京都市西京区嵐山に櫟谷宗像神社が鎮座しています。
奈良時代からこの地にあるという櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ)。
現在では松尾大社の摂社となっています。
松尾大社・月読神社と並んで松尾三社のひとつに数えられます。
観光客でにぎわう嵐山。
阪急嵐山駅の近く、桂川の東岸に櫟谷宗像神社があります。
その櫟谷宗像神社に行ってきましたので報告します。
櫟谷宗像神社の入口
入り口。
嵐山モンキーパークの看板の方が目立ってる。
入り口の由緒書き。
石段をあがると、朱色の鳥居が見えます。
石段上がってすぐ左。
社務所の横にモンキーパークの受付があります。
ほとんどの人がモンキーパークへ向かってました・・・
石段を上がって右手には手水舎が。
でも、当日は水が出てませんでした・・・
櫟谷宗像神社の本殿
境内の奥には本殿があります。
山を背にした本殿に近づきます。
櫟谷神社と宗像神社が同じ敷地にあります。
かつては別々の社殿だったようです。
今は同じ社殿に同居しています。
ご祭神
櫟谷神社のご祭神は奥津島姫命(おきつしまひめのみこと)。田心姫命(たごりひめのみこと)ともいいます。
宗像神社のご祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。市杵島姫命は弁才天と同じ神様だと思われていました。江戸時代以前は嵐山弁天社と呼ばれたこともあったようです。
もともとは海の神様ですが、財運、縁結びの神様としても信仰されています。
宗像三神は福岡県の宗像大社に祀られている神様。海や航海の神様です。
宗像三神のもう一柱の神様・中津島姫命(なかつしまひめのみこと)は松尾大社のご祭神となっています。松尾大社では中津島姫命は市杵島姫命の別名となっています。
市杵島姫命は宗像三神の中でも一番有名な女神。
このあたりでは宗像三神はあまり区別されてなかったようです。
縁結びと運をすくう杓子の絵馬
本殿横には絵馬があります。
こちらは、普通の絵馬と縁結びの絵馬があります。
杓子の絵馬。
悩みごとを救ってくれるそうです。
境内の川側にはおみくじがずらり。
境内からは、桂川が一望できます。
正面に見えるのは渡月橋。
このアングルからの渡月橋の写真は珍しいと思います。
来たときとは反対側にある、北側の鳥居。
雰囲気的にはこっちが、正面のような。
縁結びののぼりがある、北側の入り口。
桂川は嵐山付近では大堰川と名を変えます。
櫟谷宗像神社は大堰川を見下ろす松尾山のふもとに建てられています。
桂川を行きかう舟の安全を願ってこの地に建てられたのかもしれません。
古代ロマンの地・嵐山
5世紀ごろ、秦氏は朝鮮半島から日本に渡ってきました。中国大陸にいた人々が戦争を逃れて朝鮮半島に渡り、さらに日本にやってきたと言われています。
当時の日本の海の玄関、筑紫国(福岡県)を経由して大和国(奈良)に入ったのでしょう。
そのとき航海の安全を願って祀ったものと思われます。
秦氏は大和国にとどまらず、桂川をさかのぼって山背国(京都南部)葛野とよばれた嵐山のあたりにたどり着きました。
平安京ができるよりも昔。京都は山背国と呼ばれていました。
大和国から見て山の背(後ろ)にある田舎。という意味が込められています。
秦氏は川を利用した水運と肥沃な土地に目をつけ、丹波国(京都北部)との交易を盛んにし、大陸伝来の土木技術でこの地を開墾しました。桂、嵐山、太秦のあたりに秦氏ゆかりの神社、寺、遺跡が多いのはそのためです。
平安京ができる前の古代では秦氏は賀茂社を作った鴨氏とともに山背国を開拓したのでした。
秦氏は桂川周辺を中心に、鴨氏は鴨川周辺を中心に開拓しました。
平安京を作るのも秦氏と鴨氏の協力がなければ難しかったでしょう。
都が桂川と鴨川に囲まれた京都盆地にできると、山背国は帝の住む場所(城)にふさわしい場所として 山城国 と名前を変えます。
京都のルーツはこの地にあったのかもしれません。
賑やかな嵐山なのに、ひっそりとした雰囲気の場所です。
定番の観光コースから離れて。
ちょっと違った視点で嵐山を眺めてみるのも面白いですね。
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松尾大社の摂社
アクセス
阪急電鉄 嵐山線 嵐山下車 徒歩約8分
京福電鉄 嵐山線 嵐山下車 徒歩約8分
公式サイト:https://www.matsunoo.or.jp/
住所 〒616-0004 京都府京都市西京区嵐山中尾下町61
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