恵方とはその年に幸運をもたらす神様がいる方角のこと。
恵方の疑問と2025年(令和7年)の恵方を紹介。
古くから日本では、恵方を向いて何かをすることで良いことがあると信じられてきました。この記事では恵方の歴史や恵方と深く結びつく年神様について詳しく解説します。
この記事でわかること
- 恵方の由来
- 恵方と深く結びつく年神様は五穀豊穣の神様
- 2025年の恵方
- 恵方巻と恵方参り
恵方って何?簡単に説明します
恵方(えほう)とは、簡単に言うと、その年に幸運をもたらしてくれる神様がいる方角のことです。恵方を向いて何かをすることで、良いことが起こると信じられてきました。
恵方のルーツは?
恵方の考え方は日本の古い考え方である陰陽道からきています。陰陽道は宇宙のすべてが「陰」と「陽」という二つの力でできていると考え、そのバランスによって世の中の出来事が決まるという考え方です。
恵方の場合、その年に特にご利益がある神様がいる方角を陰陽道を使って計算して決めていました。この神様は、歳徳神(としとくじん)と呼ばれ、その年の福の神のような存在です。
恵方と節分
私たちが恵方という言葉に一番よく触れるのは、節分の時期ですよね。節分の日に食べる恵方巻きも、この恵方に向かって食べることで、一年の無病息災や幸せを願うイベントです。
恵方は日本独自のもの
恵方を大切にする考え方は日本独自の文化です。中国にも吉方位のような考え方がありますが、恵方のように特定の方角を指して、そこに向かって何かをするという習慣はありません。
恵方と年神様について、もっとわかりやすく説明します
恵方と深くつながる年神様
恵方とは、その年に福をもたらしてくれる神様がいらっしゃる方角のことでしたね。この神様、実は日本の古くから信仰されてきた年神様と呼ばれる神様と深い関係があるんです。
年神様ってどんな神様?
年神様は、簡単に言うと「お正月のおめでたい神様」です。日本の古いお話である『古事記』には大年神という名前で登場します。この神様は五穀豊穣つまりお米や麦などの作物がたくさん実るようにと、人々をいつも見守ってくれていたそうです。
なぜ年神様は豊穣をもたらすの?
大年神は須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売(かむおおいちひめ)の子供。宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と兄弟なんです。古代の人々にとって、お米は今の私たちのお金のようなもので、とても大切なもの。
豊かにお米が収穫できれば、一年を安心して暮らすことができるんです。だから年神様は人々にとって、とてもありがたい存在だったんですね。
年神様をお迎えするためのしきたり
昔の日本の人々は、この大切な年神様をお正月には必ずお迎えしようとしました。そのため、家の玄関先に門松を飾ったり、神様に供える鏡餅を用意したりしたんです。
年神様に恵方、そして陰陽道が合体
年神様は遠くからやってくる?
大昔の日本の人々はお正月になると、年神様が遠くの特別な場所からやってくると信じていました。どこから来るのかは、人によって色々な言い伝えがあったようです。
方位学との出会い
そんなある日、日本に大陸から方位学という考え方が伝わってきました。方位学では、方角によって吉凶があると考えられています。例えば、「この方角は縁起が良い」「この方角は避けた方がいい」といったように、方角に意味があるという考え方です。
年神様と吉方位の出会い
方位学を知った昔の日本の人々はひらめきました。「もしかしたら、年神様は良い方角からやってくるのかもしれない」と。そして、年神様がやってくる良い方角を「恵方」や「吉方」と呼ぶようになったのです。
年神様と陰陽道
さらに陰陽道という学問が発展すると年神様は陰陽道でいう「歳徳神」という神様と同じだと考えられるようになりました。陰陽道では毎年、歳徳神がいる方角が変わると考えられていたので、恵方も毎年変わるようになったのです。
歳徳神とは?
歳徳神はその年の幸運を司る神様のことです。暦に描かれている美しい女神の姿で描かれることが多く、恵方の神様として親しまれています。
よく暦とかに描かれている女神が歳徳神です。
簠簋内伝と年神様の不思議な関係
簠簋内伝ってどんな本?
「簠簋内伝(ほきないでん)」という本をご存知ですか?
この本は、平安時代の陰陽師・安倍晴明が書いたと伝えられている陰陽道の秘伝書です。もちろん本当に安倍晴明が書いたのかは分かりませんが、とても詳しい陰陽道の知識が書かれていて、当時の民間で活躍する陰陽師や占い師たちにとってはバイブルのような本だったんです。
頗梨采女と年神様、そして櫛名田姫
「簠簋内伝」には面白いことが書かれています。それは歳徳神という、その年の幸運を司る神様が頗梨采女(はりさいじょ)という神様と同じだとされていることです。
頗梨采女は龍神様のお姫様で、牛頭天王の奥さん。牛頭天王は実は有名な神様である須佐之男命と同一視されることが多く、その奥さんの頗梨采女は、櫛名田姫(くしなだひめ)と同じだと考えられています。
櫛名田姫といえば、八岐の大蛇に生贄にされそうになったいう伝説で有名ですが、本来は「稲を豊かに実らせる神様」なんです。つまり豊穣の神様なんですね。
大年神と櫛名田姫が同じ?
ここで、ちょっと混乱してきますよね。年神様は作物が豊かに実るようにと願う神様で、櫛名田姫もまた豊穣の神様。
つまり、年神様と櫛名田姫は、同じような神様ということになります。
ところが、年神様は男の神様として描かれることが多いのに対し、櫛名田姫は女の神様です。これは一体どういうことなのでしょうか?
神様は姿を変え、名前を変えて
実は昔の人々は、神様に対してとても柔軟な考え方を持っていたようです。同じ神様でも、地域や時代、人によって、姿や名前が違っていたり、複数の神様が一つに合わさったりすることがあったんです。
つまり、年神様も必ずしも決まった姿や名前があるわけではなく、人々の願いに合わせて様々な姿で現れると考えられていたのかもしれません。
名前や姿はいろいろありますが 年神様はあなたに幸運と財運を授けにやってくる 福の神なのです。
なぜ年神様はやってくるの?
なぜ、特に年の初めにお神様がいらっしゃるのか、不思議に思ったことはありませんか? これは、古くからの日本人の信仰と深く結びついているのです。
昔は暦がなくて…
昔々、日本にはまだ今の暦のようなものがありませんでした。そのため、一年は私たちが思っているよりも短い期間だったと考えられています。
その短い一年の終わりには、ご先祖様たちが子孫のもとへ帰ってくると信じられていました。これは、ご先祖様たちが子孫を助け、見守ってくれるという考えから生まれたものです。
暦ができて、そして…
その後、暦が伝わり一年が12ヶ月に定められるようになると、一年に二回ご先祖様たちが帰ってくることになったと考えられるようになりました。
そこで一年のはじめには神様がいらっしゃり、後半にはご先祖様たちが帰ってくるという風習が生まれました。
つまり、私たちが迎える年神様はご先祖様の魂が姿を変えたものと考えられていたのです。
なぜ姿や名前が違うの?
地域や時代によって、年神様の姿や名前が様々であるのはこのためです。ご先祖様の魂が、様々な形で現れると考えられていたからです。
お盆との関係
ちなみに後半に帰ってくるご先祖様を迎える行事が「お盆」となりました。後に仏教と結びつき、仏教の行事としても行われます。
年神様はどの方角から?
さて、本題の「年神様はどこからやってくるのか」ですが実ははっきりした答えはありません。昔の人々は、年神様は特別な場所からやってくると考え、その方角を「恵方」と呼びました。しかし、その恵方は毎年変わり、地域によっても異なっていたのです。
2025年(令和7年)の恵方は 西南西やや西
もともとは恵方は32方位で決められています。
でも細かすぎるので16方位で紹介されることも多いです。
2025年(令和7年)の恵方は
32方位では 西南西やや西東
それでも細かい。と思うときは 西南西で代用します。
恵方巻の宣伝では 西南西 と紹介されますね。
恵方の行事
恵方参り
明治時代までは年が明けて節分のころには恵方参りが盛んでした。年神様のいる縁起のいい方角にある神社にお参りするのです。
やがて方角を選んで行くのは面倒、人気の神社に行きたい。ということで現在の初詣に変わってしまいました。でも恵方は現在でもあります。縁起のいい方角に出かけていって、自分から神様をお迎えするのもいいかもしれませんね。
恵方巻
恵方が関係した行事といえば現代では「恵方巻」が有名です。恵方を向いて巻きずしを食べるという習慣です。もともとは花街の遊びだったようですが。いつのまにか庶民にも広がりました。
恵方巻きについてはこちらで詳しく書いています。
コメント