護法魔王尊の正体(2)天狗の神と山の神

魔王殿2 6)神様仏様辞典

鞍馬山の魔王殿には「護法魔王尊」という神様がお祀りされています。

護法魔王尊は天狗の姿で表現される神様です。現代の鞍馬では大地のエネルギーとされています。

前回は金星から来たとか、天狗の主という言い伝えも紹介しました。

 ・護法魔王尊の正体(1)宇宙のエネルギーと天狗

そして今回は天狗の神である魔王尊がなぜ魔王と呼ばれるのか。鞍馬山にはいったい何があったのか。そこでお祀りされている神とはいったい何なのかについてお話します。

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天狗信仰と魔王

天狗信仰は平安時代ごろから広まったといわれます。山に住む鬼神のような能力をもった存在。と信じられていました。

でもそれだけでは「護法魔王尊」が天狗の姿をしている理由にはなっても「魔王」の名前が付いている理由にはなりません。

天狗=天魔

今では天狗といっても悪いイメージはありません。ところが鎌倉時代には仏教の修行を妨げる悪魔の意味だったのです。

仏教では六道があります。人や生き物は死後、天道・人間どう・修羅道・餓鬼道・畜生道・地獄道のいずれかに転生すると考えられました。

魔界=天狗道

ところが鎌倉時代にできた「天狗草子」によると六道以外に「天狗道」という世界があると考えられました。

なんと天狗道は六道の輪廻転生から外れた世界。天狗道に転生してしまうと次の転生ができないのです。永遠に天狗道のままという救いのない世界でした。

魔界=天狗道

天狗道に行く人は仏教の修行者です。でも修行で高い能力を身に着けても、戒律を守らなったり、強すぎる煩悩、傲慢さをもっていると魔界に堕ちるとされました。その魔界が「天狗道」と呼ばれたのです。地獄に落ちない代わりに、救済の道もない。極楽に行ける可能性も絶たれた世界が天狗道です。

ところがこれは仏教関係者からの意見です。純粋な仏教関係者からみると、山伏は仏教とも神道とも陰陽道とも違う、自分の欲のために雑多な呪術の修行をしている不順な輩。に思えたのです。

あるいは悟りの道を追求せず、私利私欲のために法術を身に着けようとすることへの戒めだったのかもしれません。

仏教説話の中には、天狗が僧侶の修行を邪魔をした。とか、かつて僧侶だった者が天狗になって修行者の邪魔をしたという話があります。

仏教関係者は「魔王」を煩悩まみれの王と考えました。

でも山伏の考えは違います。神に近い力を得て天狗になる。輪廻転生のサイクルから解き放たれて自分の技を極めたい。自由に生きたい。ということなのかもしれません。

そして鞍馬山の山伏は人を超えた力を持ち自由を得た姿が天狗。その天狗たちの神が魔王尊と考えたのです。

仏教の僧侶と山伏の考え方の違いが「魔王」という言葉に表現されているのです。

魔王尊は毘沙門天

そして魔王尊は鞍馬山の守護神・毘沙門天の夜の姿です。

鞍馬寺の寺としての信仰の始まりは平安時代に毘沙門天をお祭りしたことが始まりとされます。それ以来、毘沙門天信仰の山、都の北の守り神として京都の人々や朝廷から崇拝されてきました。その後、観世音菩薩もあわせて祀られるようになります。

今では鞍馬寺の本尊=毘沙門天という考えが一般的です。

もとから鞍馬山にいたカミも毘沙門天の姿のひとつと考えられたのです。

神も仏ももとは一つ。だけど仏の力が発揮されるときは様々な姿になって現れる。という垂迹説のひとつのパターンといえます。

山の神

ところで山岳修行者はなぜ山で修行していたのでしょうか?

古代の日本人。おそらく縄文から弥生時代にかけて。人は死ぬと魂が祖先の集う場所に帰ると考えられていました。そこは山だったり海の彼方でした。

山の多い日本列島の内陸部では山が祖先の魂の帰る場所として信仰されました。

祖先の魂はいつしか神と考えられ、山には神が住むと考えられました。

そして仏教と神仙思想(道教)が日本に伝来します。

仏教にはもともと山で修行する考えがありました。修行せずに悟りをひらくことはあり得なかったからです。神仙思想も山で修行して仙人になるという考えがあります。神仙思想はやがて陰陽道へと発展します。

修行者はどんどん山に入っていって修業の場にしました。

もともと日本には山に神が住んでいるという信仰がありました。人里離れた山、険しい山、美しい山が聖地なのです。

神の住むようなパワー溢れる世界なら、そこで修行すれば神の力を得られるに違いない。神聖な場所なら、穢が落ちて悟りの境地に近づけるに違いない。山には薬草や鉱物が豊富。神仙薬の材料も揃います。

そうして神の住む神聖な山は山岳修行の場になりました。こうして神道に密教と道教が混ざった修験道が誕生します。

修験者(山伏)が修行する山はもともとは神の住む聖地です。

山の神はときには恐ろしく、時には恵みを与える存在です。ですが日本古来の神は姿を持ちません。山の神が山岳修行者の形を借りて出現したのが大天狗のイメージなのです。神そのものではなく、神の使いや化身の場合もあります。

鞍馬山の魔王殿は岩の上に建っています。この岩は神が降臨する場所。磐座いわくらです。磐座に降臨する神はその山の神です。

つまり魔王尊の正体は鞍馬山の神なのです。

天狗の姿をしているのは鞍馬山が山岳修行の場所として盛んだったから。人間が勝手に想像したイメージに過ぎません。

神そのものは目に見えませから、その場所に行ったときにどのような姿をイメージするかは人間しだいなのです。

時代が変わっても鞍馬山にいるものは同じ

鞍馬山の魔王尊について時代を差が登ってみました。

古代から現代に時代が変わると。

山の神→天狗の神→金星から降臨した神→大地のエネルギー

へと人々のもつイメージも変化していることがわかりました。

でも鞍馬山に何か人智を超えたものがいるという信仰は衰えることがありません。

大地のエネルギーという考え方は、山の神に対する現代的なとらえ方だと思います。

時代によって表現方法は変わっても、鞍馬山を訪れる人は同じものを感じていたようです。

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