菅大臣神社:菅原道真も勉学に励んだ菅原家ゆかりの場所

菅大臣 京都市 下京区
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菅大臣神社は菅原道真ゆかりの場所。平安時代には菅原家の屋敷や学校があった場所です。
菅原家の屋敷跡地に神社があります。

天神さまといっても、太宰府天満宮や北野天満宮と比べるとちょっと知名度の低いかもしれません。でもそれら以上に由緒ある場所なんです。

菅原道真を祀る天神社は全国にたくさんありますよね。菅原道真と特に縁の深い25社が菅公聖蹟二十五拝として指定されています。でも、その中でも生前の道真が訪れた場所はさらに少なくなります。

生前の道真とゆかりのある場所では福岡県の太宰府天満宮が有名です。他には香川県の滝宮天満宮など。

そして京都市内では菅原院天満宮とこちら菅大臣神社が生前の菅原道真とゆかりのある場所のひとつです。

もちろん菅原道真は神様になったのですからどこでお祀りしても願いをきいてくれると思います。他の天満宮でも問題ないです。

でも「せっかく行くなら道真本人とゆかりのある場所に行きたい」という超個人的なわがままで菅大臣神社を訪ねてきました。

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菅大臣神社

京都の四条通りの南側を東西に伸びる仏光寺通。住宅密集地の中に菅大臣神社があります。京都市営地下鉄烏丸線の四条駅から歩いて10分ほどで到着しました。

京都市内とはいっても観光地からは離れているのでひっそりとしています。

参道には「天満宮降誕之地」の文字が

菅大臣1

ここは菅原道真誕生の地と伝わる場所です。

参道をぬけると石造りの二ノ鳥居があり、その奥に社殿があります。
こちらの社は古くは「天神御所」や「白梅殿社」と呼ばれていました。

菅大臣

まずは本殿にお参り。なかなか立派な社殿です。それもそのはず。

現在の本殿は明治2年(1869年)に下鴨神社の本殿を移築したものらしいです。なんと下鴨神社のお下がりだったんですね。下鴨神社といえば京都でもトップクラスの大きな神社です。大きな神社は遷宮を行うことがあります。古い資材も無駄にはならないんですね。

個性的な狛犬

こちらの狛犬が面白い形をしています。

左側の吽の像は、左手を上げて珠をもってます。顔もユニーク。

菅大臣神社の狛犬

右側の口をあけた阿の像は、なんだか笑ってるようなかんじ。

菅大臣神社の狛犬

一部欠けてますが、こちらは左手に小さい狛犬がいます。

菅原道真をお祀りする神社だけあって境内には牛の像もあります。

こちらの牛の像には屋根がついてます。
なんだかオリに入ってるようにも見えますね。

檻のなかの牛

 

 

菅家廊下・菅原家の邸宅と学校があった場所

菅大臣神社の建つ場所には平安時代には菅原氏の私邸がありました。仏光寺通を中心に東西100、南北200メートルもの敷地をもっていたといいます。

その敷地の中に菅原家の当主が使う山陰亭という書斎がありました。菅原家の当主はこの書斎で弟子たちに学問を教えていました。道真もココで勉強したといいます。

もともと菅原家は学者の家柄です。菅原家の当主は朝廷の作った正式な学校「大学寮」で学問を教えるのが仕事でした。いまでいう国立大学の教授です。しかし菅原家では正規の仕事以外に自宅でも弟子たちに学問を教えていました。

菅原道真が作った漢詩の中にも父の是善が書斎で弟子たちに学問を教えている様子が書かれています。道真もここで弟子たちに学問を教えていたのでしょう。

管家廊下という菅原氏の私塾があった場所でした。

代々文章博士をだした菅原家には弟子入りする人が多かったようです。なにしろ日本トップクラスの大学教授に直接学問を教えてもらえるのです。ところが弟子が増えすぎて書斎に入らなくなりました。そこで菅原家では広い廊下まで教室に使って学問を教えました。

道真が太宰府に左遷されると道真の息子たちも流罪となり一家は離散しました。
太宰府で道真が死亡後、都で天変地異が起こります。すると道真の怨霊だと話題になりました。
道真の息子たちは呼び戻されました。
菅原家の敷地に神社が作られ道真を祀るようになったのが菅大臣神社だといわれます。

弟子たちは菅原家の屋敷で学んだ場所を 管家廊下(かんけろうか)と呼び懐かしんだといいます。

度重なる戦災で神社は荒れ果てましたが江戸時代の初めころ1614年に再興されました。その後も何度か火災で焼けましたがそのたびに再建されています。

飛梅

鳥居のそばには飛梅の木があります。

飛梅

道真が大宰府に左遷になる途中。

ここに立ち寄ってこんな詩を詠みました。

東風(こち)吹かば におひをこせよ 梅の花
主なしとて春なわすれそ

この地の梅の枝が、道真を慕って太宰府まで飛んでいったという逸話があります。これが有名な「飛梅」です。

北菅大臣神社

仏光寺通をはさんで反対側には小さな路地の先に祠があります。
路地の入口には「菅邸跡」の石碑があります。

菅原邸あと

菅大臣神社からこのあたりも菅原家の敷地だったんですね。広いです。

路地の奥にあるのが「北菅大臣神社」。
菅原道真の父親・菅原是善(すがわらの これよし)をお祀りしています。

菅大臣

是善は道真同様に文章博士になり、多くの弟子を育てました。東宮学士(皇太子の教育係)もつとめました。政治家を目指した道真と違い、是善は政治には関心がなく学問と仏教と風流に生きた人でした。小野篁ら文化人とも交流があったといいます。

死の間際に梅の季節に法要を行うようにとのみ言葉を残したといいます。

こちらの社は江戸時代以前には「紅梅殿社」と呼ばれていたそうです。

石灯籠は江戸時代に寄進されたものです。

菅原家の繁栄のあと

菅大臣神社は菅原道真誕生の地ともいわれ、産湯に使ったという井戸が残されています。
しかし上京区にある菅原院天満宮や南区にある吉祥院天満宮も菅原道真生誕地になってます。どちらも菅原氏の邸宅跡地。はたして道真はどこで産まれたのでしょうか?とはいえ菅大臣神社が菅原道真ゆかりの地であるのは間違いありません。

なにより、平安時代にはここに菅原家の私邸があり、そこで菅原道真をはじめ菅原家の当主が多くの弟子たちに学問を教えていた場所。と思うと感慨深いところがあります。

天満宮はたくさんあります。でも菅原道真や一族の者たちが実際に勉強に励んだ場所というのはなかなかありません。なんだか歴史に触れた気がしますね。

神社の情報

ご祭神 :菅原道真公、尼神、大己貴命
参拝時間:自由
住 所 :京都府京都市下京区菅大臣町 仏光寺通新町西入菅大臣町187-1

アクセス

駐車場:なし

電車
京都市営地下鉄 烏丸線四条駅より 徒歩 約10分。

 

近くには繁盛の宮もあります。
繁昌神社・班女塚、縁切りと良縁・商売繁盛の神社

 

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