5つの角をもつ星印「☆」は世界各地で使われています。国旗や身近なマークにもありますね。
五芒星(Pentagram)や五角星(five pointed star)などバリエーションも豊富です。
魔術や呪術の世界でもよく知られています。
日本にも晴明桔梗として古くから知られていました。
でも五芒星・五角星はいつ、どこで始まったのでしょうか?
ちなみに細かいことを言うと。
角が線でつながっているのが五芒星(pentagram)
輪郭だけの星が五角星(five pointed star)
となります。
わりと両方が一緒になって使っていることもありますけれど。
今回はまとめて5つの星を持つ星型をテーマに探すことにします。
そんな謎を調べていると世界最古の文明といわれるメソポタミア文明にたどり着きました。
いまのところメソポタミア文明の五芒星より古いものを私は知りません。
世界最古と考えられる五芒星について紹介します。
世界最古の五芒星はシュメール人が発明?
現在わかっている範囲では世界最古の五芒星はメソポタミア文明だといわれています。
紀元前4000年前に生まれたといわれるメソポタミア文明。シュメール人が作った最初の文明では絵文字が使われていました。
シュメール人はやがて楔形文字を発明します。急に楔形文字が生まれたのではなく、絵文字から楔形文字をに変化したのでした。楔形文字が普及する前の時代に五芒星型の絵文字がありました。
五芒星が発見された時代は紀元前3100年ころから始まった初期王朝時代です。2900年ころまでを考古学的にはジェムデト・ナスル期といいます。
そのころのシュメール人は農耕社会が村から都市に発展。その都市を支配する王があわらわたころです。
この時代には楔形文字が使われはじめました。しかしこの時代はまだ絵文字も使われていました。
ジェムデト・ナスル期 ウルクIII層(紀元前3000年ころ)からはタブレット(粘土版)に刻まれた五芒星が見つかっています。
このタブレットです。
Proto-cuneiform lexical list of places – BM 116625.jpg
真ん中の少し上のあたりに、五芒星があるのがわかりますよね。もうこれは私達が知る五芒星そのものではありませんか。
これは都市名を並べたリストです。
ある場所を表現する絵文字として五芒星が使われているようです。
この中で登場する五芒星は「角、隅、小さな部屋、空洞、穴」を意味しました。
したがって今私達が五芒星と呼んでいる図形は、シュメールでは星を意味する図形ではなかったのです。
このころ五芒星が魔よけとして使われていたのかはわかりません。
おそらく呪術的な意味はもたない絵文字として使われていたようです。
しかし文字を理解できるのは一部の人だけです。文字が読めない人にとっては神秘的な模様に思えたでしょう。
メソポタミア文明では星=八芒星
五芒星が星でないならメソポタミア文明では「星」をどうやって表現したのでしょうか?
メソポタミアで星といえば「八芒星」「八角星」でした。
星がキラキラ輝く様子を表現したのが八芒星・八角星です。
メソポタミアの支配者がシュメール人から他の部族に移り、バビロニア王国が生まれても文化や文字は受け継がれました。
楔形文字では””(uinicode:U + 1202D”は「神・女神」や「空」「天国」を意味する文字でした。
シュメールからバビロニアまで時代や国によって書体は変わりますが8つの角がある記号は”星”や”神”を表現する文字でした。
シュメールでは”神”は”天”と密接な関わりがあり神は天に存在すると考えられました。
とくに八芒星は女神イナンナやイシュタルのシンボルでした。イナンナは豊穣の女神です。金星。王権の守護者とされ、シュメール王国では盛んに信仰されました。ポタミアの中心がシュメールからアッカド、メソポタミア文明地域や年代によって異なりますがアン、ディンギル、イルなどと発音されました。いずれの地域でも「神」を意味します。
バビロンの王メリ・シナック2世(紀元前1186-1172年)のクドゥルには王の上に星・月・太陽が刻まれています。クドゥルは王が臣下に与えた土地の証明書のようなものです。石でできています。
Louvre Museum, Public domain, via Wikimedia Commons
かなり凝ったデザインになってますけれど、星は八芒星で表現されているのがわかります。
太陽・月・星をセットにして崇拝する信仰は世界各地にあります。
日本にも三辰信仰という形で伝わっています。
日本の三辰信仰では星は◯で表現されます。太陽と区別するために太陽よりも小さい◯で表現されることが多いです。日本人は明治になるまで星=◯でした。六芒星=籠目紋、五芒星=桔梗紋と考えていました。
オリエントでは星は八芒星でした。
さて。
五芒星に話をもどしましょう。
メソポタミア文明にも五芒星のデザインはありました。
でも星としては八芒星が一般的でした。
やがて今のイランあたりにアーリア人が侵入。バビロニアは滅びます。アーリア人が作ったペルシャ帝国はメソポタミアの文明を受け継ぎました。ペルシャ帝国だけではありません。海を越えたギリシアにも影響を与えます。ギリシア文明はローマ文明、その後のヨーロッパ文明の基礎になります。
東に移動したアーリア人はインドで別の国を作りました。
中東では「八芒星=神の星」として信仰されました。ペルシャ帝国滅亡後、中東ではイスラム教が普及しました。それでも神性なものを意味する印として受け継がれました。
インドではヤントラやマンダラで幾何学図形が発達します。その中に八角の星をアレンジしたような図形があります。女神ラクシュミーのシンボルにされることもあります。ペルシャとインドとの間に交流があったのかもしれません。
キリスト教ではイエスが生誕したときに現れたという「ベツヘレムの星」が八芒星で描かれることがあります。
中東と周辺の地域では八芒星が神聖な印・星として広まりました。
星=五角星はエジプト発祥
星=five pointed star の始まり
星を5つの角を持つ図形(五角星・five pointed star、5 points star)として表現した最古の文明はどこでしょうか?
それはエジプト文明です。
現在の私達が知っている五芒星ではありません。ヒトデのような5つの角を持つ形で表現されていました。
王の墓の天井や壁画には5つの角がある星が描かれました。
ヒエログリフでも(uinicode:U+131FC)に”星”の意味があります。
彩色する場合は黄色や赤、金色が多かったようです。
星といえば「5つの角」はエジプトが起源ともいえます。
エジプトでは五角星はごく一般的に星を表現する方法として使われました。
それだけではありません。特別な星も五角星です。
シリウスの女神の象徴
夜空に輝く恒星の中でもっとも明るい星はシリウス。
エジプトではシリウスを神格化したソプデット(Sopdet)という女神が信仰されました。ギリシアではソプテットはソティス(Sothis)として知られていました。
シリウスは夜空で輝く恒星の中で最も明るく輝く星です。そのため世界各地で信仰の対象になりました。
エジプトではシリウスはとくに重要な星でした。
というのもシリウスはナイル川の洪水を知らせる星だったからです。
ナイル川はエジプト文明を育む大河ですが、同時に洪水ももたらす河でした。洪水が起きる時期になると、シリウスは太陽とともに夜明けの空に輝いて見えました。
このシリウスを神格化したのがソプデット女神です。
Jeff Dahl, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
ソプデットは五角星(5 point star)がシンボルマークでした。エジプト絵画ではソプデットは五芒星を頭に付けた形で表現されます。
エジプト古王朝時代にはファラオの魂を使者の国に導く女神として進行されました。洪水は農耕に必要な肥沃な土を運んでくることから豊穣の女神・不妊治療の女神としても信仰されました。
ソプデットがイシスと習合
プトレマイオス王朝(紀元前3~1世紀)時代までにはソプデットはイシスと習合しました。
イシスは豊穣の女神。魔術の女神とされています。もともと豊穣神の性格もあったソプデットはイシスと被るところがありました。
イシスはエジプトでは非常に人気のある女神で他の女神の性質をどんどんとりこんで様々な性質を併せ持つようになりました。
五角星はイシスのシンボルになります。
エジプトはローマ帝国に征服されましたが、ローマ人は征服した土地の有力な神も信仰したのでイシスはローマ帝国でも信仰されました。
とくにイシスは人気のある女神でした。
でもこのときはまだ私達の知るペンタグラム=五芒星ではありません。
オリエントとエジプトの文化はギリシアに伝わります。
そして私達の知る五芒星への信仰が誕生するのです。
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