豊国神社 豊臣秀吉をお祀りする出世の神様と方広寺

豊国神社 京都市 東山区

豊国神社(とよくにじんじゃ)は、京都市東山区にある豊臣秀吉をお祀りする神社です。
戦国時代に農民から天下人になった豊臣秀吉は日本一出世した人物として有名です。現在でも秀吉にあやかり出世や勝運を求めて参拝者が訪れます。

出世と勝負運の神様、豊国神社を紹介します。

豊国神社(とよくにじんじゃ)とは

豊国神社

御祭神

主祭神:豊臣秀吉(豊国大明神)
 農民から天下人になった戦国武将。日本一の大出世した人物として有名です。ご利益は「出世・勝運・仕事運」

摂社・貞照神社
 主祭神:北政所(ねね)
 本殿の横には摂社の貞照神社があります。豊臣秀吉の正室・ねねがお祀りされています。

由緒

慶長3年8月18日(1598年9月18日)。豊臣秀吉が亡くなりなると、遺体は阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬されました。遺体が火葬されなかったのは豊臣秀吉が「神になる」ことを望んだからだともいわれます。秀吉の死後、阿弥陀ヶ峰のふもと現在の豊国廟太閤坦(ほうこくびょうたいこうだいら)に社殿の建築が始まります。当時はまだ秀吉が亡くなったことは秘密にされていたので方広寺の鎮守社と言われていました。秀吉の死が発表されると建設中の社は 新八幡(いまはちまん)とよばれるようになります。生前の秀吉が新八幡と呼ばれることを望んだからだともいわれます。

慶長4年(1599年)4月16日。朝廷から秀吉に「正一位 豊国大明神」の神号が与えられました。神号の由来は日本の古い名前「葦原中津」から。もちろん「臣」の「豊」も掛けています。神社の名前も「豊国神社」になりました。

豊臣家滅亡後、徳川幕府によって廃止

慶長20年(1615年)。大坂の陣で豊臣家が滅亡。豊国神社は廃止になりました。高台院(秀吉の正室ねね)の希望で社殿の取り壊しは免れましたが、修理は禁止されます。敷地内には新日吉神社が移築され、旧豊国神社への参道も塞がれてしまいました。以後、豊国神社の社殿は荒れ果てるままになります。

それでも豊臣秀吉を慕う人々は密かに信仰を続けました。新日吉神社にある摂社・樹下神社(現在の豊国社)を秀吉の魂を祀る場所としたともいいます。

寛文2年5月(1662年6月)に京都で地震が起きたとき、豊国神社周辺の被害がなかったので、地震よけの神様として信仰されたこともありました。

徳川の世の終わりとともに豊国神社は復活します。

復活した豊国神社

慶応4年(1868年)閏4月。明治天皇は豊国神社の再興を命令しました。最初は新日吉神社の神楽殿を仮殿として再建されました。
明治6年(1873年)。別格官幣社になりました。
明治8年(1875年)。京都市東山の方広寺敷地内に社殿の建設が開始。
明治13年(1880)。社殿が完成しました。
再び神として祀られることになりました。
明治31年(1898年)には豊太閤三百年祭が行われ、以後、出世勝負運の神として崇拝され、人々から「ほうこくさん」の名で親しまれています。

境内の紹介

豊国神社唐門

豊国神社

一般の参拝者は拝殿の前にある唐門(からもん)でお参りします。本殿はこの奥です。
この唐門は国宝です。南禅寺の塔頭金地院から移築されたものです。金地院の前は二条城、その前は伏見城にあったといわれます。桃山様式の豪華な造りです。

豊臣家の繁栄を偲ばせる豪華な彫刻。「豊國大明神」の額は創建当時のものです。

唐門

千成ひょうたん絵馬

千成ひょうたん絵馬

唐門にたくさん吊り下がっているのが「千成(せんなり)ひょうたん絵馬」。

豊臣秀吉はひょうたんを馬印にしていました。馬印とは戦国時代の武将が大将の居場所を表すために使った目印です。馬印が見えていると大将は健在。なので兵たちは安心して戦うことができました。秀吉はひょうたんをトレードマークにして数々の戦で勝利をおさめ大出世しました。

千成ひょうたんはひょうたんがたくさん集まった出世開運のシンボル。豊国神社の開運アイテムとして人気です。

拝殿・本殿

拝殿

唐門の奥にあるのが拝殿。その奥に本殿があります。

唐門から本殿を見ることはできませんが。実は裏の公園から本殿の一部がみえます。

本殿

こちらに豊臣秀吉と北政所がお祀りされています。

槇本稲荷神社

槇本稲荷

唐門の左手にある摂社。慶応4年(1868年)。豊国神社が再建されたとき鎮守社として若王子(京都市左京区)から移転したものです。

赤い提灯が鮮やか。商売繁盛・家内安全のご利益があるといわれます。

槇本稲荷

方広寺

方広寺豊国神社の隣には方広寺があります。

かつて方広寺は広大な土地を有していました。現在の豊国神社の敷地も方広寺大仏殿があったところです。

方広寺の鐘

方広寺境内には巨大な鐘楼があります。
方広寺鐘楼

大坂の陣の原因になった「国家安康」「君臣豊楽」の文字が見えます。

方広寺の鐘

大仏殿跡緑地

大仏殿跡地の一部が公園「大仏殿跡緑地」になっています。場所は豊国神社本殿の裏あたり。このあたりに大仏の台座があったようです。

大仏殿跡地

  

大仏殿石垣跡

大仏殿石垣跡

豊国神社周辺には方広寺大仏殿の石垣に使われた大きな石が残っています。

豊国神社の情報

住 所 : 〒605-0931 京都府京都市東山区茶屋町530

アクセス

駐車場:有り。

電車
京阪電車 七条駅より徒歩8分。

 

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