元旦や正月三が日に初詣に行かなくてもいい理由

初詣

現在の私たちは初詣が当たり前のようになってます。

でも無理して初詣に行く必要はありません。

なにしろ初詣には伝統も理由もないからです。

もちろんいつ行ってもいいです。自由です。でも無理して正月に行く必要はないんですね。正月に行ってもご利益も変わりません。

江戸時代にも年があけて神社仏閣に参拝する習慣はありました。でも初詣という言葉が広まったのは大正時代。

実は新しい習慣なんですね。

なぜそんな習慣が広まったのか?

なぜ、元旦や正月三ヶ日に無理してお参りに行かなくてもいいのか紹介します。

目次

江戸時代の新年の習慣

江戸時代までは正月は家で年神様を待っていた

江戸時代にも神社仏閣にはお参りに行く習慣はありました。

でも初詣の習慣はありません。

元旦は何をしていたかというと自宅にいて年神様が来るのを待っていたのです。

自宅に来る年神様とはいったい何でしょうか?

正月は年神様を迎える日

古来より正月は年神様をお迎えする日でした。

年神様は祖先の魂とされます。

もともと正月と盆は同じ、祖先の魂をお迎えする行事でした。

古代日本では春分・秋分を中心に半年を1サイクルにして生活していたからです。

暦や仏教が日本に伝わると季節のサイクルの初めに祖先が帰ってくる日の意味が変わります。

正月は福を授けてくださる年神が来る日。盆は仏教の盂蘭盆会と合体して先祖供養の日になりました。

 

江戸時代に恵方参りが流行る

江戸時代中ごろ。世の中が平和になって都市で暮らす町民や農村で暮らす農民の生活も安定してきました。人々は生きるために神仏に祈るだけでなく「もっとご利益を得たい」と思うようになりました。

しかもこのころ。陰陽師の民間での活動が盛んになり。修験者も町や農村の人々相手に布教活動をしました。

庶民は「恵方」の存在を知りました。

恵方とは陰陽道で歳徳神がいるとされる方法。その方向は縁起がよいとされます。

平安時代、吉方位を気にするのは公家だけでした。平安末期から戦国時代には武士にも広がりました。江戸時代になると庶民の間にも恵方が知られるようになったのです。

江戸時代の中ごろから人々は年があけると住んでいる場所から見て恵方にある寺社に参拝に行きました。

「待っているだけでは物足りない。自分から出かけていってご利益をいただこう」というわけです。

恵方参りの流行です。

恵方参りに行く日は地方によって違ったようです。

元旦に恵方参りに行くところもあったようです。

関西では家で祖先の魂(年神様)をお迎えして、小正月(1月15日)が過ぎて節分に恵方参りに出かけるのが流行ったようです。現在、節分に恵方巻きを食べるのはこの名残りです。

縁日

江戸時代に人気だった参拝に縁日があります。これは神社仏閣と関係の深い日にお参りに行く。というもの

例えば

弁財天を祀る寺社は「己巳の日」
大黒天は「甲子の日」
稲荷神は「午の日」
摩利支天は「亥の日」
帝釈天・青面金剛は「庚申の日」
弘法大師は「21日」

というぐあいに。

年が開けて最初の縁日に参拝に行くのも流行りました。

明治以降・自由な時代に

明治時代・移動の自由と鉄道の発達で参拝者が増える

明治になっても恵方参りの習慣は残りました。

しかも江戸時代にあった関所が廃止。鉄道など交通機関も発達。

人々は遠いところまで自由に行けるようになりました。

江戸時代にもお伊勢参りや金毘羅参りなど。遠方に参拝に行くことは流行りました。でも関所を通るのは許可が必要です。住んでいる場所以外の寺社に行くのは一生に一度レベルでした

でも明治になって移動の制限がなくなり、人々は自由に遠くの寺社に参拝できるようになりました。

民間の鉄道会社も各地にできました。国鉄や民間の鉄道会社は「元旦に恵方参りに行こう」と一大キャンペーンを実施。

恵方参りはレジャーになり、ますます人気になりました。

恵方参りを節分に行っていた関西でも鉄道会社の宣伝で元旦に恵方参りが始まりました。

方角に制限されるのは困る?!

ところが「恵方詣り」は毎年変わります。方角が制限されます。

鉄道会社としてはその年の恵方で収益が変わるのは困ります

というだけで、方角に制限されない「初詣」が誕生。

「恵方」や「縁日」に制限されない「初詣」が元旦の宣伝に使われるようになりました。

現在の某鉄道会社の「そうだ京都行こう」と同じです。レジャーの少なかった当時は人気になりました。

「初詣」は宣伝文句だったのです。

大正時代・初詣が新しい伝統になる

大正時代になると宣伝では主に「初詣」が使われるようになりました。

それに、人々も毎年恵方を気にするのは面倒。それよりもご利益のある有名な神社仏閣に行きたい。と思う人が増え恵方参りは次第に廃れました。

大正時代の終わりには恵方参りはほぼ消滅。「初詣」が当たり前になりました。

こうして江戸時代からの習慣は廃れ、経済活動優先の理由で生まれた「初詣」が新しい伝統として残ったのです。

言ってみれば、バレンタインのチョコレートやハロウィンの仮装パレード、クリスマスのプレゼントと同じ。

経済活動の都合で変化した習慣だったのです。

初詣はいつ行ってもいい

もちろん経済活動が理由でもそれがきっかけになり参拝する人が増えれば神社仏閣はかまいませんし。神様仏様も怒ったりしません。お金は人間社会を動かすエネルギーのようなものですから、経済が循環すれば人々の生活もよくなるでしょう。

問題があるとすれば。

参拝する側が「正月3ヶ日に行かないとご利益がないのでは?」と思い込むことです。

神社仏閣にはいつ行ってもかまいません。ご利益は同じです(縁日とはそれなりにいわれのある日の方がいいのかもしれまんが)。

2021年の正月は経済優先の理由で作られた現代の伝統を見直して、祖先が大切にしていたお参りの仕方を見つめ直すよい機会かもしれません。

初詣に期限はありません。「その年に初めて行った日が初詣」です。

正月はゆっくりと自宅で家族とともに神様をお迎えして。新年の慌ただしさが一段落したらゆったりとお参りに出かけてはいかがでしょうか。

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