バレンタインデーの意味と由来

チョコレート

2月14日はバレンタインデーです。

日本では女性が男性にチョコレートを贈る日になっています。

でもナゼでしょうか?

聖バレンタインはキリスト教の聖人です。聖バレンタインを祝う日はキリスト教圏で広まりました。

でもなぜ聖バレンタインを祝わないといけないのでしょうか?

目次

バレンタインの由来

古代ローマのルペルカリア祭

バレンタインデーの起源のひとつといわれるのが古代ローマ時代の「ルペルカリア祭」です。

2月13~15日に行われた「ルペルカリア祭」は悪霊除けと子孫繁栄の願いが込められたお祭りでした。

ローマの建国神話ではロムルスとレムスの双子の兄弟は狼に育てられたといわれます。その故事にちなんで奇妙な儀式が行われました。

主神ユピテルの神官の立ちあいものもと、祭壇で羊が生贄にされます。その後、二人の半裸の男性が祭壇の前にすすみ、生贄の血を額に垂らした後、ミルクで拭き取ります。そして二人の男性(ロムルスとレムス)は生贄の皮で作ったヒモを持ち、笑いながら左回りで広場を走り回らなければいけません。そして二人は広場を走りわまり、出会った人びとをヒモで打ちます。男性が持つ皮のヒモは「フェブルア」とよばれ「浄化」の力があるとされました。

このとき若い女性がヒモで打たれると「子宝に恵まれる」と信じられました。

現代人からみるとなんともおかしなお祭りです。でも古代ローマの人びとは本気で信じていたようです。

でも若い男女は関係しているものの「男女の愛」のためではなく、「子孫繁栄」のためのお祭りでした。

やがてキリスト教がローマ帝国の国教になると「野蛮な異教の祭り」は批判にさらされます。

西暦494年。ローマ教皇・ゲラシウス1世は「ルペルカリア祭」を批判。中止させました。

その後。西暦496年。ゲラシウス1世は2月14日を「聖バレンタインの日」にしました。

ローマ教会としてはキリスト教の神以外の祭りをするのは許せません。にもかかわらず相変わらずローマの神の祭りを続け、しかも男が半裸で走りまわり若い女性をムチ討つという野蛮な祭りには我慢できなかったのです。

ルペルカリア祭とバレンタインデーの関わりについては否定する学者もいます。

また2月14日女神ユノーの日に青年たちが恋人を決めるため、乙女の名を書いたくじを引いて選んだ。という説もあります。でもこれはキリスト教側がローマ信仰の野蛮さを広めるためにでっちあげた作り話ともいわれます。

いずれにしても。

古代ローマの祭りが廃止になり。その後作られたのが聖バレンタインの日なのは確かでしょう。

聖バレンタインは誰?

聖バレンタインはキリスト教の聖人です。

ではバレンタインデーで祝っている聖バレンタインとはいったいどんな人でしょうか?

実は聖バレンタインは誰なのかはわかりません。

聖バレンタインと呼ばれる人は3世紀だけでも二人いて、他の候補もいれると10人以上はバレンタインという人がいるのです。

ローマ教会が聖人に認定したのに正体がわからないとはどういうことでしょうか?

聖バレンタイン伝説

聖バレンタイン伝説には様々な説があります。

そのモデルになったのが3世紀に布教活動していたウァレンティヌス(Valentinus)。

3世紀のキリスト教はまだ新興宗教。皇帝クラディウスの迫害を受けていました。ウァレンティヌスは布教活動の途中で絞首刑になってしまいます。

ウァレンティヌスがなぜ処刑されたのかはいくつか伝説があります。

その1 男女の結婚を仲介して処刑

ローマ皇帝クラウディウス2世の治世。ローマは領土拡大のため各地で戦争をしていました。そのためたくさんの兵を集めないといけません。ローマには「結婚していれば徴兵を免れる」という法律がありました。そこで皇帝は兵を集めるため一定期間、結婚を禁止しました。ところがウァレンティヌスは密かに若い男女の結婚式を行いました。でもウァレンティヌスは見つかって投獄。西暦296年2月14日。投石ののち絞首刑になりました。

その2 看守の娘と恋仲に

ウァレンティヌスはローマの神を信仰するのを拒否して投獄されました。看守の娘は目が見えませんでしたが、牢獄のウァレンティヌスのもとを訪れては説法を聞いていました。あるとき娘は目が見えるようになります。奇跡を信じた家族はキリスト教に入信。皇帝は怒ってウァレンティヌスを処刑しました。処刑の前日、ウァレンティヌスは「あなたのウァレンティヌスより」と署名した手紙を娘に贈ったといいます。

その3 裁判官の娘を治療

別の話ではウァレンティヌスが直したのは裁判官の娘だったといいます。裁判官の家で監禁中、裁判官はイエスの教えの正当性をテストしようとしました。そこで盲目の娘を連れてきて、ウァレンティヌスが娘の目を治したら彼の言うことを信じると言いました。ウァレンティヌスは娘の目を見えるようにしました。裁判官は改心して一族そろってキリスト教に入信。ウァレンティヌスを釈放しました。ところがそれを知った皇帝が怒ってウァレンティヌスを捕らえて処刑。処刑の前日に娘に手紙を贈る。は看守の話と同じ。

他にも結婚したカップルに自分の庭からつんできた花を贈った。迫害されているキリスト教徒を助けた。とか、投獄されているウァレンティヌスのもとには共感した若者が、花束や手紙をもって訪れ「戦争よりも愛を訴えた」ウァレンティヌスを讃えた。とか。

と様々な逸話が追加され聖人伝説が膨らんでいきます。

ところがこれらの話はすべて本当ではなさそうですし。一人の人物の話でもなさそうです。

処刑された人物についても。

・ローマの司祭。

・インテラムナ(イタリアのテルニ)の司祭。

・ローマ帝国領アフリカで布教活動していた聖職者。

など複数の説があります。

ゲラシウス1世はいったい誰を聖人にしたのでしょうか?

296年に殉職者がいたのは間違いないようです。でもゲラシウス1世の時代から200年も前の人物です。具体的な内容はわからないまま聖人伝説が独り歩きしていったようです。要するに、ゲラシウス1世は異教の祭りを消すことができれば誰でも良かったのではないでしょうか。

しかもこれ以外にも10人以上の「バレンタイン」という名の殉職者がいます。様々な地域や宗派で聖人として崇拝されています。「バレンタイン」の名は殉職者の代名詞として何度も登場することになります。

ちなみに現在のカトリックでは「聖バレンタイン」は聖人からは外されています。実在が不確かな人物は聖人とは認めないからです。

恋人の守護聖人になったのは中世になってから

聖バレンタインが何者かはわからないにしても。聖バレンタイン中世には干魃などで食料が採れないときに祈りを捧げる対象になっていたようです。古代の祭りとも現代のバレンタインデーとも違いますが、少なくとも聖バレンタイン信仰は生きていたようです。

聖バレンタインが恋人たちの守護聖人になったのは14世紀ごろ。

1382年。イギリスの詩人ジェフリー・チョーサーが「百鳥の集い」と題した詩を発表。

その詩の中では鳥と恋人たちを詠ってます。

有名な部分を抜粋すると

「鳥たちすべてがつがいになる日
バレインタインの日はそのためにある」

とあります。

この詩はイギリス国王リチャード2世が婚約して1周年のときにチョーサーが発表しました。

他にもヨーロッパの詩人たちがバレンタインと鳥たちと恋人を関連付けて詩を作り発表しました。

詩人たちが鳥とバレンタインを結びつけた理由はよくわかりません。でも。

ヨーロッパでは鳥が春のおとずれを告げる生き物として知られていました。ヨーロッパでは春になるとツバメやワタリガラスなど様々な鳥たちがやってきてペアを作り子育てを始めます。

人間にとっても春は厳しい冬が去ってウキウキする季節です。そこで鳥と恋人を結びつけたのでしょう。

宮廷愛の流行

14~15世紀のヨーロッパは宮廷愛が流行した時代。貴婦人と貴族たちの恋愛を題材にした作品も作られました。その中で「春の恋人たち」が題材になり、恋人たちの守護神的な聖人のニーズも高まっていきます。

シェイクスピアのハムレット(1600~1602年ごろ)でもバレインタインの日が登場します。

様々なメディアでバレンタインと恋人が関連付けられて発表されるようになりました。

イギリスで贈り物が発展

贈り物をする文化の強いイギリスでは、バレンタインデーはさらに進化します。

イギリスはキリスト教国ですが、ローマ教会の影響が弱いのでヨーロッパ大陸とは違った習慣が生まれました。

ヨーロッパ大陸では聖人の日のイメージが強いのですが、イギリスではキリスト教的なものをヒントにした様々な商売やイベントが生まれます。

18世紀になると恋人たちが花やお菓子、グリーティングカードを贈るようになりました。19世紀にイギリスでは郵便が発達。バレンタイン用のグリーティングカードが多数発売されました。バレンタインにグリーティングカードを贈るのがブームになります。

贈り物文化が盛んなイギリスでは現在でも男女を問わずバレンタインの日には贈りものをします。花、グリーティングカード、お菓子、チョコレートだけではなく様々な贈り物があります。

イギリスで始まった「バレンタインに贈り物」の文化は英語圏に広まりました。

アメリカで更にヒートアップ

19世紀。イギリス以上に商業活動に熱心なアメリカではバレンタインも関連業界の「かきいれ時」になります。

1823年には詩が作れない人でもお手軽に恋人に贈るグリーティングカードが作れるように。ロマンティックな詩の例文がされた「バレンタインライターズ」という本が発売されました。その大半はイギリスで発売されたもののコピーだったみたいですが。既製品に満足できない人たちにウケてアメリカでは大ヒット商品になります。

20世紀に入るとバレンタインはクリスマスに継ぐ経済効果が見込めるイベントに成長しました。

今では香水・化粧品・装身具など贈り物も豪華になりました。おもしろいのはバレンタインのためにプレゼントを買うのは男性が多いこと。恋人へのプレゼントを渡す日なので女性が贈るとは限らないのです。

日本のバレンタインとはかなり違いますね。日本で広まっている習慣でも元になった行事や外国の伝統とはかなり違うことが多いのです。

よかったらシェアしてね!

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次