クリスマスツリーの起源:ゲルマンの神木がキリスト教のシンボルになった?

クリスマスツリー

クリスマスにはクリスマスツリーを飾ります。

でもどうしてクリスマスツリーの日ににクリスマスツリーを飾るのでしょうか?

実はクリスマスツリーの起源はよく分かっていません。もともとは直接キリスト教とは関係なかったともいわれます。

現在のようなクリスマスツリーが飾られるようになったのは16世紀のドイツでプロテスタントが飾ったのが始まり。ルター派を中心に19世紀に普及したといわれます。

キリスト教の歴史からすると最近のようにも思えますが、それでも400年の歴史をもつので立派な伝統といえるでしょう。

ところが。バチカンはプロテスタントの習慣を長い間認めませんでした。バチカンがクリスマスツリーを置くのを公認したのは1982年とかなり最近。宗派によってバラツキがあるようです。

でもその由来には様々な説が語られています。

今回はクリスマスツリーの始まりの話の中でも、ヨーロッパで有名な伝説を紹介します。

聖者が異教の神木を切り倒して異教徒を改宗させた話です。

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ゲルマンの神木を切り倒した聖ボニファティウスの伝説

聖ボニファティウスの布教活動

7~8世紀のヨーロッパにボニファティウス(Saint Boniface)というキリスト教の宣教師がいました。

716年。ローマに行ったボニファティウスは教皇グレゴリウス2世から「ゲルマニア(現在のドイツ・ポーランド・デンマーク・チェコ・スロバキア)に布教しなさい」と言われました。

ボニファティウスはフランク国王カール・マルテルに会って協力をとりつけました。フランク国王はゲルマン系民族のフランク人が作った国。キリスト教を信仰していました。西ローマ皇帝は既に廃位されていましたが。ローマ教皇の権威は絶大。フランク国王はローマ教皇にとっても頼りになる信者の一人でした。

ローマ教皇とフランク王の関係もあり。ボニファティウスはフランク軍のビューラブルグ駐屯地を活動の中心にして布教活動をしたと考えられています。

ビューラブルグの近くにはまだキリスト教に改宗していないゲルマン人が住んでいました。

ゲルマン人が信仰していたトール

ゲルマンの人々はオーディーンやトールなどの神々を信仰していました。トールは農業や戦いの神。雷を武器に戦います。ローマではユピテルと同じ神と考えられることもあったようです。

オーディーンやトールは現在では北欧神話の神として知られています。キリスト教布教前はヨーロッパ(主に北欧・ドイツ・フランス・イギリス)のゲルマン人が信じていた神々です。古代人の多くは巨木信仰がありました。ゲルマンの人々もゲルマンの神の力が宿った木として崇拝していました。

ゲルマン人の布教に成功

ボニファティウスは駐屯地に近いガイスマー村(ドイツのヘッセン州フリッツラー)に布教しようと考えます。この村には「トールのオーク(ナラの木)」とよばれる神木がありました。

722~724年ごろ。ボニファティウスはガイスマー村のトールのオークを切り倒し。村人を改宗させ。その地に修道院を建てました。

この時の様子は760年ごろに修道士のヴィリバルドが書いたボニファティウス聖人伝に載っています。

トールの木を倒すボニファティウスの物語

以下、ヴィリバルドが書いたボニファティウス伝から抜粋して紹介しましょう。

聖者(ボニファティウス)はガイスマーと呼ばれる地で、異教徒の古い名前「トールのオーク」とよばれる並外れた大きさの木を倒そうとした。

彼が不動の心の強さで切り欠きを切った時、そこには多くの異教徒がいて彼らは真剣に彼らの神の敵を呪っていた。

しかし木が少しだけ切り開かれたとき、突然、上からの強風にあおられて大木が崩れ落ちた。そして破片は4つに別れて巨大な十字の形になった。

この光景を見て、それまで呪っていた異教徒たちは逆に主を祝福してそれまでの不信心さを捨てた。

最も神聖な司教(ボニファティウス)は兄弟たちと相談した後。倒した木を使って講堂を建て、使徒ペテロ(イエスの一番弟子)に捧げた。

というもの。

ちなみに、オーク(oak)は楢(ナラ)の木です。どんぐりが実る木です。

ボニファティウスが布教した地域はローマ帝国の外で最初の司教区になり。ボニファティウスはゲルマニア司教になりました。

ヴィリバルドはボニファティウスを尊敬していました。そのためボニファティウスを英雄的に書いています。倒れた木の破片が十字になる。というのも作為的です。

トールの神木伐採の実際

歴史的にボニファティウスがトールの木を倒したのは事実です。当時はキリスト教の宣教師がゲルマニア各地でゲルマン人の神木や神殿を壊していたようです。

ボニファティウスはフランク王の援助を受け、フランク軍の協力を得て神木を切り倒したと考えられます。

ボニファティウスは教皇グレゴリウス2世への手紙で「木を切り倒すのに何時間もかかった」と書いています。正確な時間はわからないとしてもかなり時間がかかったようです。

ヴィリバルドが書いてるように「木が奇跡的に倒れた」わけではないようです。

だとすれば。大木を切り倒す作業をしている間、村人の邪魔が入らないように兵士がボニファティウスたちを守っていたのでしょう。そうでなければ「呪いたい」と怒っている村人たちに妨害されずに長時間木を切り続けることはできません。

教皇の命令を受ける地位にあるボニファティウスが直接自分の手で大木を切り倒したかどうかはわかりません。彼の弟子か兵士に命じて切り倒させたのでしょう。

要するにローマ教皇を支持するフランク軍の力を使って村人が信仰する木を無理やり切り倒して改宗させた。というわけです。

異教徒教化の話がクリスマスツリーの起源に

ボニファティウスがトールの木を切り倒して改宗させた話はヨーロッパでも有名になりました。その後、何百年も語り継がれます。

でも聖者が異教徒を改宗させた。という内容が支持されて有名になったのでした。

中世まではクリスマスツリーとは関係ありまません。

でも、クリスマスツリーが飾られるようになるとトールの木を伐採した話がクリスマスツリーの起源になった。という話が作られました。

いくつかのバージョンがありますが。代表的なものを紹介します。

トールの木がクリスマスツリーになった話

古代ゲルマン民族にはトールの神聖な木といわれる樫(カシ)の木の前で、人間を生贄にする儀式があった。

ドイツの使徒ボニファティウスが、生贄にされようとしている少年(赤ん坊という説も)を救い、イエスの教えを集まっていた人々に聞かせ、間違った信仰を捨てるように説得した。

そして樫の木を切り倒し、そばに生えていた樅(モミ)の木を持ち帰ってキリストの誕生を祝ったのがクリスマスツリーの始まり。

というもの。

確かに古代ゲルマンには生贄の儀式があったようです。ヴィリバルドもゲルマン人は木や泉に生贄をすると書いています。8世紀ならまだ世界中で生贄・殉葬・人柱の習慣はありました。

キリスト教の宣教師がその習慣を辞めさせたのなら評価できるでしょう。

でもボニファティウスが目指していたのは異教徒を改宗させることでした。

それにヴィリバルドの記録ではボニファティウスが切り倒したのは楢の木です。樅の木を持ち帰ったとは書かれていません。

楢の木が樫の木にすりかわり。なかったはずの樅の木が出てきて。聖人が生贄にされそうになっていた少年を救う美談になってます。

いつの間にか変わってしまったようです。

もし聖人が異教徒を教化した話が起源ならバチカンが真っ先にクリスマスツリーを飾るはずです。でもそうではありません。

むしろ聖人信仰を否定しているルター派たちプロテスタントがクリスマスツリーを飾っている。ということは他に起源がありそうですね。

ここに紹介したのはクリスマスツリーの始まりの物語の一部です。ほかにもクリスマスツリーの起源については様々な説があります。

クリスマスツリーがゲルマン人が信仰していた常緑樹のへの信仰。冬至に巨木を祀る信仰をキリスト教の習慣にあわせて置き換えたもの。寒い星空に感動したルターがもみの木にろうそくを飾り星空を再現した。ギリシャ正教のケルラリウスが採用した等など・・・

確認できる最古の記録は16世紀のドイツです。ドイツからフランス、イギリスそしてアメリカに伝わったようです。日本に伝わったのはアメリカ式。

伝統や当たり前のように飾っているものでも意外と知られていないことはあるものなのですね。

起源はどうあれ。今では立派な意味をもつ「伝統」になっていますから。それはそれで愉しめばいいですよね。大事なのは起源ではなく、どのような意味をもつかです。

 

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