暑い夏にせわしく鳴いているセミ。
そんなセミをみたり、鳴き声を聞いたりしてどう思うでしょうか?
なんとも思わない?それはそれでかまいません。セミはどこにでもいます。気にならなくても当たり前です。
でもそんなありふれたセミなのに何か気になるときがあります。
セミを見たり聞いたりして何かがひらめいた時、ふとどういう意味かな?と気になったとき。それはあなたに与えられたメッセージなのかもしれません。セミがあなたに何かを知らせようとしているのかもしれません。
セミには様々なスピリチュアルな意味があります。
セミの知らせやスピリチュアルな意味を知る手がかりは世界の伝承にあります。
セミはいにしえより世界各地の神話や伝承に登場。様々な象徴的な意味を持っています。それは古代の人日にセミに神秘的、象徴的な意味を発見したからです。
セミを見たり聞いたりしてあなたが気になったもの。それはなんでしょうか?
セミのスピリチュアルな意味を紹介します。
セミの象徴する意味
再生・不死・復活の象徴
昆虫は脱皮をして成長していくものです。
でもセミは人間の身近で暮らしセミの抜け殻という目立ちやすいものを残してくれるおかげで、脱皮を連想しやすい生き物です。
そのためセミは世界各地で再生の象徴と考えられました。
再生は不老不死にも繋がります。
古代ギリシャではセミは人気がありました。
アリストテレスはセミを食べるのが好きでしたが彼の著書「動物誌」では「セミは再生と不死の象徴」と紹介しています。アリストテレス以前からそういう言い伝えがあったようです。アリストテレスによるとセミは美味しいらしいですが健康食の意味のあったのかもしれません。
曙の女神エオスは美青年のティトノスが気に入って恋人にしました。エオスは大神ゼウスに頼んでティトノスを不死にしてもらいました。ところがティトノスは歳をとって体が動けなくなりなりました。それでも生きています。エオスは彼を屋敷に閉じ込めましたがティトノスの弱々しい声が聞こえてきます。そこでエオスはティトノスをセミに変えました。肉体の老いと苦しみから開放されたティトノスは歌い続けるようになりました。
古代中国ではセミは生き返り、復活、再生の象徴と考えられました。
はかなさの象徴
セミは何年も土の中で暮らします。よくみかけるアブラゼミは6年。長い種類では17年。短いものでも3年も地中で暮らします。
そんなに長い間地下で暮らしたのに地上に出てきて成虫になって生きられるわずか数週間。長い種類だと1ヶ月もつと言われますが、それは人間が外敵から守りきっちりと餌を与えた場合のことで。自然界では多くの場合1ヶ月も保ちません。
さすがに1週間しか寿命がないというのは俗説ですが。セミは鳥に食べられやすいこともあり。あまり長くは生きられません。
そのためセミは寿命が短い生き物の代表のように考えられました。特に地中でいる期間が桁外れに長いだけにそのギャップがさらに成虫の命の短さを印象付けるものになっています。
もののあわれ
はかなさとも関係するのですが。
特に日本ではセミは「もののあわれ」の代表と考えられました。
「あわれ」とは決して「可愛そう・気の毒」という意味だけではありません。江戸時代には単純に気の毒・かわいそうという「評価」を表現する言葉に使われましたが。
それ以前の「もののあわれ」にはもっと深い意味がありました。
自然や物事を見たり聞いたり感じたときに、心のなかでおこる「しみじみとした感情」「感傷的な気分」「無情感」のことです。
はかなさ、命があることの限界、世の中は永遠ではない、無限ではない、という限界を知り、かと言って絶望するのではない。永遠なものに憧れつつも、限界のあるものを受け入れて生きる。限界のある自分や周囲のものを受け入れて味わう気持ちです。
満たされないものをあえてそれでよいと感じる心。
仏教的な無情感ともつながる気持ちです。
あなたはつい「あれも」「これも」と多くを追い求めていませんか?
「私はワガママなの、満たされなきゃイヤ」というのは物質的価値観に魂が染められている証拠。
「満たされないとイヤ」という心は例え今欲しいものが手に入っても新しいものが欲しくなります。人間の欲望には限界がありません。いずれあなたの人生を生きづらいものにしてしまいます。自分で自分の行き方を苦しいものに変えてしまうのです。
そんな生き方の正反対な方向をむいているのがセミが象徴する「あわれ」のこころ。
セミがうったえているのはあれもこれもと求めすぎる生き方ではよくない。足りないものでもそれにはそれでいい部分もある。満たされてなくても生きていけるならそれでいいじゃないか。
そんなメッセージかもしれません。
セミの抜け殻のことを空蝉(うつせみ)と言います。これは肉体を持つ我々が生きている世界。現世のことです。
セミは勤勉な音楽家
古代ギリシャではセミは勤勉な音楽家と考えられました。セミは真夏の暑いときに人間がぐったりしていても元気に鳴いています。そこでギリシャの人々はセミはほとんど何も食べないのに歌い続けることができる。と賞賛の対象になりました。
またセミは大昔は人間だったという伝説もあります。
あるとき芸術の女神ムーサイに魅了された人間たちは寝食も忘れて歌い続けました。やがて彼らは力尽きて死んでしまいます。気の毒に思ったムーサイは彼らをセミに変身させました。セミはムーサイの使者になりました。
またセミはアポロンやバッカスなど様々神に歌を捧げる生き物と考えられました。
ギリシャ人にはセミはほとんど何も食べず死ぬまでただひたすら歌っているように見えました。まるで神がかったように歌う生き物と考えられ。歌の才能も神から与えられたと考えられました。
もしかすると、セミの声に刺激を受けたあなたの中には芸術の才能・インスピレーションが眠っているのかもしれません。
セミは遊び人?
ギリシャでは勤勉な音楽家と称賛されたセミですが。ヨーロッパがキリスト教社会になるととらえ方がかわってきます。中世ヨーロッパではセミは怠惰の象徴でした。
フランスのイソップ物語ではセミはキリギリスと同じように働かずに遊んで暮らす遊び人と描かれています。
正反対のイメージを持つセミ
このようにセミに持つイメージは様々です。地域や時代によって正反対の意味を持つことがあります。
「じゃあどっちなの?」と思うかもしれません。どちらも本当です。
セミの鳴き声を、勤勉な音楽家ととるか。
働かずに遊んでいるととかで見方も変わってくるのです。
セミを再生・復活の象徴ととるか。
はかなさの象徴ととるかでも受け止め方は違います。
セミのスピリチュアルな意味
でもセミはセミです。違う目的で活動していたわけではありません。つまりセミを見て聞いてどう思うかはあなたの心しだいです。もちろん見かけたり聞いている環境、場所、鳴き方でも受け止める印象は違うでしょう。
セミはあなた自身も気づかない心の奥深く。深層心理、潜在意識が今どう思っているかを映し出す鏡です。
そして大事なのはそのときの直感を信じること。あとになって「うーん」と考えてもあまりいい答えは返ってきません。
セミを見たり聞いたりした時のあなたの気持ちや心を思い浮かべてみましょう。どんな気持ちでしたか?直感的にこっちだ。と思ったらそれがそのときのあなたの心の状態です。
そのときの感情やインスピレーション、気持ちにあった解釈をこの中から見つけてください。
その答えが再生・復活なら。なにかダメだったものがうまくいく。以前はダメったものでも頑張ればうまくいくかもしれない。という前触れかもしれない。
はかない、あわれ。と思うなら、あなたは様々なものに共感できる。心優しい人なのかもしれません。その感性は大事にしてください。
またガツガツとした生き方を考え直してみましょう。自然にやさしい生き方をしてみようというメッセージかもしれません。
勤勉な音楽家、神がった音楽家と思えたなら、何か芸術関係で未知が開けるかもしれません。インスピレーションが湧いてくるかもしれません。
遊び人とおもったら。今の生活を見直して、もっと真面目に仕事に取り組んでみてはいかがでしょうか。
セミの羽化は人生を教えてくれる先生
ちょっとスピリチュアルな話とはそれますが。
もしかするとそれ以上に大事かもしれないお話をします。
昨日はなかったけど、朝起きたらセミの抜け殻があった。と記憶している人もいませんか?セミの幼虫は夜中に羽化します。だから見る確率は低いのです。
もしセミの幼虫が羽化している瞬間を見ることができたら、あなたはとてもラッキーです。
生き物の貴重な生態の一瞬に立ち会えた。という知的な興味ももちろんですが。その神秘さに驚くと思います。
羽を持たず、土の中で暮らし木の上をゆっくりと歩いていた昆虫が、ピタッと動きを止めたたかと思うと。背中が割れて白い柔らかそうな生き物が中から出てきます。羽化したばかりのセミは羽は小さくてシワシワですが、やがて羽がピンッと伸びて空を飛べる立派な羽になります。そしてセミの体の色が白や薄い緑から、黒や茶色に変化して、それとともに体も固くなる。大人のセミへと変身していきます。
その神秘的な光景には子供でなくても息を飲むこと間違いありません。
その瞬間に立ち会えたことにこの世に生きている意味。今この瞬間をせいいっぱい生きることの大切さ。変わることの大切さの意味を改めて感じることでしょう。
夏休みのお子さんの自由研究でもいいのでぜひ見ていただきたいと思います。何かを感じる心の豊かな子供に育つかもしれません。
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