首途八幡宮 源義経も祈願した旅行や新生活の安全を守る神様

首途八幡宮

春になると新生活を始まる季節。慣れ親しんだ土地を離れて見知らぬ場所で暮らす人も多いでしょう。交通の発達した現代でも無事に旅行したり移動したいと思う気持ちは変わりません。

そんな新生活や旅行にぴったりな神社があります。それが京都市内の西陣にある首途八幡宮です。源義経が奥州平泉に向かう前に祈願したという神社です。それ以来、首途(かどで)八幡宮と呼ばれるようになりました。首途とは旅立ちの意味です。

現在も旅行や新生活をする人の間で信仰を集める首途八幡宮を紹介します。

目次

首途八幡宮の境内

首途八幡宮

京都御所の北。京都市内を東西に走る今出川通から智恵光院通を北に曲がると石の鳥居が見えてきました。

「源義経(牛若丸)奥州へ旅立ちの地」と書いてありますね。

右には「首途八幡宮」と刻まれた石柱があります。

初め目てみた人はいきなり「首」って書いてあるので「ギョッ」とするんじゃないでしょうか?門出(かどで)と同じ意味。旅立ちの意味ですよ。

鳥居をくぐると石畳の参道が奥へと続いています。

手水舎では鳩の口から水が出ています。鳩は八幡神の使い。八幡宮らしいですね。それにしてもこの鳩はリアルです。

手水舎の鳩

 

人工の山の上に建つ神社

首途八幡宮

しばらく歩くと鳥居が2つ並んでいます。しかも山のようになっています。この上に本殿があるのでしょうか?石段を登らないと本殿に行けないようです。まさか石段を登ることになるとは。そういえば石清水八幡宮も石段を登らないといけませんね。

左側が本殿。右側は摂社の弁財天社です。まずは左側の鳥居から上に登ります。

本殿

首途八幡宮

本殿がありました。石段といっても短いですからすぐに登れます。それにしてもよくこの上に社殿を建てたものです。

よく見ると額の「八」の字が鳩になってます。

 

御祭神はこちらの三柱の神様。八幡宮なので宇佐八幡宮と同じ神様をお祀りしています。

・誉田別尊(ほんだわけの みこと)
 第15代応神天皇の本名。

・比賣大神(ひめおおかみ)
 比売大神は神道で「女神」を意味する言葉です。八幡宮では宗像三女神を比売大神とよびます。

・息長帯姫命(おきながたらしひめ の みこと)
 応神天皇の生母・神功皇后の本名です。

 由緒

詳しい時期はわかりませんが、宇佐八幡宮から八幡大神をお迎えしたのが始まりといわれます。もともとは内野八幡宮(うちのはちまんぐう)と言いました。

由緒書によると平安時代の内裏(御所)の北東の位置にあったことから御所の鬼門を守る神社として信仰を集めたそうです。ちなみに現在の京都御所は室町時代に移転したものなので平安時代の内裏の場所とは違います。にしてもちょっとずれてるような気もします。平安時代の内裏からはほぼ真北になるんですが・・・もしかして北方の守り神?それとも焼失したあとの仮御殿から北東だったということでしょうか?細かいことは気にしないようにしましょう。

ともかく、かつては皇族方の崇敬も厚く参拝者の多い神社だったようです。

平安時代。かつてこの地には清和天皇の第六皇子・貞純親王(さだみずしんのう、873~916年)の屋敷がありました。貞純親王は清和源氏の祖先です。親王の暮らす屋敷は広かったらしく敷地には庭園、人工の山(築山)や池が作られ周囲には桃の木が植えられました。桃の木があったことから桃園宮と呼ばれ、貞純親王は桃園親王とも呼ばれました。

後の時代には花園親王ゆかりの場所として知られ、花の咲く時期には桃花祭が行われ参拝者で賑わったそうです。しかし江戸時代中ごろの天明の大火(1788年3月7日)で炎上。今はわずかに築山などが庭園の痕跡をとどめています。この築山は古墳と紹介されることもあるようですが、古墳ではありません。庭園の名残のようです。

現在の社殿は昭和時代に建てられたものです。

弁天社

弁天社

赤い鳥居の奥は弁天社です。

芸事と財運の女神、弁財天をお祀りします。開運財運の神様として信仰されているようです。またこのあたりには平安時代に奥州との取引で財をなした金売吉次が住んでいたともいわれます。その財運にあやかりたいですね。

西陣は糸や織物で栄た町なので商家からの信仰も厚かったようです。

手水舎の鳩の像、社殿の瓦、木彫りの像など、神社のあちらこちらには鳩のモチーフがあります。こちらにも木の像がありますよ。探してみてください。

鳩の像

源義経旅立ちの場所

源義経

源義経(みなもとの よしつね)といえば平安時代末期。源平合戦で活躍した武将。幼い頃の名前は牛若丸(うしわかまる)。京都市内には源義経(牛若丸)伝説の場所も多いですが、こちらもそのひとつ。

平氏を倒すのに貢献したにもかかわらず兄の源頼朝から嫌われ指名手配されたあげく、落ち延びた奥州でも奥州藤原氏に裏切られ自害するという悲劇のヒーローです。

源義経は幼いころ鞍馬寺に預けられ遮那王(しゃなおう)と名乗りました。しかし義経は父の仇討がしたかったので僧になるのが嫌でした。義経は奥州藤原氏のもとへ向かう決意をします。義経が奥州までの道案内を頼んだのが金売吉次という商人でした。

承安4年(1174年)3月3日。鞍馬寺を抜け出した義経は吉次の屋敷で旅支度をととのえ、出発の前に近くの神社で安全祈願をしました。それが内野八幡です。

今から800年以上も昔。車も鉄道もなかった時代。義経たちは約800kmもの道のりを歩いて平泉(岩手県平泉町)まで行きました。

そんないきさつがあったのでこちらの神社は「首途八幡宮」と呼ばれるようになりました。

義経が無事に平泉にたどり着くことができたのは八幡神のおかげでなのでしょうね。

現在も旅行や新生活を迎える人のあいだで信仰を集めている神社です。

首途八幡宮の情報

首途八幡宮(かどではちまんぐう)

ご祭神 :誉田別尊(応神天皇)、比賣大神、息長帯姫命(神功皇后)
住 所 :京都市上京区智恵光院通今出川上ル桜井町102-1
電 話 :075-431-0977

京都市営バス 今出川大宮下車 徒歩役5分。

公式サイト:首途八幡宮

アクセス

首途八幡宮に行くのは電車が便利です。

駐車場:なし

電車
京阪電車 祇園四条より徒歩で約7分。

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