粟田神社:旅人の守り神は刀剣の聖地になってました

粟田神社は京都の三条にある神社。古代よりこの地域の人々が氏神と崇める聖地でした。

粟田口は京都と東国を結ぶ、東海道、東山道の京都川の入り口です。東海道は現在の国道一号線のもとになった道路ですね。都を守る神社であると同時に旅人からの信仰も厚い神社です。

もともと由緒正しい神社なのですが最近の日本刀ブームでさらに注目を集めています。そんな粟田神社に行ってきました。

粟田神社

粟田神社

京都市営地下鉄の東西線、東山駅と蹴上駅のほぼ中間にある駅です。どちらかというと東山駅の方が少し近いですかね。駅から歩いて7分ほどで赤い鳥居が見えてきました。粟田神社の鳥居です。

鳥居をくぐって参道に入りましょう。

雰囲気のある参道が続きます。

粟田神社参道

 

石畳の道を抜けると上り坂が待ち構えています。

感神院新宮(かんじいんしんぐう)

石の鳥居には「感神院新宮(かんじいんしんぐう)」の文字が。
感神院新宮(かんじいんしんぐう)

粟田神社の古い呼び方です。明治時代より前には八坂神社が感神院祇園社と呼ばれていたのに対して、牛頭天王を祀る新しいお宮という意味で「感神院新宮」という名前になりました。

 

鍛冶神社入り口

狛犬を左に曲がると鍛冶神社にたどり着きます。

鍛冶神社:鍛冶の神様と三条宗近・粟田口吉光を祀る刀剣の聖地

石段を登りきると建物が見えてきました。

粟田神社

 

境内の真ん中には、檜皮葺の拝殿があります。

粟田神社拝殿

本殿にお参りしましょう。

立派な本殿ですね。

粟田神社本殿

御祭神は素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)。

素戔嗚尊は八坂神社と同じ。大己貴命は八坂神社にはお祀りされていません。大己貴命とは、大国主大神の若い頃の名前。素戔嗚尊の子孫ですからまったく関係ないわけではありません。

本殿の目につくところにこんなポスターが?

刀剣乱舞ポスター

ゲーム「刀剣乱舞」とのコラボでスタンプラリーを行ってるようです。日本刀に興味があったあったのでゲームやってみました。なかなかおもしろかったです。

近頃は御朱印や聖地巡りで神社を訪れる人も増えましたね。でも神社ですからせめて本殿はお参りしてくださいね。礼儀ですから。

粟田神社の摂社・末社

本殿の左手には摂社末社があります。

朝日天満宮・多賀社

朝日天満宮多賀社

左側は朝日天満宮。
学問の神様、菅原道真公をお祀りします。

右側は多賀大社。
滋賀県にある多賀大社の分霊をお祀りします。縁結び・長寿の神様です。

大神宮

大神宮

青蓮院の坊官をしていた鳥居小路家の土地を守る神様(鎮護神)だそうです。

大神宮は伊勢神宮の御分霊。

青蓮院は皇族か摂関家の人が門主(住職)を務めるお寺でした。御所が被災したときには仮の御所として使われることも合ったようです。そのため粟田御所の別名もあります。

この祠は明治時代にこの地に移されたそうです。他にも粟田神社境内には青蓮院から移された末社がいくつかあります。

このお社については興味深い話が伝わっています。

在原業平と斎宮の密通で生まれた子の話

鳥居小路家の祖先は高階師尚(たかしな の もろなお)という人でした。師尚の母・恬子内親王が伊勢神宮の斎宮をしていたときに、在原業平と密通して産まれたのが高階師尚です。生まれを隠すために公家の高階茂範が師尚をひきとって育てたということです。

当然、神様に仕える斎宮がそのようなことは許されません。高階師尚の子孫がお伊勢参りをしようとすると病気になったり災難にあったりしてお参りすることができなかったそうです。そこで高階家の敷地に神様をお祀りしたということです。

いくらなんでも在原業平と斎宮が密通するなんてありえないでしょ、と思いますがどうなんでしょう?

実はこの話の元ネタは「伊勢物語」。あくまでも物語なので事実かどうかはわかりません。そもそも、伊勢物語では主人公は「男」としか呼ばれません。一部をのぞきはっきりと在原業平と書いてるわけではないんですね。

でも一部に業平と読んでいる箇所があったり、在原業平の和歌を載せてたりするので古くから在原業平がモデルだといわれています。高階家も在原業平の子孫じゃないかと噂されたそうです。

伊勢物語では、男が伊勢の斎宮と交流する場面は一番盛り上がる部分。人々の関心を集めたのでしょうね。

この大神宮には八幡神、春日社も合わせてお祀りしています。

北向稲荷神社

境内の南側。拝殿から山をみると石の鳥居があるのがわかります。

北側を向いているお稲荷さんがあります。だから「北向稲荷神社」

北向稲荷

御祭神は「雪丸稲荷」です。

雪丸稲荷は平安時代の刀工・三条宗近が一条天皇の命令で刀を鍛えたときに、宗近とともに刀を鍛えた稲荷明神の化身です。

三条宗近が雪丸稲荷とともに作り上げたのが名刀・小狐丸といわれます。

合槌稲荷の紹介でもこの話は載せましたので詳しい話はそちらをどうそ。

合槌稲荷:平安時代の刀工・三条小鍛冶宗近と名刀・小狐丸ゆかりの地

三条宗近がお参りした稲荷神社は現在ではウエスティン都ホテルの敷地になってしまいました。

でも、境内には宗近と刀を作った「雪丸稲荷」がお祀りされています。刀剣ファンの方はぜひお参りしたいお社ですね。

鍛冶神社

刀剣の聖地:鍛冶神社も粟田神社の末社です。
石段を降りたところにあります。

鍛冶神社の紹介はこちらにかきましたのでどうぞ。

鍛冶神社:鍛冶の神様と三条宗近・粟田口吉光を祀る刀剣の聖地

 

粟田神社の由緒

 

平安時代の貞観18年(876)。神祇官(朝廷の祭祀を行う部署)や陰陽寮から「戦災や疫病が流行るので民を悩ませるでしょう」と、清和天皇に連絡がありました。

そこで清和天皇は各地の神にお供えをして民の安全を祈願しました。

そのとき勅使の藤原興世は感神院祇園社(現在の八坂神社)で7日間籠もって祈願をしました。すると夢に大己貴神があわられて「祇園の東北に牛頭天王にゆかりのある清い所がある。そこで我を祀れ」とお告げがありました。

藤原興世は天皇に伝えると、天皇は命令を出して粟田口に大己貴神と牛頭天王を祀る神社を建てました。

また一説には古代豪族の粟田氏の氏神だったともいわれます。粟田氏は大和国(奈良県)の和邇氏から別れた豪族。山背国(京都府)の粟田郷に本拠地を持つ豪族でした。第5代孝昭天皇の子孫という伝承もあります。都が平安京になる前から朝廷で活躍していた豪族です。遣唐使になったり大宝律令の制作に関わった粟田真人も粟田氏の出身です。

つまり古代から粟田氏の氏神として信仰されていた聖なる場所に、平安時代になって社が建てられたのでしょう。地域の氏神から都の守り神になったのです。

当初は、感神院新宮(かんじいんしんぐう)とか粟田天王宮と呼ばれました。つまり牛頭天王(須佐之男)を祀る新しいお宮という意味です。

そのためか、室町時代に応仁の乱などで祇園祭が行えなかったときは粟田祭りを御霊会にしたということです。粟田神社と八坂神社はどちらも須佐之男(牛頭天王)をお祀りする神社です。粟田の神様も疫病を鎮めると考えられたのでしょう。

粟田神社という名前になったのは明治時代からです。

粟田口は7つある京都の入り口の一つ。東海道につながる場所です。粟田口は都を守る重要な場所なので朝廷からも信仰を集めたのでしょうね。

神社の情報

ご祭神 

主座
素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)

左座
八大王子命(ハチダイオオジノミコト)

右座
櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)、神大市比賣命(カムオオイチヒメノミコト)、佐須良比賣命(サスラヒメノミコト)

参拝時間:
住 所 :京都市東山区粟田口鍛冶町1
電 話 :075-551-3154

公式サイト:粟田神社

アクセス

鍛冶神社に行くのは電車が便利です。

駐車場:なし

電車
京都市営地下鉄 
東西線 東山駅下車 東へ徒歩7分
東西線 蹴上駅下車 西へ徒歩7分
京都市営バス 神宮道バス停下車徒歩5分