白峯神宮は蹴鞠の神様として有名ですよね。でもそれだけではありません。日本の歴史を変えたかもしれない超大物が祀られている神社なのです。
公家の世の中から武士の世の中になるきっかけを作ったある人とは「崇徳上皇」。「崇徳天皇」ともいいます。
白峯神宮は元号が明治になる直前になってわざわざ神社をたてて崇徳天皇をお祀りしたところです。そんな凄い人がお祀りされている白峯神宮に行ってきました。
白峯神宮は京都御苑の北西。すぐ近くにあります。
こちらはスポーツの神様ということで参拝者が多いですね。今では皆さん普通に出入りしてます。
でも昔は地元民の間では恐ろしい神様が祀られている場所と思われていたようです。昔と言っても明治から昭和にかけてですけど。白峯神宮の前を通るときは足を止めてお宮に一礼しなければいけないといわれていたそうです。崇徳天皇は既に穏やかな神様になっているのですから、よほどの失礼がないかぎりは祟りがおきるとは思えないのですけど。地元の人々はそのくらい怖い神様だと思っていたようなんですね。
木製の雰囲気のある鳥居をくぐり門を抜けると目の前には舞殿があります。
白峰神宮は蹴鞠の神様をお祀りしています。球技の神、スポーツの神として有名ですね。とくにサッカー関係者の人気は高いようですね。
白峯神宮の神様は崇徳上皇
まずは本殿をお詣りします。スポーツに関係するさまざまなものが奉納されていますね。それだけご利益があるということなんでしょうね。
白峯神宮の創建は慶応4年(1872年)9月6日。明治維新のころ造られた神社です。9月8日に慶応は改元して明治になります。
御祭神は崇徳天皇と淳仁天皇。
崇徳天皇は生前退位したので崇徳上皇ともいいます。白峯神宮は崇徳天皇をお祀りするために建てられた神社なんです。淳仁天皇は後からお祀りされました。
慶応と明治の間に造られた神社なのになぜ崇徳天皇をお祀りしてあるのでしょうか?
それは崇徳天皇の身におきた悲劇と関係しているのです。
崇徳天皇とは
知る人ぞ知る日本歴史上最も恐れられた上皇です。「日本史上最強の怨霊」というありがたくない言われ方をされることもあります。
崇徳天皇は第75代目の天皇。平安時代の終わり頃に生きた人です。学問に優れ、和歌の名人でした。
1156年。保元の乱で後白河天皇・平清盛に破れ、讃岐国(香川県)に流罪になってしまいました。崇徳上皇は都に帰りたいと願っていましたがその願いは果たせず失意のまま讃岐で亡くなりました。
とここまでなら権力争いに破れた人。で終わったのですが崇徳上皇は死に際にとんでもないことをしました。
「皇を取って民とし民を皇とする」と誓ったと保元物語には書かれています。この誓いは後白河天皇や平清盛に対して言ったものです。事実、その後は武家の社会になって公家が没落。平清盛の死後は平氏も没落してしまいます。そしておよそ700年続く武士の時代になりました。
崇徳上皇が本当に朝廷を呪ったかはわかりません。でも当時の人々は朝廷の没落は崇徳上皇の呪いだと信じました。
というわけで崇徳上皇は日本史上最強の怨霊といわれます。
歴史上も保元の乱で平清盛・源義朝が力をつけて武士の世のきっかけになりました。崇徳上皇の存在が公家中心の世の中を終わらせる原因の一つになったのは間違いありません。
そこで明治維新で武士の世の中を終わらせるときに崇徳上皇の霊を慰めて祟りがおきないようにしました。讃岐の白峰山陵に葬られていた崇徳上皇を京都にお迎えして祀ることで崇徳上皇の呪いを断ち切ろうとしたのです。
白峯神宮の名前の由来も讃岐の白峰(現在の香川県坂出市五色台白峰)からきています。
元号が慶応から明治に変わる直前。慶応4年9月6日に崇徳上皇の御魂は京都の白峯神宮に鎮座しました。そしてその2日後の9月8日に元号が明治に変わりました。
白峯神宮が建てられたのは怨霊を恐れていた平安時代の話ではありません。わずか150年前の話です。ときの政府は崇徳上皇の魂を鎮めるため神社を建てたのでした。そのくらいしなければ武士の世は終わらせないと考えたんですね。
ちなみに崇徳上皇のお墓はここにはありません。今も香川県坂出市の白峰山陵にあります。ここに祀られているのは魂だけです。
崇徳天皇の和歌
境内には崇徳天皇が読んだ和歌の碑があります。
この崇徳天皇の和歌は小倉百人一首にもなってます。
このような詩です。
瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の
われても末に あわむとぞ思ふ
意味は
浅瀬の流れが速いので、岩に一度はせき止められてしまう滝川の水が2つに分かれて再び合流するように、
恋しい人と別れても将来必ず逢おうと思う
崇徳天皇が詠んだのは恋の歌でした。
歴史上は悲劇の天皇として語られることが多いのです。でも和歌の才能に優れ情熱的な詩を詠んでいたという意外な一面があったんですね。
淳仁天皇とは
御祭神のもう一柱は淳仁天皇(じゅんにんてんのう)。
かなり歴史に詳しい人じゃないと知らないかもしれません。
奈良時代に生きた第47代天皇です。
しかし孝謙上皇が弓削道教をとりたてて寵愛しました。淳仁天皇は道教を特別扱いするのを注意しましたが、逆に孝謙上皇の怒りをかってしまいます。頼りにしていた藤原仲麻呂が孝謙上皇と争って敗れると、淳仁天皇は天皇の地位を奪われ淡路島に流罪になってしまいます。流罪先の淡路島で亡くなりました。
藤原仲麻呂は悪人みたいに言われることも多いのですが、彼の行った政治そのものは先進的なもので後の時代にも受け継がれています。淳仁天皇・藤原仲麻呂が逆らったのが孝謙上皇という日本史上稀にみる強い影響力を持った女帝だったのが不運でした。
淳仁天皇は奈良時代から江戸時代まで長い間「淡路廃帝」とよばれていました。明治になって「淳仁天皇」の諡が贈られ、明治6年(1873年)に白峯神宮に祀られました。
こちらも不幸な生い立ちの天皇です。
伴緒社
地主社の向かって左手にあるのが伴緒社(とものおしゃ)。
こちらでは源為義、源為朝をお祀りしています。
源為義は源頼朝・義経兄弟の祖父。源為朝は源頼朝・義経兄弟の叔父になります。源頼朝・義経兄弟は保元の乱で崇徳上皇に味方して後白河天皇・平清盛・源義朝と戦いましたが破れて処刑されました。
源義朝は源為義の息子。源頼朝・義経兄弟の父です。保元の乱では源氏は親子に別れて戦っていたのですね。
もともとは鎮魂のために建てられましたが、二人とも弓の名手だったので武勇の神様として信仰されています。
白峯神宮のお守り
白峯神宮にはユニークなお守りがあります。
崇徳天皇は日本最強の御霊というだけあってご利益も凄そうです。
神宮おまもり
自分用に求めたのがこちら。
ちょっと変わった形をしています。
中にマグネットが入っていて、パチンととめることができるんですね。
「服の襟に付けられますよ」と神社の方が言ってました。
中をあけると・・・
菊の御紋の上に「最善を尽くせ」の文字が!
背筋が伸びそうです。
なんだかパワーがありそうなお守りですね。
ふだん怠けがちな方にはいかがでしょうか?
白峯神宮に祀られた神様の本当の意味
テレビや雑誌ではスポーツの神様とだけ紹介されることが多い白峯神宮。
でも御祭神として祀られているのは崇徳天皇と淳仁天皇。ともに悲劇的な運命をたどった天皇です。
日本には御霊信仰というのがあります。悲劇的な最期をとげた人は凄まじいパワーを持っているという考えです。人々はそのパワーが恨みになって戻ってくるのを恐れたのです。だから神様としてお祀りして怒りを鎮めたのでした。
でも強いパワーを持つことは味方になればこれほど頼もしいものはありません。そして不幸なおいたちを持つ神様は他の人はそうなってほしくないという想いがあるから困っている人を助けてくれるのです。
菅原道真や平将門なども公家や都の人々には怨霊として恐れられましたが庶民には人気のある神様ですよね。
そうした怨霊の中でも最強といわれたのが崇徳天皇。でも崇徳天皇本人は学問好きで穏やかな人だったといいます。悲劇的な運命をたどってしまいましたが、上手にお参りすればきっと力を貸してくれることでしょう。
神社の情報
ご祭神 :崇徳天皇、淳仁天皇
参拝時間:8:40から17:30。
住 所 :京都市上京区飛鳥井町261番地
電 話 :03-3361-4398
公式サイト:白峯神宮
アクセス
駐車場:境内に数台分の駐車場があります。
電車
京都市営地下鉄 烏丸線今出川駅より 徒歩 約8分。
京阪電鉄 出町柳駅より 徒歩 約25分。
白峯神宮の記事は他にもあります。
白峰神宮:蹴鞠の神様はスポーツ選手に人気のパワースポット
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