合槌稲荷:平安時代の刀工・三条小鍛冶宗近と名刀・小狐丸ゆかりの地

合槌稲荷

京都の三条通にひっそりとたたずむお稲荷さんがあります。民家の間にあって見逃してしまいそうな小さなお稲荷さんです。

もともと能の謡曲「小鍛冶」とゆかりのある由緒のあるお社。ところがこの小さなお稲荷さんが最近注目を集めているんです。このところの日本刀ブームで刀剣の聖地になってしまったからなんですね。

合槌稲荷があるのは平安神宮に近い三条通りの北側。民家に挟まれてひっそりと参道があるので分かりづらいかもしれません。でも朱色の鳥居が並ぶので、近くまで行けばすぐに分かると思います。

合槌稲荷

 

グーグルマップなどの地図でもかなり拡大しないと載ってません。地図上では京都三条広道郵便局を目印にすると探しやすいと思います。

ちょうど南側には粟田神社があります。現地で探すときは粟田神社を目印にするといいと思います。

粟田神社

 

目次

三条通にたたずむ合槌稲荷神社

三条通りをはさんで粟田神社のほぼ反対側に合槌稲荷があります。

合槌稲荷

 

さて、参道から中に入りましょう。

参道も民家に挟まれています。かなり狭い。

合槌稲荷参道

 

歩いていくと、私有地のようなところに入ってしまいます。

本当にここに神社があるの?と思うくらい細い道を通ります。

どうみても私有地でしょう。

迷惑にならないように静かに通ります。

「いいのかな」と不安になりつつ奥に進みます。

すると、お社が見えました。

合槌稲荷

 

鳥居もつい最近(平成25年の文字が見えます)建て替えられたようですね。

合槌稲荷

 

小さないながらも、大切にされているお社なのだと感じます。

御朱印は粟田神社の社務所でお授かりできるそうです。

 

ニの富弁財天

傍らには弁財天もお祀りされていました。

ニの富弁財天

 

三つ鱗の紋が見えますね。三つ鱗は龍の鱗をモチーフにした紋です。平氏の一族で北条氏、緒方氏、伊勢氏が使った家紋です。能などでは鬼女・蛇の化身を表現するときにも使います。

弁財天は財運・芸事の神様として有名ですね。でも水の守り神でもあるんです。龍も水の守り神ですね。弁財天と白蛇や龍はよく関連付けられてお祀りされていることがあります。

このあたりに鍛冶に使った水がわく井戸があったそうです。井戸の守り神だったのかもしれませんね。

 

相槌とは

合槌稲荷を知る上で大切なのは「合槌」の意味。

合槌は相槌とも書きます。

「相槌をうつ」というと、現代では会話をしていてうなずく意味に使われます。

でももともとは鍛冶の専門用語でした。「相槌」「相の槌」ともいいます。

鍛冶師が刀を鍛えるとき、師匠が槌を打つと弟子も槌を打ちます。師匠のペースにあわせて、弟子も槌を打たねばならず、お互いの息があわないといい刀は作れません。

ちなみに意味不明のことを表す「トンチンカン」も鍛冶から産まれた言葉です。師匠と弟子の息があってないので、槌を打つ音が乱れて「トンチンカン」と聞こえたことから由来しています。

鍛冶の世界で相槌はとても大切なのです。その大切さを伝えるのが三条宗近と稲荷明神の化身の伝説です。この伝説は能の「小鍛冶」にもなりました。

能の「小鍛冶」から大まかな内容を紹介します。

 能 小鍛冶(こかじ)

夢のお告げをきいた一条天皇(即位年:980~1011)の命で、勅使の橘道成は、名工として名高い三条小鍛冶宗近のもとを訪れ剣を打つように命じました。宗近は自分と同じ技量を持つものが相槌がいないため、とうてい務まらないといいましたが、道成は聞きません。

困った宗近は氏神の稲荷明神に助けをもとめて参拝しました。そこで宗近は不思議な少年に出会いました。少年は様々な故事や日本武尊(やまとたけるのみこと)の話を聞かせて宗近を励まします。そして自分が相槌を務めると約束して稲荷山に消えていきました。

家に帰った宗近が身支度をすませて鍛冶壇に上がりお祈りしていると、狐が現れ「相槌をつとめる」と言いました。稲荷明神で出会った少年は稲荷明神の化身だったのです。

明神の相槌をえた宗近は無事に剣を鍛え上げました。こうして鍛えた剣には表に「小鍛冶宗近」、裏には「小狐」と銘を刻みました。こうして名剣「小狐丸」ができあがりました。

明神は小狐丸を勅使に捧げたあと、雲に乗って稲荷の峰(稲荷山)に帰って行きました。

相槌の大切さを知っていると能の「小鍛冶」の話もよく理解できると思います。天皇に捧げる刀なら中途半端なものはできません。相槌を打つ相手にも最高のパートナーが必要です。でも当時の宗近には自分と同じ技量の弟子はいません。そこで困ってしまう。という話です。

 

お稲荷さんと縁の深い三条宗近

宗近は日頃から稲荷明神を信仰していました。宗近が通ったお稲荷は諸説あります。伝説では稲荷山の稲荷明神としか書かれていないのでどこなのかよくわかりません。

そのため稲荷山に鎮座する「伏見稲荷大社」「花山稲荷」「御百稲荷神社」に三条宗近の逸話が伝わっています。

粟田口から一番近い御百稲荷神社は現在はウェスティン都ホテルの敷地内になっています。だれでも行けるというわけではありません。

他にも伏見稲荷大社や花山稲荷など稲荷山周辺の稲荷神社には三条宗近の逸話が残っていますから、そちらを訪れるのもいいかもしれませんね。

三条通にある合槌稲荷は宗近が日頃から信仰していた稲荷明神の祠だったようです。このあたりに宗近は住んでいたともいいます。

宗近は刀の焼入れに使うときには稲荷山の土を使っていたと言われます。「小鍛冶」でも稲荷明神の化身は稲荷の峰に帰っていきました。三条宗近はお稲荷さんに縁の深い刀工ですね。

小鍛冶の話はあくまでも伝説ですが。三条宗近が一条天皇が即位したときに刀を鍛えて奉納したのは事実です。その刀が「小狐丸」だったといわれます。「小狐丸」には、快心の作ができたのは日頃お世話になっているお稲荷様のおかげという意味が込められていたのでしょう。

さらに、三条宗近があまりにも凄い刀工だった。「小狐丸」が凄い刀だったのでこのような伝説が産まれたのでしょうね。

「小狐丸」の話が有名になったので全国には「小狐丸」と称する刀がいくつか伝わっています。でも宗近の作った「小狐丸」は行方知れずです。残念ですね。

 

神社の情報

ご祭神 :宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

住 所 :京都府京都市東山区中之町(三条通)200

アクセス

鍛冶神社に行くのは電車が便利です。

駐車場:なし

電車
京都市営地下鉄 
東西線 東山駅下車 東へ徒歩7分
東西線 蹴上駅下車 西へ徒歩7分
京都市営バス 神宮道バス停下車徒歩5分

 

周辺には三条宗近ゆかりの神社があります。

鍛冶神社:鍛冶の神様と三条宗近・粟田口吉光を祀る刀剣の聖地

 

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