伏見稲荷大社の後に鎮座する稲荷山は神名備山=神様の宿る山です。
伏見稲荷大社(稲荷社)は飛鳥時代の和銅年間に稲荷山に神様をお祀りしたのがの始まりです。しかし神社ができる以前から稲荷山は神々が住む場所として信仰を集めてきました。
稲荷山の山頂には古墳とも祭祀のあとともいわれる遺跡が発見されています。
稲荷山山麓に社殿が作られたあとも稲荷山には沢山の聖地が存在し、様々な人々が神の恵みを求めて訪れました。
応仁の乱で稲荷山や麓にあった社は焼けてしまいました。麓の神社はすぐに再建されました。
山中の社は再建されませんでした。しかし人々の信仰は集めつづけました。
そして明治時代。昔の聖地が「七神蹟」として特定され親塚が建てられました。
親塚の周りには小さな塚がたくさん並び、現在も神の住む聖地として信仰を集めています。
稲荷山でもとくに聖なる場所といわれた稲荷山七神蹟を紹介します。
七神蹟
伏見稲荷大社の千本鳥居を通ると奥社があります。その奥社からさらに千本鳥居を通ると四つ辻という山道が交差した場所があります。
長めの素晴らしい場所です。ここからは京都市南部がよく見渡せます。
稲荷山七神蹟はこの四つ辻から始まります。お山巡りは右回りに回るのが正しい道順とされました。
四つ辻から近い順番に紹介しましょう。
御膳谷奉拝所
時計回りルートで最初の七神蹟は御膳谷奉拝所です。御前谷とも書きます。
森に覆われた中に沢山の塚が並ぶ姿は独特の雰囲気があります。
稲荷山の3つの峰(一の峰・二の峰・三の峰)が集まる谷間にあります。稲荷山でも重要な場所です。風水的に見れば峰にそって流れる大地のパワーが集まる場所と言えるでしょう。そのためか特に多くのお塚があります。お塚はひとつひとつが個人や講(団体)が信仰する神様です。
古くはここに御竃殿(みかまどの)と御饗殿(みあえどの)があってり、稲荷山三ヶ峰の神々に神饌(神様のお食事)お供えしたといわれます。
現在は御前谷祈祷殿で朝夕の2回、お山の神様にお供えをしています。
稲荷山でもとくに神秘的な空気があります。
このページのアイキャッチ(先頭に表示した画像)の写真もここで撮影したもの。不思議な雰囲気の場所です。
長者社神蹟
劔社(つるぎしゃ)ともいわれます。
剣石(雷石)
神様の宿る岩座がある場所。この岩座は劔石と呼ばれています。雷石とも呼ばれるのでもともとは雷神の宿る岩座だったと考えられます。雷公(雷神)の力が封じられているともいいます。
金属関係の仕事をしている人の崇敬も多い場所です。
雷神は雨を降らせる神なので水の神(龍神)としての性格ももちます。
稲荷大社は平安時代には朝廷から雨を降らせる神、長雨を止める神としての祈願所としても信仰をうけました。
御劔社(みつるぎしゃ)
長者社ともいいます。
御祭神:加茂玉依姫(かものたまよりひめ)
下鴨神社にお祀りされている玉依姫と同じ神様です。古代から現代まで長い年月の中で稲荷山は様々な人々が祭祀を行った場所です。賀茂氏と稲荷山のつながりを感じさせる場所です。
氏神を祀ったことから長者社という名が付いたようです。
焼刃の水
御劔社の裏には井戸があります。
焼刃の水といいます。
歌曲「小鍛冶」で知られる鍛冶師・三条宗近が一条天皇の命令を受けて日本刀を造りました。稲荷山中に籠もり稲荷神のご加護をうけて造ったのが名刀「小狐丸」といわれます。
三条宗近は稲荷山の埴土とこの井戸の水を使って日本刀を造ったと言われます。
また。明治元年に伯耆の国の明光・宮本包則(みやもとかわのり)が稲荷山中に籠もり作刀したことを示す石碑が配所の右にあります。
上社神蹟
一の峰に鎮座するのは上之社神蹟(かみのやしろしんせき)
上の塚ともいいます。
標高233m。稲荷山最高峰です。
こちらにお祭りされているのが末広大神(すえひろおおかみ)
山の麓に社殿が造られ、そちらに神様が祀られたあとも古来からここに鎮まる神への信仰は続きました。
名前は違いますが、一の峰の神様は本殿の大宮能売大神の分身。
大宮能売大神はもともとは宮中でお祀りされていた神様です。平安京の市場でも祀られたので市場の神様になりました。現代ではデパートやスーパー、商店からの信仰を集める神様です。商売の神様にふさわしいご神徳です。
末広大神をお祀りする親塚のまわりに沢山の塚があります。お塚の数も多いですが、奉納された鳥居の数も凄いです。
稲荷山の塚に祀られる神様は全て「稲荷大神」のご神徳を表現したもの。つまり、塚のひとつひとつが稲荷大神の分霊と考えられています。
塚につけられた◯◯大神という名前は長い年月の間に民間信仰の中で生まれたものなのです。
中社神蹟
上社神蹟の次にあるのが中社神蹟(なかのやしろしんせき)
稲荷山で二番目に高い二の峯。
こちらにお祀りされているのは青木大神(あおきのおおかみ)。青木大神を祀る塚の周りに沢山の塚があります。
本社の佐田彦大神(さたひこのおおかみ)と同じ神だといわれます。
佐田彦大神は猿田彦大神の別名。
荷田社神蹟
中社神蹟の次にあるのが荷田社神蹟。
峰の名前は「間の峰(あいのみね)」。二の峰と三の峰の中間にある峰だからでしょう。上社、中社、下社に次ぐ4番めの塚です。江戸時代には人呼塚、命婦塚とも呼ばれました。
奴祢鳥居(ぬねとりい)という珍しい鳥居があります。
荷田氏は秦氏以前に稲荷山で神をお祀りしていた一族といわれます。室町時代以後にも荷田氏は神職の家として存在しました。その荷田氏との関係はよくわかりません。
こちらの塚に祀られている神様は「伊勢大神」
ということは神様は天照大神でしょうか。親塚の鳥居も伊勢神宮と同じ神明鳥居。
ちなみに神仏習合時代の本地垂迹説では天照大神=大日如来=荼枳尼天=稲荷神でした。もとは同じで出現する時と場所によって名前と姿が違うというのが本地垂迹説の考えなのです。見た目に惑わされてはいけないということなのでしょう。
下社神蹟
峰の名前は「三の峰」
親塚に祀られている神様は「白菊大神」
各地に勧請された稲荷社に「白菊稲荷」と名の付く社がありますね。それはこちらの神様の分霊です。本殿の宇迦之御魂大神に対応する神様と言われます。
親塚には、ひときわ白い狐が並んでいます。
本殿の主祭神なのに下の社とは何故?これも伏見稲荷の不思議なところです。
三の峰からは古代の銅鏡が発掘されています。ひとつは漢で造られた二神二獣鏡、ひとつは国産の変形四獣鏡です。変形四獣鏡が作られたのは4~5世紀頃。古墳時代にはここで重要な儀式が行われていたようです。山の上でどんな儀式をしていたのかはわかりませんが、古代人にとっては重要な場所だったのは間違いありません。
三の峰が主祭神に対応している理由もそのあたりにあるのかもしれません。
田中社神蹟
四の辻にもどって西の参道を進むと荒神峰石段の参道が続きます。その先には荒神峰とよばれる峰があります。
荒神峰にあるのが田中社神蹟です。
親塚に祀られている神様は権太夫大神。
本殿の田中大神と関連がありそうですが、詳しいことはわかりません。
荒神峰からは京都市南部がよく見えます。
天候に恵まれれば素晴らしい夕日が見られるかもしれません。
この日は霞がかかっていましたが、雲の間から差し込む光が神々しかったです。
稲荷山の聖地は七神蹟だけではありません。ほかにもご利益のあるパワースポットはいくつもあります。でも稲荷山の聖地はたくさんありすぎて全部回れない。という場合はまずは七神蹟を中心に訪れるのもいいかもしれませんね。
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