お寺にお参りするときはどうすればいいのでしょう。
お寺や宗派によって決まりごとがあることもありますが、
神社の参拝とよく似ています。
建物にご本尊を置いてお参りするという形になったのは神社よりもお寺の方が先なんですね。神社の建物はお寺の影響でできたようなものですから作法も似ているのも当然かもしれません。
でも、ところどころ違うところもありますので気をつけましょう。
山門をくぐるとき
お寺に入る前には門をくぐります。
この門のことを山門といいます。
お寺が山に建ってなくても山門です。
人間の世界と仏様の世界を別ける境界線の役目をします。
結界なんです。
山門の手前で軽くお辞儀するか、手を合わせます。
門の敷居は踏んではいけません。
またいで入ります。
身を清める
山門をくぐると手を洗う場所があることがあります。
手水舎(てみずや)といいます。
神社と違ってない事も多いです。
神道が「けがれ」というものを気にするのに対して仏教ではあまり気にしません。だから、仏様にお参りするときでも水で身を清めるということはあまりないです。
手水舎があるときは次のような手順で身を清めます。
・右手で柄杓を持つ。
・柄杓で水をすくう。溜まっている水でも、流れている水でもかまいません。
・左手を洗う。
・右手を洗う。
・左手に水をためて、その水で口をすすぐ。
柄杓に口をつけてはいけません。
・残った水で柄杓の柄(持つところ)を洗い流す。
この動作を、柄杓一回分の水で行います。
何度も水をくんではいけません。
また場所によっては水がきれいでないところもあるので、そのときは唇をつけるだけでもかまいません。
お寺によっては水の変わりに、線香をたいたり、ろうそくをともしたり、煙を浴びたりするところもあります。お寺のやり方に従ってください。
神道では水の清める力を大切にしているのに対して、仏教では必ずしも水の力に頼っているわけでではないんですね。火だったり煙だったり、宗派や祀られている仏様によって違ってきます。
祈りするとき
参拝者がお参りする場所は本堂の前が多いです。
たいていは賽銭箱が置いてります。
神社と大きく違うのは手を合わせるときに、音をたてないことです。
静かに手を合わせます。
一般的な手順はこのとおりです。
・帽子をぬいで、軽くお辞儀する。
・賽銭箱にお賽銭を入れる。
・鈴があれば鳴らす。
・両手を合わせて深くお辞儀をする。
・できれば唱え言葉をする。
・お祈りする。
・もう一回深くお辞儀をする。
唱え言葉
仏教では水の清めや拍手よりも願いの言葉が大切になってきます。
唱え言葉はなくても通じるといわれてますが、できれば宗派や仏様にあわせた唱え言葉をしたほうがいいです。
主な唱え言葉は次のとおりです。
唱え言葉は宗派ごと違います。
ご本尊に祈る言葉でもかまいません。
・宗派別の唱え言葉
例:
浄土宗・浄土真宗: 南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)
日蓮宗 : 南無妙法蓮華経 (なむみょうほうれんげきょう)
真言宗 : 南無大師遍照金剛 (なむだいしへんじょうこんごう)
・ご本尊別の唱え言葉
本尊の名前の前に南無(なむ)を付けます。
南無というのは仏教用語で「帰依します」という意味ですが。「心から信じて従います」という誓いの言葉です。
○○様、心から信じますので力を貸してください。という意味ですが
仏教は古代インドで生まれて中国を経由して伝わった宗教なので、お祈りの言葉も当時の言葉を漢字で表現したものになってます。
例:
観世音菩薩: 南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)
阿弥陀如来: 南無阿弥陀如来(なむあみだにょらい)
薬師如来: 南無薬師如来(なむやくしにょらい)
不動明王: 南無不動明王(なむふどうみょうおう)
もしわからないなら無理に唱える必要はありません。
熱心にお願いすれば通じると思います。
お賽銭
お賽銭は金額が多いからと言って、効果が高いというわけではありません。
仏教でのお賽銭はお布施の一種です。
もともとお布施とは願いを込めて自分の物を他のものに分け与えることです。
そうすることによって、自分の魂の得が高まるとされました。
なので、修行の一環として行われたものです。
今の自分ならこれくらい出してもいいなという気持ちの問題です。
以上の様な、決まりごとはありますが。
基本は他の人の家に行ってお願いするのと同じ礼儀の問題です。
自分より偉い人の前ではどうするのかを考えて行動すれば失礼には当たらないでしょう。
当然ですが、建物を傷つけたり勝手に物を持ち帰ったりするのはいけない事です。
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