蝶は不吉な知らせ。という話を聞いたことはありませんか?
蝶は良い知らせのはずです。ところが正反対にとらえられることもあるのです。
なぜ蝶が不吉な生き物と考えられているのか紹介します。
蝶は霊魂が姿をかえたもの
蝶は魂が姿を変えたもの。
魂を運ぶ生き物。
という考えは日本だけでなく世界中にあります。死と再生、復活、変革のシンボルなのです。
蝶は霊魂と関わる生き物です。時代が経つにつれて「死」をイメージする人も出てきました。
特に「大量に出現した」とか「夜に出てきた」など普段ではない場面に蝶が出てきた場合は「不吉」だと捉える人が増えてきます。
歴史上も大量の蝶が出現したのを「悪い知らせ」と考えた記録があります。
鎌倉に蝶が大量発生で鎌倉幕府の危機?
鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」
宝治元年3月17日(1247年)には黄蝶が鎌倉中にあふれました。吾妻鏡にはこの時の様子を「是兵革兆也」と書かれています。つまり、戦が起こがるのではないかと不安がっているのです。
その後、3月24日には壇ノ浦の戦いが起こり平氏は滅亡しました。源氏が勝ったので頼朝にとっては「吉兆」だったといえます。でも当時の鎌倉武士は決戦を前に勝つか負けるか不安な気持ちだったのでしょう。「西国は平氏の本拠地。しかも平氏は海の戦いが得意。勝てるのか?もしかしたら・・・」という不安はあったでしょう。だから、せっかくの吉兆を良くない知らせととらえてしまったのです。
文治2年5月1日(1186年)にも鶴岡八幡宮に黄蝶があふれ「是怪異也」と驚きました。
この時期は鎌倉幕府ができて間もないころ。平氏は倒したものの、源義経を支持する朝廷や寺社勢力と源頼朝の鎌倉幕府が対立していた時代でした。鶴岡八幡宮は鎌倉の武士にとっては聖地です。不安定な時機に聖地に大量の蝶が出現したと言うので、なにか良くないことが起こるのではないかと鎌倉の武士たちは不安に感じたのです。
しかしその後、頼朝は義経ともども奥州藤原氏を滅亡させ武士の時代を作りました。鎌倉武士にとっては自分たちの時代がやってきたのですから悲観することはなかったのです。
蝶の出現で比叡山が滅びる?藤原定家の不安
藤原定家が天福元年(1233年)の4月28~5月3日の間に日吉大社に「蝶の雨が降った」という話を聞き「山上(比叡山)滅亡の時、此の事有るか」と日記に書きました。日吉大社は比叡山を守る鎮守社です。その神社に大量の蝶が現れたので良くないことが起こるのではないかと恐れたのです。
でもこの時代に比叡山が滅びることはありません。考えすぎだったのです。
もともと藤原定家自身は「天福」という元号そのものが不吉だと嫌っていました。唐の「景福」という元号の時代に大乱が起きていたからです。そのような先入観があったので「蝶が大量に出現した」という普段はない出来事を悪い知らせとして感じたのでしょう。
夜の蝶は死者の魂
日本各地に夜の蝶は死者の魂だという言い伝えがあります。
江戸時代の百科事典「和漢三才図会」にはこのような話があります。
越中の立山権現には追分地蔵がある。毎年7月15日の夜。胡蝶が数多く出てこの原に乱舞するが、人々はこれを精霊市と呼んでいる。
と書いています。7月15日とは旧暦ではお盆の時機です。死者の魂が夜の蝶となってやって来ると考えられたのです。
夜の蝶に出会うと死ぬ?
夜ふけの道で無数の白い蝶が舞い、息が詰まるほど人にまとわりつく。これに出会うと病気になって死ぬといわれます。
古い文献では「夜の蝶」という言葉がよく出てきます。
ところがこの「夜の蝶」は現代人の考える蝶ではありません。蛾のことなのです。
昔の人はチョウとガは区別していなかった
現代の日本人は蝶と蛾を区別しています。ところが江戸時代までの日本人は蝶と蛾は区別してません。薄い羽を持ちひらひらと飛ぶ虫はみな「蝶」だったのです。
蛾は繭を作る蝶、つまり蚕の成虫の意味でした
日本人が蝶と蛾を現代のように区別するようになったは英語の影響です。
明治時代に英語の「butterfly」を和訳するとき「蝶」の字を使いました。
そして「moth」を和訳するときに「蛾」の字を使いました。
そこで日本では
蝶=主に昼間に活動する美しい鱗翅目の昆虫。
蛾=主に夜間に活動する鱗翅目の昆虫。
となったのです。
ちなみに生物学上は蝶と蛾はすべて「チョウ目(鱗翅目)」に分類されます。
フランス語やドイツ語でも蝶と蛾は区別しません。
フランス語では鱗翅目全般を「papillon」と呼び。
ドイツ語では「falet」と呼びます。
蝶と蛾を区別するときは「昼の」「夜の」と言葉をつけます。
ドイツ語では蝶は Tagfalet (昼のチョウ)。蛾はNachtfaler(夜のチョウ)となります。
というわけなので蝶も蛾はどちらも霊魂を運ぶひらひらと飛ぶ虫なのです。
というわけで、明治より前の記録に「蝶」と書かれていても全てが蝶ではありません。蛾も混ざっています。
とくに昔の人が夜の蝶と呼ぶものは「蛾」と考えてください。
本来の意味を忘れイメージだけが独り歩き
人の死が身近にあった古代。死者への想いを大切にする時代には蝶は復活や再生を意味する希望の存在でした。
ところが文明が進み、人の死が身近なものではなくなり、死者への想いよりも現代人の利益が大切にされると蝶を不吉だと考える人もあわられました。
生活が豊かになり、平和になると、それを失うことへの不安も大きくなります。
平和な時代とは漠然とした不安の中で生きているようなものなのです。そのような時代には、目先のできごとにとらわれがちです。
蝶=魂ですから魂が飛んでいるとは「どこかで人が死んだ」ということです。確かに死者が出たのは良くないことです。でも蝶はその先にある復活や再生へむけて魂を運ぶものです。
でもそのような意味も忘れられ、ただ死を連想するイメージだけで判断してしまうと「蝶は不吉」という考えになってしまうのです。
しかも重要なのは、蝶や蛾が死をもたらすわけではないことです。
蝶は死の後にある魂の姿、次の再生にむけた一時的な姿なのです。
現代だと霊柩車が走っているのを見て「不吉」だとクレームを付けるのに似ています。霊柩車は本来は死者を弔うための特別な乗り物です。でも、他人のことはどうでもいい人にとっては死をイメージさせるだけの不吉な存在になってしまう。その意識と同じなのでしょう。
本来は人の死に対して成仏を願ったり、冥福を祈る場面。それなのに不吉だとしてしまう。なんとも嘆かわしいことです。
蝶はあなたの心の健全性を教えてくれる
蝶の姿を見て不吉だと考える人は考えが後ろ向きになっているのです。
吾妻鏡の鎌倉武士や藤原定家のように。日頃から不安や不満を抱えている人には、何かが起こると不吉だと後ろ向きにとらえてしまいます。
つまり。蝶が不吉なのではなく。
蝶を見て不吉だと考えるあなたの心に問題があるのです。
しらずしらずの間に心が病んでいるのかもしれません。
何か不満や不安を抱えていませんか?蝶を見て不吉だと感じたらストレス解消や気分転換をこころがけましょう。不安や不満をかかえたままだといつか大きな失敗やトラブルに巻き込まれるかもしれません。
あなたを見守る存在が蝶を通してあなたに警告しているのかもしれません。
心のリフレッシュをして健全な心を取り戻してくださいね。
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