パワポットブーム以来、神社に関心があつまっています。最近はとくに御朱印に人気があるようです。
ところが御朱印ブームの加熱でさまざまな問題も出ています。
お客様気分でわがままな人が増えています。
お客様は神様ではありません。
神様は本殿にいます。
どうやら御朱印のことが理解されないまま広まってしまったようです。
テレビや雑誌で面白半分に取り上げられたせいもあるのでしょうか。御朱印はコレクションアイテムではないのですけれど。
というわけで。今回は御朱印の本当の意味を紹介します。
耳が痛い内容もあるかもしれませんがご容赦ください。
御朱印は証明書
ズバリ、
御朱印の役目は証明書です。
ただそれだけです。
市役所でもらう住民票や印鑑証明と同じです。
昔の人たちは寺社に参拝した証として御朱印をいただきました。江戸時代はお伊勢参りや金毘羅参り、出雲参りなど、さまざまな寺社巡りが流行りました。それでも誰もが気軽に神社仏閣参りが出来たわけではありません。
みんなでお金を出し合って代表が行ったり、村の代表が行ったり。人々の願いを背負って参拝する人もいました。代表としてお参りに行ったのなら、仲間に参拝した証明を見せる必要があります。
「この人は参拝に来ましたよ」という意味で寺社が発行したのが御朱印なのです。
もちろん個人的に参拝した証明がほしくて御朱印を授かった人もいるでしょう。
御朱印は寺社に参拝した証明書です。
なので、
御朱印には
ご利益はありません。
アルバイトの人が書いても神職の人が書いても同じです。
江戸時代以前には墨と筆で書いていたのでその名残が残っているのです。
こんなことを書くと気分を害する人もいるかも知れませんが。印刷技術の発達した現代ならワープロで印刷した書類でもかまわないのです。
証明書ですから。
でも印刷物なら発行者の署名や捺印など偽造されない工夫は必要でしょう。
でもそれだとせっかく伝統を残している神社仏閣に来た雰囲気が壊れてしまいます。というわけで昔ながらの手書きでやっているところが多いのでしょう。
御朱印は結果として手元に残るもの
御朱印は参拝した証明書。
つまり神社に参拝して証明がほしいと思えば手に入るもの。
本来は御朱印だけを集めようと思って集めるものではありません。
神社に参拝する回数が増えれば結果として集まることはある。ただそれだけのものです。
御朱印は参拝しなければただの紙切れ
御朱印は参拝した証明書です。
参拝した神様とご縁ができた証ともいえます。
ですから御朱印を受け取る前にはまず本殿・拝殿を参拝をしなければ意味がありません。
もちろん社務所の人は参拝したのかどうか確認はしません。参拝したと信じて御朱印を発行してくれます。
でも参拝せずに御朱印をいただくのは
お参りしてきたよ詐欺。
です。
だからといって神様が罰を与えたりすることはありません。日本の神様はそんなに厳しくはありませんから。
お目当ての御朱印が手に入らないのは縁がないから
「変わった御朱印があると聞きせっかく神社に行ったけど。聞いていたのとは違った」
「もっときれいに書いてほしい」
などなど。御朱印をいただいても思ってたのと違って不満を言う人もいます。
せっかく神社に行ったのに御朱印をもらえなかった。
という人もいます。
でも御朱印がいただけないのはあなたと神様に縁がなかったからかもしれません。
「まだそういう時期ではない」という神様の意思かもしれませんよ。
人間の思い通りにならないこともある。という教訓です。
神社側の対応も遅れている
確かに御朱印ブームになった割には神社側の対応も昔ながらの所が多いです。
参拝者の多いところは御朱印とお守りは別の受付で行うべきとも思います。時代についていけない部分もありますね。
参拝者の迷惑にならないように神社側も配慮は必要でしょうね。
それでも寺社に行った証がほしい
それでも神社仏閣に行きたい。
せっかく行くのだから参拝した記念を残したい。
というのであれば参拝をしたうえで御朱印を集めるのもいいかと思います。
それに近頃では「◯◯めぐり」というものもあります。
これは地域やテーマごとに神社仏閣が協力して参拝者を集めようという取り組みです。
古くは四国お遍路や三十三観音、熊野九十九王子など修行や信仰のための寺社巡りはありました。
江戸時代には庶民向けの寺社巡りも誕生しています。七福神めぐりも江戸時代に広まりました。ご利益めぐりが主な目的ですが、参拝の記念に判子や御朱印をいただけるところもあります。
現代でも様々な地域で寺社巡りがあります。好みのものを巡ってみるのもいいかもしれませんね。
神様はあなたではない
また、お金を出してるからいいという問題ではありません。
人としての信用、マナーの問題です。
お金で何でも解決できるという唯物的注な考えの人は神様を信じてないでしょう。神様の助けは必要ないでしょう。ですから神社に行く必要もないはずです。御朱印を集める必要もないです。
注:唯物(ゆいぶつ)=目に見えるもの・形のあるものしか信じない考え
「御朱印を集めるのは自由」という意見もあるかもしれません。
でも自由とは わがまま・自分勝手 ではありません。
開運について書いてる者が言う言葉ではないかもしれませんが。自由について知りたい方はヨーロッパで始まった民主主義の基本から勉強することをおすすめします。自由にも義務や責任が伴うものなのです。
とはいえ。参拝してマナーさえ守れば御朱印集めをしても誰にも怒られることはありません。
ただし。
お客様は神様ではありません。
神様は他にいます。
勘違いはしないようにしましょう。
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