下御霊神社の紹介|京都市中京区

下御霊神社

下御霊神社は京都市にある神社です。

平安時代から続く神社で八所御霊をお祀りし京都の町を疫病から守るために建てられました。また皇室の産土神としても崇拝されました。

目次

下御霊神社神社

下御霊神社

御祭神

主祭神

吉備聖霊きびのしょうりょう 
 吉備真備ではなく六座の和御魂

崇道天皇 
 桓武天皇の皇太弟 早良親王

伊豫親王 
 桓武天皇の皇子

藤原大夫人ふじわらのだいふじん     
 伊豫親王の母親・吉子

藤 大 夫とうだいぶ        
 藤原廣嗣ふじわらのひろつぐ

橘 大 夫きつだいぶ        
 橘逸勢たちばなのはやなり

文 大 夫ぶんだいぶ         
 文屋宮田麻呂ぶんやのみやたまろ

火雷天神からいのてんじん        
 菅原道真ではなく六座の荒魂

相殿神

天中柱皇神あめのなかはしらのすめがみ
 霊元天皇

下御霊神社の由緒と歴史

創建年は不明。

平安時代

貞観5年(863年)。神泉苑で御霊会が行われました。これが記録に残る御霊会の始まりだといわれます。このとき慰霊された六所御霊は崇道天皇(早良親王)・伊予親王・藤原吉子・藤原仲成・橘逸勢・文屋宮田麻呂でした。

その後、六所御霊を祀るため愛宕郡出雲郷の下出雲寺の境内に創建されました。現代の寺町通りの東、今出川通りの北にあった思われます。

鎌倉時代

現在の新町通出水の辺りに移動しました。京都市上京区御霊町の辺りだと思われます。

室町時代

応仁の乱の戦火を逃れるため御神体を北山花園村(京都市右京区花園)に移しました。御霊祭は中断しました。

安土桃山時代

天正18年(1590年)。豊臣秀吉の京都再開発で現在地に移転しました。

江戸時代

宝栄5年(1708年)。宝栄の大火で全焼。

宝栄6年(1709年)。仮皇居内侍所旧殿を下賜されました。

亨保8年(1723年)。霊元天皇の修学院山荘への行幸中に立ち寄りました。

亨保13年(1728年)。霊元天皇の修学院山荘への行幸中に立ち寄りました。

亨保17年(1732年)。霊元上皇崩御。遺言により「天中柱皇神」の神号で下御霊神社に祀られます。

天明8年(1788年)。天明の大火で土蔵以外は焼失。下鴨社に仮遷座。

寛政2年(1791年)。仮皇居の仮皇居内侍所旧殿を下賜されました。これが現在の本殿です。

摂社末社

三社

三社

神明社(内宮・外宮)

御祭神:天照大御神、豊受大神

八幡社

御祭神:八幡大神

春日社

御祭神:春日大神

本殿の隣に隣接する末社。むかって左にあります。格子の奥に社があります。

稲荷社

御祭神:稲荷大神

天満宮社

天満宮社御祭神:北野大神

学問の神様。

猿田彦社

猿田彦社御祭神
 猿田彦
 交通安全の神様。

垂加社

御祭神:山崎闇斎
垂加神道の創始者。その考えは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与えました。

柿本社

御祭神:柿本歌聖(柿本人麻呂)。
詩歌の神様。

江戸時代の文化4年(1807年)に垂加社が造られ、嘉永5年(1852年)に猿田彦・柿本歌聖が合祀されました。

宗像社

宗像社御祭神:宗像三女神(辨財天)

社殿造営は文政8年(1825年)。

下御霊神社へのアクセス

京阪電鉄 京阪本線 神宮丸太町から徒歩7分。

住所:京都府京都市中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町

 

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