神足神社 の紹介|京都府長岡京市

神足(こうたり)神社は京都府長岡京市にある神社です。

平安時代からつづく式内社のひとつです。

神足は「神の足」とも書くことから、足の健康や怪我を防ぐご利益があるとされます。足の健康を願う人やスポーツ選手の参拝もあります。

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神足神社

神足神社拝殿

御祭神

主祭神

神足大明神
 その正体は
 天神立命(あめのかみたちのみこと)
 舎人親王(とねりしんのう)などの説があります。

神足神社の主祭神は江戸時代までには「神足大明神」とされていました。その正体はよく分かっていません。天神立命とも舎人親王ともいわれます。人々が神様の正体を気にするのは江戸時代も後半になってから。それまでは神足大明神でも問題はなかったのです。

天神立命(あめのかみたち の みこと)とは

天神立命は高御産巣日神の孫。邇芸速日命(にぎはやひ のみこと、邇邇芸命の前に天孫降臨した神)の天孫降臨に同行しました。

天神立命は山背久我直等の祖先になったともいわれます。古い時代にこの地を支配した豪族が祖先を祀っていた可能性もあります。久我神社にも同じ神様がお祀りされています。古代には久我神社を作った一族が長岡にもいたのかもしれません。

舎人親王(とねり しんのう)とは

天武天皇の皇子。淳仁天皇の父。天武天皇の孫・長屋王とともに政治を行いました。日本書紀編纂の責任者。藤森神社に祀られています。

なぜこの地に祀られている神様と考えられたのかはわかりません。

なぜ舎人親王が神足神社の御祭神なのか?

これは私の個人的な考えですが。
神足氏を名乗った初代・神足光丸は天武天皇のひ孫とされます。少なくとも神足氏ではそのように伝えていました。神足氏は神社に自らの祖先を氏神として祀っていたとされます。

しかし戦国時代の終わりごろに神足氏が神足村から若狭に移動になりました。村には神足神社の氏神が誰なのか詳しく知る人がいなくなったのでしょう。江戸時代になると「天武天皇の皇子」という漠然とした言い伝えだけが残ったのではないでしょうか。

しかも江戸時代初期の京都ではなぜか「天武天皇の皇子・舎人親王は藤森に埋葬されている」と信じられていました。そのため藤森神社に舎人親王がお祀りされています。

そこで人々は「神足神社に祀られている天武天皇の子孫(あるいは皇子)も舎人親王に違いない」と信じたのではないでしょうか。

式内社

平安時代に作られた延喜式神名帳に載っている由緒ある神社です。
山城国乙訓郡
神足(かうだにの)神社

神足(こうたり)神社の由緒と歴史

創建年は不明。

付近には神足遺跡があり、縄文時代の遺跡や弥生時代の石剣・管玉が出土しています。古くから人が住んでいる場所です。

平安時代

延暦3年(784年)。長岡京の遷都。神足家初代・神足光丸が桓武天皇の行幸に付き従いこの地にやってきました。以来、神足家は長岡に移り住みました。(神足家譜)

神足光丸は天武天皇のひ孫とされまます。
天武天皇→長皇子→栗栖王→神足光丸とつながる家系。真偽はわかりませんが神足氏ではそのように伝えていたようです。

延暦15年(796年)。勅命により祖先を祀り、神足大明神と称しました。(神足家譜)

斉衡元年(854年)。国の官社になりました。(文徳実録)

927年。式内社(小社)になりました。(延喜式神名帳)

鎌倉~室町時代

乙訓のあたりは摂関家・九条氏の荘園になります。
神足氏は荘園の管理を任されました。

室町時代後半になると神足氏は管領・細川家の配下になりました。

神足神社は神足氏と神足村の人々が産土神として信仰されました。

戦国時代が終わると神足氏はこの地域を支配した大名・細川氏とともに若狭さらには肥後(熊本)へ移転します。

江戸時代

神足神社は神足村の人々から産土神として信仰を集めました。

元禄年間(1688~1703年)。田の南で村の巽(南東)にあたる場所に移転。

明治以降

明治5年(1872年)。東関道線の開通のため東に移転。それが現在地です。

「桓武天皇の夢」伝説

神社にはこのような伝説が伝わっています。
あるとき桓武天皇が夢を見ました。
田村(神足村の古い名前)の池に天から神が降り立ち、宮中を南から襲おうとしていた悪霊を防いだのです。
天皇は目覚めると田村にこの神を祀る社を建てさせ太刀を絹を奉納しました。以後、この社は「神足神社」と呼ばれ、村は「神足村」と呼ばれるようになりました。(神足大明神縁起)

野神天神(のがみてんじん)

埜社

埜神(のがみ)社ともいいます。

御祭神は鹿屋比売命、大歳神。

勝龍寺城の堀

土塁

神足神社の南西には勝竜寺城の空堀や土塁があります。これらは勝竜寺城を囲う形で張り巡らされていた防御施設の一部です。

現在神足神社が建っているあたりにはかつて神足氏の居城がありました。土塁などが築かれていたようです。

神足神社の南西には細川藤孝が居城とした勝竜寺があります。戦国時代。細川藤孝が勝龍寺城を居城にして拡張しました。そのとき神足城の土塁も取り込まれました。神足城は勝龍寺城の一部になったようです。

神足城が放棄された後、堀は竹やぶになっていました。近年竹やぶが伐採され空堀や土塁が復元されました。

神足神社へのアクセス

JR東海道本線 長岡京駅から徒歩7分。

住所:〒617-0832 京都府長岡京市東神足2丁目5

普段は無人のようです。長岡天満宮が管理しているので御朱印はそちらでいただけるそうです。

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