洛中・洛外の範囲はどこ?なぜ京都を「洛」と呼ぶの?

洛中洛外

こんにちは。たかふみです。

京都に行くことを「上洛」といったり、京都の各地域を洛中・洛外とか、洛東・洛西・洛北・洛南といったりします。

どうして京都が「」なんでしょうか?

洛中・洛外の範囲

洛東・洛西・洛北・洛南がどのあたりなのか紹介します。

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京都が「洛」な理由

平安時代の文学の世界では平安京長安洛陽と呼ぶことがありました。

平安京

本当の名前ではなく和歌や漢詩などで使う文学的な表現です。

長安・洛陽とは唐の都です。

唐には2つの都がありました。

  • 首都:長安。西の都
  • 副都:洛陽。東の都

平安京は唐の都を参考に造られました。皇城を南に配置。碁盤の目のように張り巡らせた道路。四角い街等など。

でも形だけではありません。平安の文化人は名前までパクった参考にしたのです。

平安京の朱雀大路から西を「長安城」、東を「洛陽城」と呼びました。

いずれも正式な呼び方ではありません。当時の人が考えた文学上の「カッコイイ」愛称です。

ところが平安京の西側はもともと水はけが悪かったり災害が起きたりして廃れてしまいます。

内裏(御所)などの重要な施設は平安京の東側に移り発展を続けました。

その結果、平安京の東を意味する洛陽だけが残りました。

最初は平安京の東の愛称だった洛陽でしたが都そのものを意味するようになり。省略して「」だけで都を意味する言葉になったのです。

右京と左京

京都には右京左京という呼び方があります。

現代の住所のにも右京区、左京区がありますが。現在の右京・左京とはちょっと違います。

かつては平安京の東半分を左京。西半分を右京と呼びました。

洛陽城部分が左京、長安城部分が右京です。
現代の北を上にする地図で見ると右側が左京、左側が右京になるので現代人は戸惑うと思います。

でも、地図を南北を逆にして見るとよく分かると思います。

平安京 南が上

北を背にして南を向いたとき。

御所(大内裏)から見て右側が右京、左側が左京になります。

だから平安京の東側が左京、西側が右京なのです。

 

洛中・洛外の分け方

京都の場所を表現するときに洛中・洛外といったり、洛東・洛西といったりします。

でもこれはなんとなく呼ばれているので、正式な分け方はありません

大まかな地域はわかるものの、人によって境界線はあいまいです。

でもおおよそどのあたりか知っておくと、京都のどのあたりなのかわかって便利です。現在の住所でどのあたりになるのかおおよその分け方を紹介します。

洛中洛外

洛中

洛中の範囲

ほぼ平安京の洛陽部分。
現在の北大路通から南、九条通から北。千本通から東、鴨川から西。
上京区、中京区、下京区、南区の一部になります。
JR京都駅から南は洛南に含めることもあります。

主な観光地

京都御所、晴明神社、護王神社、白峯神宮、二条城、本能寺、壬生寺、西本願寺、東本願寺、北野天満宮
京都水族館、

主な駅

JR京都から二条

 

洛外

洛外の範囲

京都市で洛中以外の場所。

さらに細かく次のように分かれます。

洛東(らくとう)

洛東の範囲

左京区、東山区、山科区

主な観光地

銀閣寺、永観堂、哲学の道、南禅寺、平安神宮、円山公園、高台寺、八坂神社、清水寺、建仁寺、三十三間堂、豊国神社、六波羅蜜寺
霊山資料館

主な駅

京阪電鉄七条から出町柳。地下鉄東西線三条京阪から御陵

洛北(らくほく)

洛北の範囲

北山区の北大路通りから北側。鞍馬、貴船、比叡山あたりまで。

主な観光地

鞍馬寺、貴船神社、三千院、延暦寺、上賀茂神社、下鴨神社、今宮神社、大徳寺

主な駅

京都市営地下鉄烏丸線 北大路から国際会館まで
京阪電車 出町柳から鞍馬まで

洛西(らくさい)

洛西の範囲

右京区の南部、西京区。
向日市、長岡京市の一部を含むこともあります。

主な観光地

金閣寺、大覚寺、天龍寺、野宮神社、車折神社、松尾大社、仁和寺、鈴虫寺、苔寺、長岡天満宮
嵐山、桂離宮

主な駅

JR山陰本線円町から保津峡まで
阪急電車嵐山線
京福電鉄西大路三条から嵐山まで

洛南(らくなん)

洛南の範囲

南区の九条通から南側、伏見区。
山科区の一部、宇治市の一部を含むこともあります。

主な観光地

東寺、東福寺、伏見稲荷、城南宮、御香宮、醍醐寺、平等院
寺田屋、伏見桃山城

主な駅

JR奈良線 東福寺から小倉まで
京都市営地下鉄烏丸線、竹田から九条まで
京阪電車本線東福寺から淀まで

以上はおおまかな分け方です。
でも決まった分け方はありません。観光ガイドや地図を作った人によって微妙に違うこともあります。

でもおおまかな分け方を覚えておくとだいたいどのあたりにあるのかわかるので便利です。

平安京の本当の名前を知ってますか?

平安京は「へいあんきょう」ではなかった?

ところで平安京の本当の名前を知ってますか?

現代人は平安京を「へいあんきょう」とよんでいます。でも本来のよびかたではありません。少なくとも平安時代の人々はそうは呼んでいません。

本当は平安京と書いて「たいらのみやこ」と呼びます。

ちなみに平城京は「ならのみやこ」です。

平安時代より後の時代になって音読みが普通になってしまったのですね。

京都は首都の意味

京都は首都のこと。本来は地名ではなくて普通名詞です。

現代人が使う「首都」と同じ意味です。

漢語の世界では普通に首都を京都(けいと)といいます。だから中国王朝や朝鮮王朝にも京都があります。

古代の日本も首都を京都と呼んでいました。しかも古代の日本では頻繁に首都が移転してたので、そのたびに京都が移動します。

だから奈良時代は平城京が京都でした。

ところが平安京が出来てからというもの、首都移転はありません。

そのため京都=平城京になり。

京都は普通名詞ではなく地名になったのです。

だから首都が東京に変わっても京都は京都です。
(政府は首都移転を発表してませんし、都を東京に限定する法律はない。という意見もありますが)

今では中国や台湾でも「京都」と書けば日本の京都です。

京都には様々な言い方があるのですね。

 

 

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