京都市北部にあって豊かな自然に囲まれた鞍馬山。
牛若丸伝説が有名ですね。
古来より修行の場として山そのものが聖なる場所として信仰されてきました。
現在でもパワースポット好きにとって聖地ともいえる存在です。
鞍馬の山に登ることは都会に住む人にとっては自然に触れ合う貴重な機会にもなります。
鞍馬山のご利益
鞍馬山のご本尊は「尊天」といいます。
特に決まった姿はなく、三つの姿をとって現れるといいます。
それぞれの姿は、次のような働きがあるといわれています。
千手観世音菩薩 は愛
毘沙門天王 は光
護法魔王尊 は力
鞍馬山は生命のエネルギーがあふれている場所と言われています。
鞍馬寺の由緒
奈良時代末期の宝亀元年(西暦770年)このことです。
鑑真と一緒に唐からやってきた弟子に鑑禎という人がいました。
鑑禎上人は、夢のお告げで山城の国(京都府南部)に霊山があるというので探しに行きました。するとある山の上の方に白馬がいるのが見えました。馬は宝の鞍を乗せていました。
気になったので山に入ってみると、女の鬼に襲われてしまいました。殺されそうになりましたが、寸前のところで木が倒れてきて鬼が下敷きになり、鑑禎上人は助かりました。
次の日、倒れた木をよく見てみると毘沙門天の像がありました。
毘沙門天が助けてくれたと思った鑑禎上人は、庵を作って毘沙門天を祀る事にしました。
さらに時は流れて、平安時代の事です。
延暦15年(西暦796年)。
藤原氏の一人で造東寺長官(東寺建設の最高責任者)の藤原伊勢人がいました。
伊勢人は日ごろから観世音菩薩を信仰しており、いつか観音堂を作りたいと考えていました。
あるとき、夢のお告げでいい場所があるというので鞍馬山に行きました。
すると白馬がいます。
馬の後を追っていくと毘沙門天を祀った小さな建物を見つけたのでした。
伊勢人は「自分は観音様を信仰してるのに、なんで毘沙門天のところに来たんだ?」と不思議に思いました。
その日の夜。
夢に童子(子供の姿をした神様)が出てきて「観音も毘沙門も名前が違うだけで、もとは同じものなのだ」と言いました。
そこで藤原伊勢人は千手観音の像を作って、毘沙門天と共にお祀りする事にしました。
それが鞍馬寺の始まりだといわれています。
別のいいつたえでは藤原伊勢人の夢に出てきたのは、貴船神社の神様だといわれています。
以後、鞍馬寺は真言宗や天台宗の一派として続いていました。
昭和22年(1947年)に独立して独自の教えを伝える鞍馬弘教・総本山となります。
古来より修験道の聖地でもあり、山岳信仰の場として、宗派に関係なくさまざまな人が霊力を授かろうと修行に訪れていました。
現在伝わっている鞍馬寺の教えが仏教に古神道、陰陽道、修験道などが混ざったものになっているのはそのためなんですね。
鞍馬山の案内
鞍馬駅
鞍馬山に行くときは、叡山電鉄が便利です。
貴船神社に行くときも叡山電鉄を利用したほうがいいです。
鞍馬寺に行くときは鞍馬駅でおります。
車でも行けない事はないですが、山道なうえに駐車場を見つけるのも大変です。
鞍馬寺は駐車場を用意していません。
車はやめたほうがいいです。
鞍馬駅には「鞍馬の火祭り」で使う松明を展示してあります。
これは中松明というものです。重さ60kgと書いてありました。
中・高生が担ぐやつです。60kg?人間を担ぐのと同じ?
ちなみに大人用は120kgです。凄いです!
駅を出ると天狗のオブジェがお出迎え。
鞍馬に来たという雰囲気が高まります。
鞍馬山へ登る
鞍馬駅から歩いていくと、鞍馬寺の入り口がありました。
ここから先は石段になってます。
本堂までは大人の足で30~40分といわれます。
実際には途中でさまざまなところを見てたら1時間くらいかかります。
体力に自信のない方はケーブルーカーに乗ることが出来ます。
石段を登っていくと、仁王門があります。
現在の山門は明治44年に再建されたものです。
さらに石段を登ると、普明殿があります。
ここには毘沙門天が祀られています。
ケーブルカーの駅もここにあります。
ケーブルカーに乗れば本堂の下の多宝塔まで行けます。
由岐神社 に行く場合は、ここでケーブルカーに乗らずに石段を登ります。
今回はケーブルカーには乗らずに歩いて登りました。
由岐神社が見えてきました。右に行くと鞍馬寺です。
先は長いです。
道中の自然も楽しみましょう。
この時は5月だったので、まぶしいほどの緑がきれいです。
まだまだ先は長いです。
続きはこちらです。
それ以外の鞍馬山の記事
アクセス
・電車
京阪電車 終点出町柳駅下車。
叡山電鉄に乗り換え 鞍馬駅下車。
徒歩。
・駐車場はありません。
Official Website
住所 京都市左京区鞍馬本町1074番地
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