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田中神社・京都伏見で勝ち馬の神様

京都市伏見区に鎮座する田中神社。

同じ名前の神社は京都市内にも何箇所かあります。
こちらは建速素盞嗚尊がご祭神の別の神社です。

伏見の田中神社は洪水で社殿が流されも無事だった。
という代わった経歴の神社です。

現在は勝ち馬の神様としても信仰されています。

目次

田中神社のご利益

勝ち馬、子宝、安産、子孫繁栄の田中神社

御祭神

建速素盞嗚尊(たけはや すさのおの みこと)、櫛名田姫命(くしなだひめの みこと)、八柱御子神(やはしらの みこがみ)

厄除け開運、家内安全、安産、子宝、子孫繁栄の神様です。

櫛名田姫命は素盞嗚尊の奥さん。八柱御子は二人の子供です。八人いることから八柱の御子と呼ばれます。子だくさんですね(戦前は珍しくなかったかもしれないけど)。つまり一家でご祭神になってます。

 

田中神社

田中神社看板

 

田中神社は馬の神様でもあるんですね。勝ち馬ってことは、競馬?。
そうです。近く京都競馬場があるんです。馬券を当てたい競馬ファンも訪れます。

疳の虫の神様、北向虫八幡

境内には疳の虫の神様。北向虫八幡もあります。
「夜泣き、疳の虫封じ」の神様です。

平安時代。憲平親王(後の冷泉天皇)の癇の虫が酷かったので、母親の藤原安子がこの八幡様に祈願したところ、治ったと伝えられています。

珍しく、社殿が北側を向いてますがこれは都の方角を向いているからです。
都を守るようにとの願いが込められています。

北向虫八幡

北向虫八幡

田中神社の由緒

伏見稲荷の摂社に田中神社がありますがこちらの田中神社とは関係ありません。

平安時代後期、治暦年間(西暦1065~1069年)に祇園感神院(現在の八坂神社)より、神様を別けて頂いて「牛頭天皇田中神社」となりました。

当時は今よりももう少し北の下鳥羽田中里に社殿がありました。
田中という里にあったから「田中神社」なんですね。

でも戦国時代の天正年間(西暦1573~1592年)に起こった大洪水で本殿が流されてしまいました。幸いにも現在の場所に漂着したのですが社殿は無事でした。この奇跡に氏子達が驚いてここを神社の境内にして盛大な祭りを行ったということです。

普通、洪水で建物が流されたらもう駄目だって思いますよね。それが流れ着いた先で無傷で残ってたら、そりゃあ驚きます。

現在は下鳥羽田中という地名はありません。
今の名神高速、京都南インタージェンジのあたりと思います。

田中神社拝殿

田中神社拝殿

現在の本殿は文化13年(西暦1816年)、拝殿は平成8年に建て直されたものです。

見所

馬券もあたる?勝ち馬の神様

田中神社は馬の神様です。でも何で馬なのでしょう。牛頭天皇なら牛じゃないの?と思うかもしれません。

その疑問に答えてくれる資料はありません。

でも確かな事は、このあたりはかつては農地が広がっていて農耕用に馬が飼われてました。農民にとって馬は家族でもあるし財産でもあります。田中神社はこの地域の産土神です。しかもご祭神はなにやら動物に縁のありそうな牛頭天王です。そこで氏子の人々は田中神社に大切な馬の無事を願ったのではないでしょうか。

現在では馬を飼う家はなくなりました。でも大正時代には近くの淀に京都競馬場が作られたため、現在では勝ち馬の神様として信仰されています。

境内には境内に生えていた木を利用して作った馬の像が置かれています。氏子の方がつくったといいます。一本の木から作られた味わいのある馬の像です。

左がメス。

田中神社雌馬

田中神社雌馬

右がオスです。

田中神社雄馬

田中神社雄馬

立派な馬です(なにが?)。

なにやら子宝に恵まれそうな像ですね。
この像に手を合わせる競馬ファンもいます。

アクセス

 

・京都市バス
 府道横大路 下車 徒歩1分。

 横大路車庫 下車 徒歩5分。

 

住所 京都府京都市伏見区横大路天王後51

 

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伏見へは京都駅周辺で宿泊しておとずれると便利です。

京都駅周辺は宿や飲食店が多く
旅の拠点にはぴったりです。

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