大阪市にある三光神社に行ってきました。今話題の真田幸村にゆかりのある神社です。
大坂冬の陣で真田幸村が作った砦・真田丸があったところといわれています。大坂城から数キロm離れていますが。豊臣英雄氏の時代には大坂城の惣構えという街そのものをとりかこむ大きな堀があったところ。三光神社のあたりは惣構えの外側にあるんですね。実際に行ってみると小高い丘になっていて確かにここなら陣地になりそうな感じです。
では、行ってみましょう。
三光神社
住宅地を歩くと鳥居が見えてきました。
石段があります。登ってみましょう。
参道を歩きます。六文銭の旗がたくさん立っていました。
末社・稲荷社、武内宿祢社、野見宿祢社があります
本殿へ向かう途中にも石造りの鳥居があります。
こちらには末社があります。
稲荷社、武内宿祢社、野見宿祢社があります。
武内宿祢は珍しいですね。武内宿祢は景行天皇から応神天皇のころに仕えた人。とてもすぐれた参謀だったといわれます。
野見宿祢は相撲の神様。
稲荷社があるのは、昔このあたりの丘に狐の巣穴があったからだとか。
本殿
左の石段を上ると本殿があります。ここの神社は東を向いています。
こちらが本殿です。ご祭神は、天照大御神、月読尊、素戔鳴尊。
十八代反正天皇のころに創建されたという由緒ある神社。仁徳天皇から3代あとの天皇です。5~6世紀ごろになるんでしょうか。現在の社殿は太平洋戦争後に再建されたものです。
三光神社は中風除けのご利益があるそうです。
寿老人の像が。
三光神社は、大阪七福神のひとつ。寿老人を祀ってる神社なんですね。
絵馬にも赤い六文銭が。真田づしです。格好いい絵馬ですね。大勢の人が訪れているようです。
撮影用の看板があります。記念に真田幸村になり切ってみてはいかが?
となりの忍者は猿飛佐助のようです。
決戦の地というのは、ここに真田丸があったといわれているからなんですね。このあと真田丸へ行ってみます。
真田の暗道(抜け穴)
本殿東の石段を下りていきます。
すると、ありました。真田丸らしきオブジェ。もちろん、現代人がつくったんですが。こういう感じだったんだろうというイメージです。下の古墳の入り口みたいな穴は。「真田の抜け道」ここから大坂城につながっていたという伝説があります。今はふさがっていて入れないそうです。
本当に大坂城につながっていたかは疑問なんですけど。まあ、都市伝説ということで。
真田幸村公の像があります。
三光神社のあたりは、宰相山といわれています。宰相というのは加賀宰相・前田利常のことです。大坂冬の陣ではこのあたりに前田軍の陣があったといわれているからなんですね。ということは、真田丸じゃなくて前田の陣地だったと考えてる人も多いようです。さらに真田山が宰相山に変わったという人までいてかなりややこしいです。
大河ドラマで知ってる人も多いと思いますが。真田幸村の本当の名前は「真田信繁」なんですね。「幸村」というのは江戸時代の講談で作られた架空の名前なんですよ。
ここにいたのは真田幸村なのか、前田家の人たちだったのか。謎ですね。でも、歴史ロマンのあふれる場所でした。
三光神社のアクセス
電車
・JR環状線 玉造駅から徒歩5分
・地下鉄長堀鶴見緑地線2番出口から徒歩2分
駐車場はありません。住宅地の中にあるので車で行くのはほぼ無理です。
Official Website 三光神社
住所 大阪府大阪市天王寺区玉造本町14-90
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