5月5日端午の節句に柏餅とちまきを食べる理由

柏もち

5月5日は端午の節句。こどもの日ですね。

端午の節句に食べるものといえば柏餅(かしわもち)に粽(ちまき)。

でもなぜ5月5日に柏餅やちまきを食べるのでしょうか?

柏餅(かしわもち)と粽(ちまき)。古いのはちまきの方です。

というわけでまずはちまきの由来から紹介します。

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ちまきの由来

ちまきは古代中国で始まりました。

秦の時代以前から旧暦五月は縁起の悪い月といわれました。旧暦五月(現在の6月ごろ)が梅雨時で疫病が流行りやすい時期だったからです。梅雨はもともと中国では霉雨と書かれていて「カビの時期」とされました。

古代人は病気は疫病神や悪霊や悪魔が人体にとりついて憑いているために起こると考えました。そこで5月5日に疫病や悪運を追い出すために様々な工夫をしていました。

端午の節句には菖蒲湯に入ったり、ちまきを食べたり、疫病神を退散させるもの(神様の絵や人形)を飾ったりしました。菖蒲湯に入るのは薬効のある薬草を入れた風呂に入り体を清潔にするとともに体についた厄を洗い落とすという古代人の知恵です。

なぜ5月5日なの?

「端午」の意味は「最初の午の日」。端は「はしっこ、最初」の意味です。

旧暦では月や日にも十二支が割り振られています。五月は「午」の月です。午の月の最初の午の日が端午なのです。

古代には旧暦五月の最初の午の日に厄払いの行事をしていました。でも午の日は年によって移動します。そこで5月の5日に固定されました。

午が五と発音がにてるのと。陰陽説では奇数日は陽数で、陽数が重なる日は縁起がいいから。

他にも1月7日(人日節)、3月3日(上巳節)、5月5日(端午節)、7月7日(七夕節)。9月9日(重陽節)が厄払いの日になりました。

1月1日はもともと正月でお祝いの日。なのでかわりに吉数の7の日が選ばれて1月7日になってます。

中国では○○節と呼んでいるいるのを日本では「○○の節句」といいます。

疫病除けにちまきを食べる

それで古代中国の端午節(旧暦五月五日)には様々な行事の一つとして、疫病よけにちまきを食べるようになりました。

屈原説は間違い

よく雑学本には「古代中国の春秋戦国時代の詩人・屈原が長江に身を投げたから」という話が載ってます。

屈原(くつげん)とは春秋戦国時代の楚の国の人で。秦の策略に騙されそうになった楚王に忠告したものの聞き入れられず、楚の国の将来に絶望して河に入水自殺しました。すると長江に住んでいた鯉が屈原の遺体を屈原の姉が住んでる場所まで引っ張っていき戻ってきました。屈原の遺体をひきとった姉は丁寧に埋葬しました。楚の人々は屈原の命日になると竹の筒に米を入れて川に投げ入れて屈原の例に捧げました。また遺体を運んだ鯉に感謝する意味もあったといいます。

その後、漢の時代になって欧回(おうかい)という人物の前に屈原の霊が現れ、河に投げ入れられる米は河に住む蛟龍に食べられてしまうので、米は蛟龍が嫌いな楝(栴檀:せんだん)の葉で米を包んで五色の糸で結んだ。といいます。

また、屈原の遺体が魚に食べられないように楚の人々が粽子(ちまき)を投げたともいいます。

でもこの話は5~6世紀の南梁の時代ごろに作られた話。

屈原が5月5日に入水自殺したという記録もありませんし。屈原が生きていた時代に粽子(ちまき)はありません。屈原と粽子(ちまき)は関係ないです。

また一節には伍子胥(ごししょ)というこれまた春秋戦国時代の武将の命日が、5月5日だから。という説もあります。これも死後数百年経って民間信仰の中で伝わっている話。どこかの道教教団が作った伝説でしょう。

角黍が始まり?

ちまきを端午に食べる最も古い記録は、3世紀の西晋の時代。東呉地方(現在の江蘇省あたり)で端午に角黍(つのきび)を食べたという記録。

角黍(つのきび)とはもち米を菰葉(まこも)など長い葉っぱで包み灰汁で煮たもの。その形が牛の角に似てるので角黍といいます。灰汁はアルカリ性で殺菌作用があります。角黍は保存食です。

ジメジメした時期に防腐加工したもち米を食べて体力をつけて乗り切ろう。という昔の人の知恵だったのかもしれません。

古くは菰葉で包んでいたようですが、竹や笹、葦、菖蒲など細長い葉で包むようになりました。

日本の「ちまき」

日本には奈良時代に節句の行事とともに日本に伝わったようです。

日本では笹のかわりに千茅(ちがや)で包んでいたので 茅巻き(ちまき)と呼ぶようになりました。昔の日本では千茅は馴染み深い植物でどこにでもあったからです。

御所では笹を使っていたようです。その後、全国に広がると包んでいる葉や、中身も地域によって変化しました。

柏餅は関東圏で広まった

平城京のあった近畿地方では、もち米を固めて白い団子状にしたものがもちいられましたが。

関東圏では餅を包んだもの。笹や千茅の代わりに柏の葉で包んだものが登場しました。それらの習慣があわさり。

江戸時代には端午の節句に柏餅を食べる習慣が庶民にも広がりました。

したがって端午の節句に柏餅を食べるのは関東圏で始まった習慣なのです。

柏の葉が好まれたのは、柏の葉は若芽が出ないと古い葉は落ちないから。子孫繁栄の願いが込められています。

端午節は東アジアに広まりました。内容も地域によって変化して様々なバリエーションがあります。日本では古い形を残したちまきもありますが、柏餅のように日本で独自に進化したものもあるのです。

 

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