黄蝶は幸運の生き物・その理由とは?

モンキチョウ

昔から蝶やトンボなどは縁起のいい生き物といわれていました。中でも黄色い蝶は幸運の生き物と考えられていました。

寒さがいちだんと厳しくなってきた冬のある日。

玄関を出ると黄色い蝶がとまっていました。

「こんな冬に黄蝶を見るなんて運がいい!」

蝶を見ただけなのになんだかわくわくしますね。

冬場にはあまり蝶は見かけません。ですから何かいいことがあるんじゃないかと思ってしまいます。

そこで黄蝶にはどんな意味があるのか紹介します。

目次

蝶を見ると幸運になる

蝶にまつわる言い伝えはいくつかあります。

その年の最初に黄蝶を見ると素晴らしい年になる。

最初に観たのがシロチョウなら穏やかな年になる。

蝶が部屋に飛び込んでくると運がよくなる。
明るい色の蝶なら恋人と出会える。
アゲハチョウや黒っぽい蝶なら仕事運が上昇する。

このとき殺したり捕まえたりしてはいけません。せっかく入ってきた幸運ですし。生き物に危害を加えることは運を逃がすことにもなります。

黄色は金運と健康運

黄色い蝶というのも意味があります。

風水的には「黄色」は「金運」や「健康運」を意味します。

「黄色」が金の色に似ているからという理由もありますが。それだけではありません。風水のもとになった「五行説」では世の中の物を「木火土金水」で表現します。

黄色は土の属性です。

五行説の中では「土」は、他の属性「木・火・金・水」を調整する役割を持ちます。バランスをとるのが土の役目なんですね。

人間の体ならバランスが崩れると病気になります。だから土を意味する黄色は健康運になるんです。

五行説では土は大地を意味します。「大地は気(エネルギー)をためている場所」です。そして「土」という字は、大地から物が頭を出している様子をデザインした文字です。つまり「土」には「ためている大地のエネルギーを放出する」という意味があるんですね。

エネルギーが放出されることが物が生まれます。だから土には物を生み出す力があると考えられました。現実に金などの鉱物は土から産まれます。だから土の属性を持つ黄色は金運向上の意味があるんですね。

蝶が縁起のいい生き物なのはなぜ?

日本では古来より縁起のいい生き物とされてきました。

発音が「長」や「丁」と同じことから縁起がいいとされてきました。ダジャレではありません。
日本には言葉には霊魂が宿る「言霊」があります。「言霊」の力が働くと言葉にしたことが実現するという考えです。だから似た発音でも同じ意味として働くことがあるんです。

「長」は「優れている」。長じていると言えば、熟練しているという意味ですし。◯◯の長と言えば最も優れた人やトップのことです。
「丁」は「整っている」という意味があります。丁寧(ていねい)や丁度いい(ちょうどいい)といいますね。

蝶は家紋や花嫁衣装の模様としても使われました。単に綺麗だから使われているのではなく、縁起がいいからなんです。

また蝶は「卵」「幼虫」「蛹」「成虫」と変化します。生物学の世界では「完全変態」といいます。

しかも蝶は幼虫という一見奇妙な生き物が蛹というまるで生物ではない無機物のような塊になり。そこから美しい姿を持つ生き物に変化します。そのため古代から「蝶は凄い能力を持った生き物ではないか?」と考えられました。

蝶=進歩・幸運・美しさ・優雅さ を象徴する生き物になったのです。

ギリシア・ローマ神話から

ギリシャやヨーロッパ圏の古い言い伝えでは蝶は死者の魂と考えられていました。蝶がやってくると「祖先が見守ってくれている」と考えられたのです。

ギリシア・ローマ神話ではアモールとプシュケーの話があります。ローマの詩人が書いたものなので正式には神話ではないのかもしれませんが。当時のローマ人の価値観をよく表現しています。この話ではアモールは愛の神。アモールの別名はクピト(キューピット)、愛の弓矢で人々を恋 に落とさせる愛の神です。ギリシアでは「エロース」ともいいます。美の女神ヴィーナス(ギリシアではアフロディーテ)の息子です。プシューケは英語では心を意味するサイコ(psycho) という言葉の由来にもなりました。

この話ではアモールが人間の娘プシュケーに恋をして様々な困難の後にプシュケーは神になってアモールと結ばれます。物語ではプシュケーが蝶になったという記述はありません。

でも神話を題材にした絵画などでは神になったプシュケーは蝶の翼を持つ女神として描かれることがあります。古代ギリシア語のプシューケは蝶を意味するとともに霊魂も意味しています。古代ギリシア・ローマ人も魂は不滅と考え、蝶を魂の象徴として考えていたようで す。

キリスト教

ギリシア・ローマ人の考えはキリスト教でも取り入れられました。蝶が「復活、不死や魂の象徴」と考えられたのです。

蝶は聖書には載っていません。でも宗教絵画などの芸術の分野ではよく見られます。神がアダムに魂を吹き込む場面では、魂のビジュアル化として蝶や鳥が用いられることがあります。

本来聖書になかった蝶がキリスト教で魂の象徴として描かれるのはギリシア・ローマ神話の影響があるのです。

キチョウは親のままで冬を越す珍しい蝶

今回僕が観たのはこの蝶です。

キチョウ

一瞬「モンキチョウかな?」と思いましたが、模様が違うので「キチョウ」だとわかりました。

モンシロチョウなんかと同じシロチョウ科の仲間。黄色い蝶といえばモンキチョウがよく知られています。キチョウはモンキチョウよりもやや小さい。可愛らしい蝶です。沖縄から九州、四国、本州にいます。

モンシロチョウの幼虫はキャベツを食べるのは有名ですが、キチョウの幼虫はハギやネムノキ食べます。だから山や野原で見かけることが多いですね。住宅地にはあまりいませんし、田畑がある場所でもたまにしか見かけません。それだけに貴重な蝶なんですね。

蝶の冬の過ごし方はいろいろです。卵で冬を越すものもいるし、アゲハチョウのようにサナギで冬を越すものもいます。成虫は越冬します。キ

チョウは成虫のまま越冬します。同じシロチョウ科の仲間でもモンシロチョウがサナギで冬を越すのになぜかキチョウとモンキチョウは成虫のままで冬を越すのです。不思議ですね。昆虫は寒さには弱い生き物です。でもキチョウは珍しく蝶の姿のままで冬を越せる珍しい蝶なんです。

冬を越す場所は様々。地面に近い草木に捕まって冬を越すようです。垣根や木のように捕まることができるものがあるならそこで冬を越すこともあるようですね。

なるほど。だからうちの家の植え込みに捕まっていたんですね。

このまま冬を越すのでしょうか?小さな生き物だけどとてつもない生命力を持っていますね。

なんだか今年はとてもいいことがありそうです。

 

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