四国の香川県観音寺市に金運アップのパワースポットとして話題の場所があります。
それは観音寺有明浜の「銭形砂絵」
香川では屈指の金運スポットとして話題になってます。
瀬戸内海に面した松林が美しい砂浜になぜかお金の絵が砂浜に描かれてます。
時代劇ファンなら「銭形平次」のオープニングで砂浜に描いた寛永通宝がアップで写るのを知ってると思います。北大路欣也が砂浜で捕り物をしている場面もありますね。その撮影が行われたのが観音寺の銭型砂絵なんですね。
パワースポットという言葉が生まれる前から地元では「見た者はお金に不自由しない」といわれる場所でした。
それでは行ってみましょう。
銭形砂絵のご利益
お金の絵が砂浜にでかでかと書いてあります。
かなり 直球勝負 な場所です。
そのため、縁起のいい金運が上がる場所として地元では有名です。
昔から「銭形を見たものは、お金に不自由しない」といわれています。
でもかつては地元の人しか知らないようなローカルな観光地でした。
ところが近くの宝くじ売り場で8億円の高額当選が2つも出たから大変です。全国にも金運のパワースポットとして名前が知られるようになりました。
しかも地元の観光協会の案内では「健康で長生き」というご利益まで。
お金にプラスして健康までいいなんて、ありがたい場所じゃありませんか。
最近では、待ち受け画面に入れておくとご利益があるとうわさされてます。
パソコンの壁紙にしてもいいですね。
銭形砂絵の謎
地元のいいつたえでは。
江戸時代初期の寛永10年(西暦1633年)、丸亀藩主の生駒高俊が領内を視察する事が決まりました。そこで地元の住民が歓迎の意味を込めて一夜にして作り上げたといわれています。
でも砂絵の図柄である「寛永通宝」は寛永13年から出回ったので、寛永10年というのが本当だったとしたら当時はなかったはずなんですよね。
ならばということで、江戸時代末期の西暦1855年ごろ当時の丸亀藩主だった京極朗徹が視察に来たときに作った。という説もあります。これなら年代的には矛盾しないのですが。
殿様が来るのになんで銭の絵?普通は家紋でしょ。という突込みが入るところ。
他にも地元の歴史研究家が発表した説にはこんなものもあります。
江戸時代初期、領主であった生駒家は豊臣家の再興を狙ってました。そこで豊臣を象徴する「ひょうたん」を砂浜に描いてました。ちなみに「ひょうたん」は秀吉の使った馬印(いくさのときに敵味方の区別をするときに使う目印)。豊臣家にとっては縁の深いものです。でも、幕府から視察が来るというので急いで消して銭の柄にしたというもの。でも、証拠はありません。
珍説やらいろいろあるんですが、これといった決定打はありません。
しかも太平洋戦争中、砂絵を発見した米軍が「何か機密が隠されているに違いない」と偵察を繰り返したけど何も分からなかったという逸話まででる始末。
結局「いつ誰が何のために作ったのかわかってない」のです。
直径120mもの大がかりな物のわりに正体がわかってなんて!よけいに興味惹かれます。
でも地元の人々に親しまれている不思議な砂絵です。
観音寺 銭形砂絵の見所
砂なのに雨や風でも消えないわけ
描かれているのは寛永通宝という江戸時代のお金です。
東西122m、南北90mの大きさがあります。周囲は345mもあり、小学校のトラックコースより広いです。
まん丸の円じゃないんですね。楕円になってます。
なんでこうなっているかというと。
近くにある琴弾山の山頂から見るときれいな円に見えるように作られているのです。昔の人の知恵は凄い。
溝の深さは大人がすっぽり入るほど深く。雨や風が吹いても砂で埋まったりはしません。
年に春と秋の2回、「砂ざらえ」をします。ボランティアで市民が溝を掘り返しているのです。だから台風が来ても雨が降っても、砂絵が消えずに残ってます。
ちなみに「砂ざらえ」は申し込まなくても当日行けばだれでも参加できます。
開催日時は観音寺市観光協会のHPに載ってます。
寛永通宝って何?
砂絵に描かれているのは寛永通宝(かんえいつうほう)という江戸時代のお金です。
江戸時代の寛永13年(1633年)に作られました。その後何度かモデルチェンジしてますが、幕末まで使われました。
銅や鉄で作られたいわゆる小銭です。一般庶民が日常的に使う硬貨の役目をしてます。
1文銭と4門銭があって、デザインがちょっと違います。
1文の価値は時代によって変わるのですが、現在だと10円から50円くらいの価値になります。
銅銭の不足した清では日本から寛永通宝を取り入れて使っていたようです。
江戸幕府が作ったお金なので幕末まで使われましたが、明治時代になっても硬貨として使えました。さすがに明治になったからといって全てのお金を新しくするのは難しかったみたいです。広く流通していた寛永通宝は最小単位の硬貨として使用されました。
1文銭は1/16厘という価値でした。
明治以降のお金の単位はこのようになってます。
1円=100銭。1銭=10厘。
つまり、1厘は1円の1000分の1の価値です。
現在では日常で「銭」を使うことはないですね。為替のレートを表示するときくらいです。厘にいたっては使うことはなくなってしまいました。
法律的には昭和28年まで寛永通宝は使用可能でした。かなり最近まで使おうと思えば使えたんですね。でも、さすがに価値が下がりすぎたのでそのころにはあんまり使う人はいなかったみたいです。
なので、古い家ならタンスの奥とかに残ってることがあります。うちの実家にも寛永通宝はありました。
寛永通宝で買い物ができる?
銭型砂絵のある観音寺市では銭形砂絵を盛り上げようと寛永通宝をお金として使えるようにしました。そのとりくみはJR観音寺駅から有明浜に行くまでにある観音寺市中心部の商店街でおこなわれています。お店に「寛永通宝使用可能店」という表示がしてあったら使えます。
次のようなルールがあります。
寛永通宝 1枚で30円の価値があります。
1文銭と4文銭の区別はありません。
使えるのは銅銭のみです。鉄銭は使えません。
1度の会計で使えるのは最大20枚まで。つまり600円まで。(それ以上に使える店もある)
ただし、使えるのは一部の加盟店だけです。市内全体で使えるわけではありません。使える店探すのが大変です。まあ、ネタとして使ってみる分にはいいかと。
ちなみに僕も観音寺市出身ですが、僕自身も身内に使ったことのある人もいません。いまのところ。
大丈夫?観音寺市。
近くの売り場で宝くじ8億円当選が出た
昔からあった銭形砂絵が最近になって全国の話題になったのはやはりこのせいでしょう。
LOTO7という数字選択式のくじで
1等8億円が、銭形近くの宝くじ売り場で2本も出たことです。
東京のたくさん売れてる宝くじ売り場なら「そういうこともあるだろう」って思いますが。田舎町の売り場という事を考えると凄い確率です。
というわけで僕も田舎に帰ったときに買ってみました。でも、当たってません。信じる力が弱かったのかな?
8億円の当選者が出た宝くじ売り場の場所はここです。
住所:香川県観音寺市観音寺町甲1171−14
ちなみに銭形砂絵以外には近くに「財田川」とか「七宝山」とか縁起のいい地名があります。
七宝山の名は弘法大師がこの地を訪れたときに七つの宝を埋めたためこの名がついたといわれています。七宝山周辺には地元の小さな神社やお寺がたくさんあるので昔から信仰の厚い地域だったのかもしれません。
蛇足ですが、注意点をひとつ。
街の名前は「観音寺」と書いて「かんおんじ」と発音します。「かんのんじ」ではありません。
地元の高校が野球の甲子園大会に出たとき「観音寺中央高校」を「かんおんじちゅうおうこうこう」と紹介したテレビ局に「かんのんじ じゃないのか」というクレームが来たそうです。
「かんのんじ」ではありません。「かんおんじ」です。
和歌山の人に「有田」は「ありた」でない。「ありだ」だと言われたことがあります。地元の人にとって呼び方は思い入れがあるものなので地元の呼び方を尊重したいところです。
銭形砂絵へのアクセス
・JR
予讃線 観音寺駅下車。
バスに乗車
のりあいバス・五郷高室線 観音寺駅乗車・・・琴弾公園下車
・駐車場有り・無料
住所:香川県観音寺市有明町14
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