堀越神社:一生に一度の願いを聞いてくれる神様:大阪

堀越神社

大阪の四天王寺から南に行くと茶臼山があります。そのふもとに堀越神社が鎮座しています。

地元では一生に一度の願いを叶えてくれる神様として有名です。

堀越神社は北辰信仰の場でもあり、陰陽道の最高の護符を今に伝えます。

陰陽道と神道がいっしょになったような不思議な場所です。

目次

堀越神社の紹介

本殿

堀越神社本殿

 

御祭神

主祭神
 崇峻天皇(すしゅんてんのう)第32代天皇

配祀神
 小手姫皇后(おてひめこうごう)崇峻天皇の妃
 蜂子皇子(はちこおうじ)崇峻天皇の息子
 錦代皇女(にしきでこうじょ)崇峻天皇の娘

崇峻天皇と家族の話

崇峻天皇

崇峻天皇は29代欽明天皇の皇子。即位前は泊瀬部皇子(はつせべのおうじ)といいました。聖徳太子の父・用明天皇の弟です。母は蘇我稲目の娘(または妹)の小姉君。聖徳太子の叔父です。

蘇我氏と物部氏の戦いの後。蘇我氏と縁の深い泊瀬部皇子は馬子たちに擁立されました。

崇峻天皇は任那再興を夢見て新羅に対して兵をあげました。兵は筑紫(北九州)まで行きました。崇峻天皇は日頃から力をもつ蘇我馬子を嫌いいつか馬子を排除したいと考えていました。しかし馬子に先手を討たれて暗殺されてしまいます。

蜂子皇子

蜂子皇子(はちこおうじ)は父・崇峻天皇が暗殺された後。身の危険を感じ、聖徳太子の勧めもあり大和(奈良)を脱出。丹後国由良(京都)から日本海に出て出羽国由良(山形県)に逃れました。羽黒山に登り出羽三山を開いたといわれます。(出羽三山神社・羽黒派修験の由緒による)

小手姫皇后

小手姫皇后は歴史上は小手子(こてこ)と呼ばれる女性。父は大伴糠手(おおともの ぬかて)、崇峻天皇の妃。蜂子皇子の母。崇峻天皇の喪があけたころ。父・糠手や娘の錦代皇女とともに大和を出て、蜂子皇子を探すために東北地方に向かいました。旅の途中に立ち寄った福島県小手郷でしばらく暮らし養蚕技術を広めたということです。しかし小手子は息子の蜂子皇子に会えないのを悲しんで投身自殺したとも言われます。

由緒

社伝によると。第32代推古天皇の時代。聖徳太子が四天王寺とともに造った四天王寺七宮のひとつといわれます。四天王寺の北西にあります。

四天王寺七宮とは四天王寺を守護するため造られた7つの社です。かつては四天王寺を取り囲むように7つの社がありました。

風光明媚な茶臼山の地につくられたこの社には崇峻天皇が祀られました。

四天王寺はかつての物部守屋の領地に造られた寺院。境内には物部守屋を祀る社もあります。怨霊になるのを恐れた人々は四天王寺を物部氏の魂を鎮める場所として造ったのでしょう。同様に、暗殺された崇峻天皇の魂を鎮めるための場所として造られたのでしょう。

古くより明治時代までは境内の南に堀がありました。人々はこの堀を渡って参拝していたので「堀越」と呼ばれるようになったそうです。

この堀は奈良時代末期に和気清麻呂が水路を造ろうとした名残ではないかともいわれます。清麻呂はこの社に水路建設の成功を祈願したともいわれます。

大阪夏・冬の陣ではこのあたりが戦場となりました。近くの茶臼山には大阪冬の陣では徳川家康が、冬の陣では真田信繁(幸村)が陣を構えました。

 「一生に一度、お願いを聞いてくださる神社」として地元の人々の信仰を集めています。

摂社末社

太上神仙鎮宅七十二霊符尊神

ちんたくさん

護符の神様

「だいじょうしんせん ちんたく れいふそんしん」と呼びます。
鎮宅霊符神とも言われます。
地元ではさらに縮めて「ちんたくさん

鎮宅霊符神は道教では霊符やお守りの元祖です。鎮宅霊符神は玄天上帝と呼ばれ、玄武としても知られています。玄天上帝と呼ばれるときには黒服の男性の姿をすることが多いようですね。

道教の神は陰陽道に取り入れられ。陰陽道の神として日本でも広まりました。

神社の由緒書によると。陰陽道では宇宙の中心にある天地創造の神なのだそうです。

ちんたくさんの星祭でも玄武と北斗七星が描かれています。

堀越神社は北辰信仰の場所でもあるんですね。北斗七星や北極星を神と考える北辰信仰は陰陽道や修験道に取り入れられ日本でも広まりました。

七夕には須世理姫が降臨

こちらでは七夕には大真西王母須勢理姫命をお招きして星祭を行うそうです。西王母は崑崙山に住む道教の女神。日本では須佐之男の娘・須世理姫と同じと考えられたようです。星祭では神の力で生命の復活再生を願います。

鎮宅さんというくらいなので家の安全が第一のご利益。家族の健康、家内安全、家業の繁栄など家とそこに暮らす人々を守る神様です。

秘法の護符

陰陽道で抜群の効果を持つと言われる「太上秘法鎮宅霊符」はこちらの社でも扱っています。節分や七夕の大祭に護符に入魂して作るそうなので数はあまり出来ないようですが。希望する方は相談してみてはいかがでしょうか。

神社なのに陰陽道の護符って不思議に思うかもしれません。神仏習合の時代には神道と陰陽道も同じだったので、神社に道教の神がいても不思議ではなかったのです。

御神木

ちんたくさんの隣には立派な楠があります。樹齢500年とも言われる神霊の宿る御神木です。この御神木にもご利益があるとされ、「疲れた」と感じるときにお参りすると気力がもどるとか。

心を空にして静かにお願いしているとなんだか癒やされる感じがします。

白龍社・黒竜社

白龍社

白龍は道教では天帝(宇宙の中心にいる最高神)に仕えていた龍。龍の中でも最も空を飛ぶのが速いです。白龍に乗っていれば他の龍に追いつかれないといいます。西方の守護神ともいわれます。龍は神の乗り物という言い伝えは道教の話から来ています。

黒のイメージから邪竜と言われることもありますが。道教では他の龍と同じように聖なる生き物。闇や海の守護神。魚を乱獲するものに罰を与えるといいます。

玄武とおなじく北の守り神。

堀越神社では事業発展の神としてお祀りされています。

熊野第一皇子之宮

熊野第一王子もとは天満橋の船着き場近くにあった「窪津王子」。京都から淀川を下って大坂に最初に上陸する場所でした。

平安時代に流行した熊野詣では。熊野三山にお参りする前に熊野権現の分霊を祀った99の王子社を参拝する習わしがありました。熊野権現の分霊は童子の姿をして参拝者を守護すると考えられたからです。

その一番目の王子社が窪津王子です。窪津王子は四天王寺の西門鳥居近くの熊野神社に移り、その後この地に移ってきました。

茶臼山稲荷神社

茶臼山稲荷

もともとは天王寺の茶臼山山頂にお祀りされていました。商売繁盛・厄除招福の神様として信仰されていました。

大阪夏の陣では徳川家康の本陣は真田隊の突撃で壊滅しそうになりました。しかし家康本陣は稲荷神のおかげで危機を免れたと言われています。

戦のあと。稲荷神神社は現在の地に移されました。

茶臼山稲荷は家康の危機を救った神様ということで有名になり。歴代の大坂城代はこの神社の信仰が厚かったといわれます。

絶体絶命のピンチを救ってくれる神様でもあるんですね。

情報

住 所 :大阪市天王寺区茶臼山町1ー8
公式サイト:堀越神社

アクセス

堀越神社に行くのは電車が便利です。

JR 天王寺駅 北に約10分。

近鉄 南大阪線 大阪阿部野橋駅 北に約12分

大阪メトロ 谷町線 天王寺駅 北に約12分
 

駐車場:なし
茶臼山に有料駐車場があります。

電車
京阪電車 祇園四条より徒歩で約7分。

住所:大阪市天王寺区茶臼山町1-8

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