京都の結界と陰陽師の秘密 疫病から都を守った祈り

京都の結界と陰陽師の秘密。 5)ミステリー

平安京が日本の都となって以来、京都は数々の歴史の舞台となりました。

華やかな文化が花開き多くの人々が行き交う一方で、都は幾度となく恐ろしい疫病に見舞われてきたのです。

現代のように病気の原因が科学的に解明されていなかった時代、人々は目に見えない「何か」が悪さをしていると考えました。悪霊や怨霊、得体の知れないケガレが都に病をもたらす。
そんな恐怖と向き合う中で、都を守るために人々の知恵と祈りが結集されたのです。

それが陰陽師が張り巡らせたと言われる「結界」でした。

この記事では千年以上の歴史を持つ古都・京都に隠された結界の秘密に迫ります。

陰陽師たちがどのように都を守ろうとしたのか、そしてその結界が現代の私たちに何を語りかけているのか。

歴史的な事実から現代の都市伝説まで、京都の結界にまつわる知られざる話をご紹介します。

 

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平安京を守護する陰陽道の知恵

平安時代。
疫病や天変地異が相次ぎ、都の人々は常に不安を抱えていました。
病の原因が分からないからこそ、その恐怖は計り知れません。
人々は、この世ならざる存在、悪霊や怨霊の仕業だと考えたのです。

そんな時代に都の守護を担ったのが、陰陽師です。

陰陽師はもともと天文や暦を司る役人でしたが、社会の混乱とともに、怨霊を鎮め、都を災厄から守る役割も期待されるようになります。

彼らは陰陽道という日本の古い思想に基づき、様々な術を用いて都とそこに暮らす人々を守ろうとしました。

その中で最も重要な考え方の一つが「結界」だったのです。
結界は特定の空間を聖なるものとして区切り、悪しきものの侵入を防ぐという意味を持ちました。

それは現代の感染症対策で特定の区域への立ち入りを制限することにも通じる考え方と言えるかもしれません。

 

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都全体を結界で包む「四神相応」

平安京が造られた際、都の場所選びには「四神相応(しじんそうおう)」という古代中国から伝わる風水思想が深く関わっています。

これは、都の東西南北にそれぞれ特定の地形や聖獣(四神)が配置されているのが理想的とされる考え方です。

風水における四神と地形の関係

風水では大地を流れるエネルギー「気」を守るのが四神の役割とされます。東西南北にある特定の山や川・湖などがそれぞれの四神に対応すると考えられました。

  • 北の玄武:四神の中で最も重要とされ、都の背後にある多きな山地(主山)。龍脈の終点にある盛り上がった地形を「玄武頂」と呼ぶこともあります。都を守る最も重要な砦です。
  • 東の青龍:北の主山から連なる東側の山地です。単独の山でも良いですが都を囲むように連なった小高い丘陵地が良いとされます。玄武よりも高い山であってはバランスが崩れると考えられます。
  • 西の白虎:北の主山から連なる西側の山地です。こちらも都を囲むように連なった山が理想的です。玄武を凌駕するような高さや、青龍と比べて極端に大きい、小さいといったバランスの悪さは好ましくありません。
  • 南の朱雀:都の南、北の玄武と向かい合う位置にある山や水です。玄武より低い山か、川や池、湖が理想的とされます(水朱雀)。水は気を循環させ、溜める力があるため、運気を高めると考えられます。

平安京を守る四神~本当の地形との関係~

ではこれらの風水的な四神の条件を実際の平安京にあてはめてみましょう。

  • 京都の玄武=北山
    東の比叡山、西の愛宕山など、京都盆地の北側に連なる山々。さらに奥にある丹波山地から続く龍脈の終点にあたり大地のエネルギーが流れ込む場所と考えられました。平安京の大内裏は、この龍脈の先端部分である船岡山の手前に造られました。船岡山は「玄武頂」と呼ばれることもありますが、玄武そのものではなく北山全体が玄武としての役割を果たしたと言えます。

  • 京都の青龍=東山
    大文字山から稲荷山へと続く山地が、都の東側を守ります。

  • 京都の白虎=西山
    嵐山から松尾山へと連なる山地が、都の西側を守ります。
    東山と西山は都を挟んでほぼ同じような規模で向かい合っておりバランスの取れた配置です。東山がやや高いのは青龍が白虎よりも少し強い方が良いとされる風水の考え方にも合います。

  • 京都の朱雀=巨椋池と淀川水系
    山ではなく、南側の広大な巨椋池と京都盆地を流れる鴨川や桂川、淀川が「水朱雀」として都の南側を守りました。流れる川は気を運び、かつて存在した巨椋池は気を溜める役割を果たしました。
    現在は巨椋池が埋め立てられ水朱雀の機能は弱まりましたが、千年にわたって京都が都として栄えたのはこの水朱雀の存在も大きかったと言えるでしょう。

 

四神相応

 

平安京はこの四神相応の考え方を取り入れて造られた都そのものが巨大な結界とも言える場所なのです。

四神相応については詳しく知りたい方は「平安京が四神相応の地だった本当の理由」を御覧ください。

 

俗説の四神相応

ただし、近年一般に広まっている俗説では北の玄武を船岡山とする「山川道澤説(さんせんどうたくせつ)」を元にしたものが有名になってます。

  • 東:青龍(せいりゅう) – 清流(鴨川)
  • 西:白虎(びゃっこ) – 大道(山陰道)
  • 南:朱雀(すざく) – 湿地帯や湖沼(かつて巨椋池があった)
  • 北:玄武(げんぶ) – 山(船岡山など)

これは平安時代後期の庭園書「作庭記」に由来すると言われます。この節は庭園の造りには適しているのですが、もっとスケールの大きな都市レベルの風水としては無理があります。そのため「山川道澤説」を京都の四神相応とするのは後世の俗説だと考えられています。

実際には、船岡山は都全体を守る「玄武」としてはスケールが小さすぎ、道や川の解釈にも疑問点が多いのです。

大切なのは、都市風水としての四神相応は今回ご紹介したような北山、東山、西山といった広範な地形に基づいた考え方であると理解することです。

 

疫病から御所を守る陰陽道の秘儀「四角祭」

疫病が流行の兆しを見せたとき、陰陽師たちが中心となって行った重要な儀式がありました。
それが「四角四堺祭(しかくしかいさい)」です。
この祭りは、都の中でも特に重要な場所である大内裏(天皇のお住まいや政務を行う場所)と、都全体を守るために行われました。

大内裏の四隅で行われた儀式とは

四角四堺祭は、「四角祭」と「四堺祭」の二つの儀式がセットになっています。
まず「四角祭」は、大内裏の四隅で行われました。
当時の大内裏は、現在の京都御所よりも西側に位置していました。

陰陽道では、四隅は単なる境界線ではなく、それぞれが特別な意味を持つ方角とされていました。

  • 北東:艮(うしとら)鬼門
  • 北西:乾(いぬい) – 天門
  • 南東:巽(たつみ) – 地門
  • 南西:坤(ひつじさる) – 人門

現代でも「鬼門」という言葉は有名ですが、本来はこれら四つの方角が重要でした。
四角祭では、この四隅全てで儀式を行い、大内裏全体を強力な結界で包み込むことを目的としたのです。

祭祀は日没から夜にかけて行われ、臨時に祭壇が設けられ、陰陽師によって疫神を払うための祈祷が行われました。

これらの四隅にあたる現代の場所としては、北東の鬼門に晴明神社、北西の天門に大将軍八神社などが挙げられます。

 詳しくは 平安京を守護する天門の結界

南東、南西にあたる場所は、御所が移転した後に街の様子が変わったため、当時の建造物は残っていませんが、歴史的に重要な意味を持つ場所でした。

 

都への侵入を防ぐ「四堺祭」

四角祭が大内裏を守るための儀式だったのに対し、「四堺祭」平安京への主要な入口、つまり都の国境にあたる場所で行われました。
こちらは、疫病の原因となる悪しきものが都に侵入してくるのを水際で防ごうという考え方です。

都の玄関口で行われた対策

四堺祭が行われたのは、主に以下の場所です。

  • 大枝の関(京都市西京区大枝あたり):山陰道が通り、山陰方面からの入口でした。
  • 山崎の関(大阪府島本町山崎あたり):山陽道が通り、大坂や瀬戸内海方面からの入口でした。
  • 逢坂の関(滋賀県大津市逢坂あたり):東山道(後の東海道)が通り、東国からの重要な入口でした。
  • 龍華(花)・和邇の関(滋賀県大津市和邇あたり):北陸道が通り、日本海方面からの入口でした。

これらの場所は、どれも都に向かう主要な街道が通る、いわば都の玄関口です。
関所が設けられるような、山や峠に囲まれた物理的に閉じやすい地形でもありました。

四堺祭を行った場所

四堺祭を行った場所

 

疫病を防ぐために道の関所で儀式を行うなんて、非科学的だと思うでしょうか?
でも、現代の感染症対策で最も効果的とされるのは、「人や物の移動を制限すること」です。
台湾が新型コロナウイルスの流行を抑え込むことに成功した要因の一つに、早期の渡航制限があったことは記憶に新しいでしょう。

古代の日本人も、経験的に疫病は外部から持ち込まれるものであることを知っていました。
だからこそ、人の行き交う「境」である関所で、悪しきものの侵入を防ぐための儀式を行ったのです。
原因をウィルスではなく悪霊や疫病神と考えた点は現代科学とは異なりますが、その根本にある「侵入を防ぐ」という考え方は、現代の対策にも通じる合理性があったと言えるのではないでしょうか。

 

陰陽師・安倍晴明と京都の結界

京都の結界や陰陽師の話をする上で、安倍晴明(あべのせいめい)の存在は欠かせません。
彼は平安時代中期に活躍した稀代の陰陽師として知られ、様々な伝説や逸話が現代まで伝わっています。

晴明は陰陽寮だけでなく、天皇の秘書機関である蔵人所でもその才能を発揮しました。
彼の卓越した知識と力は、都の人々から畏敬の念を持って見られていました。

現代において、晴明神社は安倍晴明を祀る場所として、多くの人が訪れる人気のパワースポットとなっています。

境内のいたるところには、晴明が使用したとされる魔除けのシンボル、五芒星(ごぼうせい)のマークが見られます。
これは「晴明桔梗(せいめいききょう)」とも呼ばれ、陰陽道において最強の魔除けの形とされています。

晴明神社が建つ場所は、かつて安倍晴明の屋敷があった場所とも伝えられており、京都の強力な結界スポットの一つと考えられています。

 

京都の有名な結界・パワースポットを巡る

京都には、歴史的な結界に関連する場所の他にも、強力なパワースポットとして知られ、結界の力を感じられると言われる場所が数多くあります。

都を守護するとされる霊場・古社

  • 比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ):京都の北東、鬼門の方角に位置し、都の守護寺として創建されました。
    強力な霊場として知られ、京都を守る重要な役割を果たしてきたと考えられています。
  • 鞍馬寺(くらまでら):比叡山のさらに北に位置し、修験道の霊場として知られます。
    天狗伝説でも有名で、独特の神秘的な雰囲気を持つ場所です。
    貴船神社との間には、かつて安倍晴明が神事を行ったという言い伝えも残っています。
  • 貴船神社(きふねじんじゃ):水の神様を祀る古社で、パワースポットとして特に女性に人気です。
    鞍馬寺との間には、かつて安倍晴明が神事を行ったという言い伝えも残っています。

これらの場所は、地理的な配置や歴史的な背景から、京都を守るための結界の一部、あるいは強力なエネルギーを持つ場所として、現代でも多くの人々に信仰されています。
実際に訪れてみると、その場の空気感や歴史の重みに触れることができるでしょう。

 

知っておきたい!都市伝説「近畿五芒星結界」

「結界」と聞いて、京都を中心とした巨大な五芒星の図を思い浮かべる人もいるかもしれません。
これは、京都から近畿地方の主要なパワースポット(例えば、元伊勢内宮、熊野本宮、伊勢神宮など)を線で結ぶと、まるで人工的に張り巡らされたような五芒星が浮かび上がる、という話です。

 

エンタメとして楽しむ都市伝説

確かに、地図上で線を引いてみると、見事に幾何学模様が浮かび上がる様子は、神秘的で非常に興味をそそられます。
メディアでもしばしば取り上げられ、広く知られるようになりました。

でも、これは現代の人が考え出した「都市伝説」と言われています。
残念ながら、古代の人々がこれほど広大な範囲で、正確な測量技術もない時代に、巨大な五芒星を意図的に作り上げたという歴史的な根拠は見つかっていません。
エンタメとしては非常に面白く、「レイライン」のように大地のエネルギーを感じさせる説として楽しむのも良いでしょう。
いわば「線引モノ」として、ファンタジーの世界を楽しむための話だと理解しておくのが良いでしょう。

重要なのは、これが史実としての「京都の結界」とは異なる、ということです。
私たちの祖先は、このような現代的な幾何学模様ではなく、今回ご紹介した四神相応や四角四堺祭のように、当時の知識と技術、そして切実な祈りをもって都を守ろうとしました。
都市伝説を楽しむのも良いですが、古の人々の知恵や想いに目を向けることも、また大切なことだと思います。

まとめ:京都の結界は、古の人々の知恵と祈りの結晶

この記事では、平安京が疫病や災厄から身を守るために、陰陽師たちがどのように「結界」という考え方を取り入れ、様々な儀式を行ってきたのかをご紹介しました。
都全体を風水に基づいて配置した四神相応。
大内裏を守る四角祭。
そして都への侵入を防ぐ四堺祭。
これらは、科学技術が発達していなかった時代に、人々が必死に考え、実行した知恵と祈りの形でした。

現代の私たちから見ると、呪術的で非科学的に思えるかもしれません。
でも、そこには「目に見えない脅威から大切なものを守りたい」という、古の人々の切実な願いと、当時の知識の中で最も合理的だと信じられた対策があったのです。
都市伝説のような派手な話だけでなく、こうした地道な努力や祈りがあったからこそ、京都は千年以上も日本の歴史の中心であり続けることができたのかもしれません。

京都を訪れる際は、ただ美しい景色を楽しむだけでなく、この記事でご紹介した結界にまつわる場所にも足を運んでみてはいかがでしょうか。
古の人々が都を守るために込めた想いや、千年以上の歴史の重みを感じることができるはずです。
きっと、いつもとは違う、より深く神秘的な京都の魅力に触れることができるでしょう。

 

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名前:たかふみ
開運研究家。京都市在住。歴史・伝説・神話や神社仏閣を研究しその魅力や開運方法を紹介しています。
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