白虎というのも心もとない。それが可能なら東海道が東の青龍でいいんじゃない?ってなりませんか?古代の山陰道は出雲に繋がる幹線道路だったかもしれませんが、東海道も尾張や越(北陸)に繋がる重要な街道。

逆に鴨川が青龍なら桂川が白虎でない理由な何なのか?川の大きさでいえば鴨川より桂川の方が大きいです。

道と川が重要だというなら東の東海道、西の桂川にしないとおかしい。といろいろ疑問だらけ。

道も川も風水では重要な要素ですが家の風水と都市の風水は必要なものも違ってきます。紙の上で記号を当てはめたら完成という単純なものではないです。

山川道澤は平安時代後期に書かれたとされる「作庭記」という本が元ネタ。作庭記は貴族の暮らす寝殿造りの庭園を造るためのマニュアル本です。寝殿造りは国風文化の流行とともに発展しました。作庭記の作者は平安時代の公家・橘俊綱だといわれます。

なぜ公家がこのような知識をもっていたのでしょうか?

実は作庭記には陰陽五行説や風水の知識がもりこまれているのです。公家の家には陰陽師が出入りしています。橘俊綱は出入りの陰陽師から風水の知識を得たのでしょう。

山川道澤は家や庭の配置としてはいいのでしょうけど。それを都市に当てはめるのは厳しいですね。いろいろ無理があります。

雑学ネタとしては面白いのですが。都市レベルの風水や京都を知らない人がこの話を広めたんじゃないかと思いますね。

簠簋内伝金烏玉兎集の四神相応の地

作庭記の内容とそっくりな四神相応の地の説明が他にもあります。

それが「簠簋内伝金烏玉兎集」です。簠簋内伝は安倍晴明が書いたとされる陰陽道の秘伝書。というのは作り話。じつは作者はわかっていません。鎌倉末期から室町時代の誰かです。密教や陰陽道に関わりのある人物といわれます。

陰陽道といっても安倍晴明たち陰陽寮で活動している本物の陰陽師が使っているものとは違います。市民相手に占いや憑物落としをしている民間の陰陽師が使う術です。

この簠簋内伝には

東に流水あるを青龍の地という
南に澤畔あるを朱雀の地という
西に大道あるを白虎の地という
北に高山あるを玄武の地という

と書かれています

中国の風水ではこのような考えで都市開発をすることはありません。

「簠簋内伝金烏玉兎集」は個人相手に活動をしている陰陽師が使うテキスト。ここで最良とされる場所は「庭や家を建てる場所」のことなのです。

都市を作る最良の場所とは違います。

平安時代の後期以降、民間の陰陽師に伝わっていた考えが「四神相応の地」と考えられるようになり。

応仁の乱以降の京都の戦乱で陰陽寮が廃れてしまうと「本来の四神相応の地」がわからなくなってしまった。

「作庭記」の作者も出入りの陰陽師から聞いた話を信じてまとめたのでしょう。

しかもこの庭園作りのマニュアル本を使って平安京が四神相応の地だと説明したのは昭和50年代。かなり最近のことです。

江戸が「山川道澤説」や「簠簋内伝」にある四神相応の地だというならそのとおりかもしれません。

しかし平安京が造られたのは唐風文化が流行中の8世紀。建築も街づくりも服装まで唐の様式に倣っていた時代です。

でも「山川道澤説」が書かれ「簠簋内伝」にまとめられた陰陽道が流行っていたのは国風文化真っ盛りの平安時代後期から鎌倉時代。

国風文化の方法が200年も前の都造りに採用されていたとは考えられません。

山川道澤説では 平城京が四神相応の地 を説明できない

さらに山川道澤説が問題なのは平城京が四神相応の地だと説明できないこと。

あまり知られていませんが平城京も四神相応の地です。風水に詳しい人がみると不十分と思える部分もありますが、少なくとも平城京を造った人たちはそう考えていました。

だから平安京と平城京の両方を説明できる理由が必要なのです。

平城京は四方が全て山に囲まれた土地。朱雀は山でもいいですから四神相応の地かもしれません。しかし北の山が小さく玄武が弱いので不完全だった。だから長続きしなかったと考えられます。

いずれにしろ平安京も平城京も山川道澤の考えで造られたとはいえません。

 

1000年続いた京の都

このように平安京は四神相応の優れた場所に造られました。

平安京は1000年の間、都として栄えました。

その間さまざまなできごとがあり決して平和な時代ばかりではありません。

でも、それまで100年保った都がなかった日本で平安京だけが1000年も続いたの都市設計が優れていたことの証明でしょう。

もちろん都市としての機能や立地条件、政治や経済的な要素がからみあって1000年も続いたわけです。

でもそれらの幸運を呼び込んだのも四神相応の地だったから、かもしれません。

 

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