北野天満宮は宇宙のエネルギーが集まるパワースポット

地主神社

菅原道真をお祀りする北野天満宮は学問の神様として有名です。

でも天満宮のご利益はそれだけではありません。北野天満宮は古くは北野神社と呼ばれ、菅原道真よりも古い時代から信仰されていました。
「天神様」といわれるように北野神社はもともとは天地の神様が集まる場所だったんです。

宇宙のエネルギーが満ちる場所だったり、雷除けのご利益があったり。

北野天満宮に鎮座する天の神様とご利益を紹介します。

目次

もともとは御所の北西を守る神社だった

北野の地は御所から見ると北西の方角になります。北西は乾(いぬい)と呼ばれ、陰陽道では「天門」ともいいます。

陰陽道では天門は怨霊や魑魅魍魎のやってくる不吉な方角です。

また農耕社会では北西の風は冷害をもたらす悪い風です。一般には北風と呼ばれる季節風ですが、実際には北西の方角から吹いていることが多いです。だから古くから北西は不吉な方角という考えがあったようです。

農耕社会の考え方と陰陽道の考えがあわさり、平安時代までは北西は不吉な方角と考えられました。

不吉な方角というと鬼がやってくる北東(艮)の鬼門が有名ですが、北西(乾)の天門を丁寧に祀ることも大切なのです。

そこで北西に位置する天門に寺社を立てて悪霊の侵入を防ぐとともに、天門を手厚く祭祀を行えば家が栄えると考えられたのです。

御所の北西には北野天満宮以外にも大将軍八神社や平野神社があります。それらは御所の北西を守り天皇家の子孫繁栄を祈願して造られた神社なのです。そしてそれらの神社は平安京を悪霊から守る神と考えられました。

天門には大将軍や氏神、屋敷神など悪霊から守る神や子孫を守る神が祀られることが多かったのです。
天神地祇を祀る神社として造られたのが北野神社でした。

天神地祇とは

天神はもともとは「あまつかみ」と呼びます。地上にいる神様を地祇(くにつかみ)と呼ぶのに対して、高天柄派にいる神様を「あまつかみ」と呼んだのです。それがいつしか空にいる神という認識になりました。

天つ神と国つ神をあわせて天神地祇といいます。天神地祇は御所の中でもお祀りされている神様です。現在の御所にも神殿があり天神地祇がお祀りされています。

平安京では御所の中だけでなく外にも天神地祇をお祀りする場所が造られました。それが北野神社の始まりです。

菅原道真が生まれるよりも前。承和3年(836)には北野に天神地祇(てんじんちぎ)を祀ったとあります。

さらに、延喜4年(904年)には北野に雷の神がお祀りされました。

延喜3年(903年)には菅原道真は太宰府で亡くなっていますが、道真が怨霊として恐れられるのはもう少し後。このときは純粋に雷の神として祀られていたようです。

なぜ雷の神を祀ったかというと五穀豊穣のためです。雷神は雨を降らせる神です。農作には雨が必要ですから雷神を祀って雨を降らせてもらったのです。

北野の地は山に近く雷の多い土地でした。そこで雷神をお祀りするにふさわしい土地と考えられたようです。

元慶年間(877~885年)には藤原基経が雷の神に豊作を祈願して効果があったといいます。

というわけで北野天満宮は学問だけでなく、天の神や雷の神を信仰する場所にもなりました。

天の神の信仰がわかる場所を紹介します。

三光門

三光門

参道を進むと楼門があります。さらに進むと三光門という立派な門があります。金の字で「天満宮」と書かれた額のある門ですね。

北野天満宮の象徴ともいえる有名な門です。重要文化財にもなってます。

三光(さんこう)とは「太陽・月・星」の三つの星のことです。

平安時代には「太陽・月・星」の動きが「天皇・国・国民の平和と安全を左右する」という三辰信仰がありました。陰陽道と深く関わりのある信仰です。

とくに御所から北野神社の方角を見ると北極星が輝く方角だったことから北野の地は天の気が集まる神聖な場所だと考えられました。

その三辰を彫刻した門が「三光門」です。ところが太陽と月は門に彫刻されていますが、この門には星がありません。

平安京が造られた当時の大極殿(天皇のいる場所)から北野神社の方角を見ると門の上に北極星が輝いていたからだといいます。

太陽と月の彫刻は梁の上の非常に見づらいところにあるのですが。残念ながらうまく撮影できませんでした。ぜひ探してみてください。

地主神社 宇宙のパワーが集まる北野天満宮の心臓部

地主神社

本殿の裏側に並ぶ摂社末社の中でも朱塗りの社殿でひときわ目立つのが地主神社。

御祭神は天神地祇。天と地の全ての神様です。

平安時代の承和3(836)年創建。天神地祇をお祀りするのがこの地主神社。
北野天満宮で一番古い社です。

北野の地は平安時代の御所から見ると乾(いぬい)の方角(北西)です。陰陽道では乾の方角は怨霊や災いが出入りする場所だと考えられこの場所を鎮めると家が栄え、運気がよくなるんですね。

陰陽道にもとづいた都市計画では北西に神社仏閣を置くことがよくあります。こうしたことから御所の北西の方角には大将軍堂(大将軍八神社)や平野神社などたくさんの神社仏閣が造られました。北野神社もその一つでした。

地主神社という名前の社はさまざまな場所にあります。そのいずれもが古くからその場所にある神様。北野天満宮の場合もこの地主神社が始まりの地なんですね。

こちらでは地主神社は北野天満宮の摂社といわれますが「ここが北野天満宮で一番重要な神様」といってもいいくらいです。なにしろオリジナルの天神様をお祀りしている場所ですから。「天満大自在天神」という称号がついた菅原道真公はあとから来て場所を借りているといってもいいかも知れません。

三光門の紹介で北野の地には宇宙のエネルギーが集まるといいました。こちらの天神地祇をお祀りする地主神社こそが災いを退け、天の気が集まる場所といえますね。

だから北野天満宮に来たら本殿だけでなくここはお参りしたほうがいいですよ。

火之御子社 雷よけの神様でアウトドア派に人気

火之御子

火之御子社(ひのみこしゃ)は三光門の手前に並ぶ摂社のなかにあります。

御祭神は火雷神。

五穀豊穣のためお祀りされた雷神です。こちらも菅原道真がお祀りされる以前からあった神様です。「北野雷公」ともよばれました。元慶年間(877~885年)に藤原基経が祈願したのはこちらの神様といわれます。

火雷神ともいわれ火と雷を操る神様です。平安時代、朝廷は雷神に雨を祈って豊作を祈願しました。でも雨が降りすぎると災害も起こります。そこで五穀豊穣と天災が起きないように神様にお祈りしたのです。火難よけ、雷よけ、五穀豊穣のご利益があるそうです。

時代が進むと雷よけとしてのご利益を求める人が増え、現在では雷よけの神様としてゴルファーや釣り人に人気があるみたいですよ。

 

神社の情報

ご祭神 :菅原道真
参拝時間:
4月~9月 5時~18時
10月~3月 5時30分~17時30分
夜間ライトアップしているときもあるそうです。
住 所 :京都市上京区馬喰町 北野天満宮

公式サイト:北野天満宮

アクセス

駐車場:有り

京都市バス 北野天神前 すぐ
京福電車 白梅町駅より 徒歩約5分

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