日本で一番有名な陰陽師「安倍清明」
そのお墓が京都嵯峨にあるというので行ってきました。
観光地として有名な京都嵯峨。
観光客で賑わう嵐山からはなれ、静かな住宅地のなかに安倍清明の墓はあります。
ひっそりとたたずんでいます。
と紹介したいところですが、始めて見たときのインパクトはすごいです。
安倍清明公嵯峨御墓所
静かな住宅地の小道を歩いていると突然現れる五芒星!
沢山の五芒星に囲まれた石塔。
安倍清明ゆかりの場所に間違いありません。
住宅地の中、ちょっとわかりづらいところにあるのですが、それだけにずらりと並ぶ五芒星を見つけたときの衝撃はハンパではないですね。
清明ファンはもちろん、パワースポット好き、オカルト好きならわくわくすると思います。
お墓でわくわくするなんて不謹慎だと思いますが。そのくらい初めて見たときの衝撃は大きいですね。
入り口には
「陰陽博士 安倍清明公嵯峨御墓所」の文字が。間違いありませんね。
入り口にはなんとお墓なのに鳥居が立ってます。ここはただのお墓じゃないんですね。
歴代天皇の墓所にも鳥居がありますが、神に近い存在になった尊い人を祀る場所なんですね。
安倍清明墓所鳥居
鳥居は我々の住む世界と神の世界を分ける境界線。
ここから先は神聖な世界なのです。
鳥居をくぐると、見えて来ました。
安倍清明のお墓です。
近寄ってみると。
五芒星がでかでかと彫られています。
これ以上はないというくらい、分かりやすい墓石です。
改めて安倍清明の墓所なんだなと実感します。
安倍清明公後墓所の歴史
安倍清明はなくなった後、嵯峨に葬られました。
でも安倍清明のお墓といわれる「清明塚」は日本中に作られました。
お墓というより安倍清明を祀るための場所ですね。
安倍清明を敬う人たちが作った信仰のための場所といったほうがいいかもしれません。
京都にもいくつかありましたが現在ではここ以外には残っていません。
もともとこのあたりは天龍寺が管理する土地でした。その一角にこの清明塚があったのです。でも長い年月の間に荒れ果ててしまいました。
そこで、清明神社、天社土御門神道、晴明神社奉賛会が協力してこの土地を譲り受けて、安倍清明御墓所として神道式のお墓をたてたということです。現在の形になったのは昭和47年です。
この場所は清明神社の飛び地になっていて、現在は清明神社が管理しています。
安倍清明の命日である9月25日には墓所祭が行われるそうです。
用語解説
五芒星:
五つの角のある星型の図形。世界中で星を意味するマークとして、魔力のある印として使われて来ました。
陰陽道では魔よけの印として使われました。陰陽五行説の木・火・土・金・水を意味するといわれます。安倍清明がこの印をよく使ったことから「安倍晴明判」とも言われます。家紋にも使われ「清明桔梗」と呼ばれます。清明神社の神紋に使われているものが有名です。
清明神社:
安倍清明が亡くなった後に一条天皇の命令によって屋敷跡に安倍清明を祀る神社がつくられたのが始まり。その後、応仁の乱や豊臣秀吉の都市開発、都の戦乱によって荒廃、縮小していきました。1853年に再建されて今に至ります。
住所:京都市上京区堀川通り一条上ル晴明町
天社土御門神道:
安倍清明の子孫は天皇から「土御門」の名前をいただき、土御門家と名前を変えました。朝廷の陰陽寮において天文観測、暦の作成、占いを行ってきました。明治に入って陰陽寮が廃止されると陰陽師としての地位はなくなってしまいました。しかし関係者や子孫によって土御門神道として受け継がれています。現在は土御門家の領地のあった若狭国(福井県あおい町)に本拠地があり、民間の宗教として活動をしているようです。
アクセス
電車
・嵐電
京福電車・嵐山線(嵐電)嵐山駅下車。徒歩11分。
・JR
京都駅-嵯峨野線・嵯峨嵐山駅下車 徒歩6分
住所 京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町
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