手水の意味と作法

手水

神社には手水舎(てみずや)といって、流れる水と柄杓の置いているところがあります。これは手洗場ではありません。穢(けがれ)を洗い流す場所なのです。

神社に参拝するときにはいくつかの作法があります。でも難しいものではありません。神道の基本はけがれを防ぐことです。だから神様に近づくときもできるだけ穢れを祓った状態でお参りします。穢を払う方法が「手水」なのです。

手水の意味と作法を紹介します。

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手水が必要な理由

神道では穢(けがれ)をできるだけなくそうとします。目に見える汚れだけではありません。霊的な汚れ、悪い気が穢れなんです。

現代の日本人がお風呂が好き、きれい好き、潔癖症なのは神道の考えがもとになっているからです。宗教を信じる信じないは関係ありません。日本を包む空気のように穢れを嫌うことが日本人の心に刻み込まれているのです。あまりにも当たり前になっているので神道の考えだと気づかない人がほとんどです。

滝に打たれて煩悩をなくすのも、よくないことは「水に流す」のも、水が穢を洗い流すという神道の考えが元になっています。

そこまで日本人がきれい好きなのは日本の神様がきれい好きだからです。そんなきれい好きな神様に近づくためにはできるだけ穢れがないようにしなければいけません。

その穢を払う方法が手水なのです。

大昔は全身を水で洗っていた

古事記には伊邪那岐命(いざなきのみこと)が黄泉の国から帰ってきたとき、穢をはらうために禊祓(みそぎはらえ)をしたことが書かれています。神様も禊をするのです。当然、人間も水でけがれを洗い流します。大昔は古事記に書かれているように川の水で全身を清めていました。伊勢神宮や上賀茂神社の近くには川が流れています。その川が穢を洗い流す場所でした。川には石畳があって穢を行う場所があります。それが御手洗(みたらし)です。

伊勢神宮の五十鈴川

伊勢神宮の五十鈴川の御手洗

 

禊を簡単にしたのが手水

でもいつのころからか、全身を洗わなくても「手と口を清めるだけでいい」ことになりました。それが手水(てみず)です。つまり手水は禊が簡略化されたものなんですね。いつごろ手水を行うようになったのかはよく分かっていませんが、鎌倉時代には寺社で手水が行われていたようです。手水を行う場所が手水舎です。神社だけでなくお寺にも手水があります。仏教にも浄・不浄の考えはあります。諸外国の仏教では火や煙で穢を消すことも多いですが、日本に入った仏教は古来からある日本人の考えとむすびついて水で穢を洗い流す方法を取り入れたのです。

だから神社には手水舎がありますし、寺院でも手水舎を置いてるところがあります。

手水舎

手水舎

白峯神宮

 

神社は鳥居をくぐると手水舎がありますね。場所によっては鳥居の前においてあることもあります。

手水舎は”てみずしゃ”とか”ちょうずや”とも言います。”ちょうず”とは”てみず”が訛ったものです。

何度もいいますが、ただ手を洗う場所ではありません。水を飲む場所でもありません。目に見えない穢を洗い清める場所なのです。

手水の作法

手水舎の水で身を清める方法を紹介します。

手水

 

・右手で柄杓を持つ。
・柄杓で水をすくう。溜まっている水でも、流れている水でもかまいません。
・左手を洗う。
・右手を洗う。
・左手に水をためて、その水で口をすすぐ。
 柄杓に口をつけてはいけません。右手で水を受けてその水ですすぎます。

・残った水で柄杓の柄(持つところ)を洗い流す。

この動作を柄杓一回分の水で行います。

手だけでなく口をすすぐのは口も穢れている。という考えがあるからです。

手水をとるときの意点

二度漬け厳禁、とまではいきませんが。一度すくった水ですませるのが普通です。
また場所によっては水がきれいでないところもあるります。そのときは水を口の中にいれなくてもいいです。唇をつけるだけでもかまいません。不衛生と思える水は口につけなくてもいいです。

濡れた手はハンカチやタオルなどで拭いてください。濡れたままではいけません。濡れたままだとせっかく綺麗にした手に汚れが付いてしまうことがありますし、他の物を触ったときに水が物に付いてしまうからです。

この一連の手順を 手水をとる(使う)といいます。

柄杓に直接口をつけてはいけません。
柄杓を持っているのと反対の手に水をためて口につけます。

柄杓は大勢の人が使うものですからあとの人が気持ちよくできるようにしましょう。これは神道の作法というよりも社会人としてのマナーです。

水がない、水が汚いときはどうする?

大きな神社には必ず手水舎がありますが、小さな神社、人が常駐していない神社などでは手水舎に水がなかったり、手水舎の水が汚いときがあります。

そんなときは無理に手水を行う必要はありません。神様も事情を察してくれます。そういう場を用意していないことにも理由があるからです。

 

私達日本人がきれい好きなのと同じように日本の神様もきれい好きです。

神様に会うための準備ですからしっかりと穢(けがれ)を落としてくださいね。

 

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