こんにちは。たかふみです。
城南宮は京都市南部、鴨川の近くにある神社です。
前回、城南宮の歴史や本殿についてお話しました。
今回はそのつづき。
城南宮のルーツのひとつといえる真旗寸神社(まはたきじんじゃ)を紹介。
城南宮のルーツ?謎の真旗寸神社
城南宮の敷地内には、摂社として真旗寸神社(まはたき じんじゃ)があります。
ここの摂社は何の神様を祀っているのか分かりません。
説明書きはまったくありません。
観光できた人は素通りすると思います。
城南宮の歴史を書いた記事:城南宮・京都の南を守る方除けの神様を読んだ方なら。
真旗寸神社って、城南宮の昔の名前じゃないの?
と思うかもしれません。
もともと真旗寸神社があったところに、平安京が出来るときに国常立尊をあわせて祀って城南宮という名前にした。というのが城南宮の始まりということになってます。
明治になって真旗寸神社になって、戦後にまた城南宮になった。そのときに真旗寸神社は摂社にしてここに移したみたいなんですね。名前が変わっただけなら分ける必要ないじゃないかと思うかもしれません。
でも、どうやら真旗寸神社と城南宮は別々に存在したんじゃないかという説もあるんですね。
城南宮は京都市内の上鳥羽、下鳥羽、竹田地区の氏神ですが、真旗寸神社は竹田地区の人たちから特に信仰されているとのことです。
事実、この近くには竹田真旗木町という地名があって、もともとはそこに真旗寸神社があったともいわれています。
なので、もともとは竹田地区の神様だったのかもしれません。
ちなみに、真旗寸神社の神紋は「三葉葵」。
でも、徳川家とは関係ありません。
江戸幕府も気になったらしく「神社の由来を教えてくれ」という質問があったらしいです。
謎です。
城南宮にまつわる話
珍しい三光の御神紋
神社には御神紋があります。
神紋とは神社の家紋みたいなものです。
同じ神様を祀っているところは同じ御神紋のことが多いです。
城南宮の御神紋は他ではみかけない珍しいデザインです。
「三光の御神紋」と言って、太陽、月、星を表しています。
神様の力が昼夜の区別なくいきわたることを意味するようです。
この紋は神功皇后が掲げた旗のデザインが元になっているそうです。
神功皇后は城南宮に祀られている神様です。
でも、神功皇后がご祭神のになっている神社は菊紋が多いです。神功皇后は皇室の祖先ですから菊紋が多いのは分かります。
神功皇后本人のエピソードに由来する紋というのは珍しいですね。
一寸法師伝説と鳥羽の地
昔話で有名な「一寸法師」。
一寸法師は、難波の浦からお椀の船に乗って、「鳥羽の津」に上陸。
その後は歩いて都に来たことになっています。
一寸法師が住んでいた(物語の中での話ですが)のは今の大阪市難波付近あたりと言われています。そのあたりを流れる木津川から淀川に出て、川をさかのぼって都に来たのでしょう。淀川は京都に入ると桂川と鴨川に分かれます。その分岐点が「鳥羽」の地です。この土地に都と難波を往来する船の港として「鳥羽の津」がありました。城南宮は「鳥羽の津」のすぐ近くにありました。
一寸法師はこの鳥羽の地に上陸し都の中心部へ歩いていったことになります。
現在では自動車や鉄道が発達したので河を使って物や人を運ぶことはなくなりました。
でも、平安時代から江戸時代にかけて、京と大坂の物の行き来は淀川の船で行われていたのです。平安時代には鳥羽の津のあたりも栄えていたそうです。城南宮は鳥羽に住む人達の氏神としても信仰されていました。
現在では鳥羽の津の面影はありません。鴨川の流れが変わってしまったのと、南北朝時代の戦で付近一帯が燃えてしまい衰退してしまったからです。その後、水運の拠点として栄えたのが伏見でした。
かろうじて城南宮が残り平安の雅な雰囲気を今に伝えています。
知られていない幕末の歴史と城南宮のかかわり
幕末ファンなら誰もが知ってる伏見鳥羽の戦い。
薩摩長州連合軍と幕府軍が戦かい、幕府衰退を決定的にした歴史上にも重要な戦いです。
城南宮から南のあたりでは鳥羽の戦いが行われました。
城南宮の敷地に薩摩藩の陣地が置かれました。
参道には薩摩藩の大砲が並べられ、この陣地から放たれた大砲によって伏見鳥羽戦いが始まったといわれています。
同じ時に行われた伏見の戦いでは薩摩藩は御香宮に陣地を置きました。
ご存 知の通り鳥羽・伏見の戦いでは、薩摩長州連合軍が幕府軍を破りました。
奇しくも神社に陣地を置いた側が勝ったのです。
後世の書物や歴史ドラマでは、最新式の武器を持ち、錦の御旗のある薩長連合軍が勝っ て当たり前のような言われ方をしています。現代の我々は結果を知ってるから簡単に勝てたと思ってるだけです。
でも実際には鳥羽の戦いでは幕府軍もフランス式の近代的な軍隊を送り込んでいます。錦の御旗も最初から出ると決まっていたわけではありません。数では幕府 軍有利です。戦力の少ない薩長連合軍としてはぎりぎりの戦いでした。薩摩軍としては一時撤退も考えていたほどです。錦の御旗の到着が遅れていたら歴史が変 わっていた可能性もあります。
最終的に薩長連合軍は勝てました。
もちろん、さまざまな勝因はあったと思います。
鳥羽伏見の戦いの後、薩摩軍は勝てたのは神のご加護と感謝して城南宮にお礼参りに訪れました。
神の力に感謝したいほど苦しい戦いだったという事でしょう。
あまり有名にはなってませんが、さまざまな歴史の場面で城南宮は歴史に関わって来ました。
まだ書ききれないエピソードはあります。
そういった、神社の歴史を知るのも楽しいものです。
以上、たかふみでした。
アクセス
JR京都駅から
・京都市バス 19系統 城南宮 下車 徒歩2分
・京都らくなんエクスプレスREXバス
土日祝
京都駅八条口から 城南宮前 下車 徒歩1分
平日
油小路城南宮 下車 徒歩 徒歩5分。
平日と土日祝ではルートが変わります。
・車
駐車場有。200台。無料
名神高速道路:
名古屋方面から京都南インターチェンジおりる。
大阪方面から京都南インターチェンジ第2出口おりる。
インターチェンジおりて国道1号線を大阪方面へ向かい、1つ目の信号越えたらすぐ。
Official Website :https://www.jonangu.com/
住所:京都市伏見区中島鳥羽離宮町7番地
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