源義経が奥州に旅立つ前、源氏再興を祈願した恵比寿様が粟田神社にあります。粟田神社があるのは京都の三条大橋に近い粟田口。
かつて三条大橋は京都の入り口でした。東海道や東山道(中山道)は三条大橋から出発していたからです。
かつて三条大橋にほど近い粟田口は大勢の人々が行き交いました。平家打倒を目指して奥州に向かった源義経もそのひとりです。
その義経が奥州に向かう途中に祈願したエビス様が出世恵比寿神社にあります。現在は出世恵比寿神社は粟田神社の境内にあります。
1月9日から11日の間。出世恵比寿神社ではえびす祭が行われました。
出世えびす祭に行ってきたのでレポートします。
粟田口に近い通りのあちらこちらでみかけるこのポスター。一瞬、大黒様と見間違うようなふくよかな笑顔です。どうやらこちらが出世恵比寿神社にお祀りされているよう出世エビス様のようです。
普段は非公開。出世えびす祭りのときだけ公開されるという超貴重な神像です。神社に神様の像があるのは珍しいですね。これはぜひともお姿を拝見してご利益をわけていただきたいものです。
こちらが三条通りに面する粟田神社参道の入口。
2月15日までは京都十六社朱印めぐりも行ってます。
恵比寿様の前に大国主命を参拝する理由
まずは粟田神社の本殿で神様にご挨拶しました。
粟田神社には沢山の神様がお祀りされています。主祭神の一柱・大巳貴命(おおなむち の みこと)は恵比寿様ともゆかりの深い神様。出世恵比寿社をお参りする前はぜひこちらも参拝しておきたいです。
というのも恵比寿神の父神が大巳貴命だからです。
恵比寿神の正体は事代主(ことしろぬし)。
事代主命の父神は大国主命(おおくにぬしのみこと)。
大国主命は大巳貴命の別名ですから大巳貴命と恵比寿神は親子なのです。
蛭子神なども恵比寿神と呼ばれます。でも恵比寿神の釣り竿を持つ姿は神話で事代主が釣りをしていたことからきています。事代主と恵比寿神は切っても切れない関係なんです。
出世恵比寿神社
本殿にお参りしたあと本殿横の出世恵比寿神社に向かいました。
オレンジの鮮やかなのぼりが目印です。
この旗のむこうに恵比寿神社があります。
シルエットが見えますね。
まさしくポスターにあった恵比寿様です。
釣り竿と鯛を持ち満面の笑みを浮かべています。まさにエビス顔です。
この像がいつ頃造られたのかはよくわかっていません。
神社の伝承によると伝教大師最澄の作とされています。
現在知られている恵比寿様の姿に比べると服装がシンプル。えびす顔といえば満面の笑みというか、にっこりしているのが普通です。大笑いしているのは珍しいです。これは古い時代のえびす像の特徴だそうです。
いずれにしろ現存する日本最古級のエビス像です。
出世恵比寿の由緒
このエビス像はもともと三条蹴上の夷谷に祀られていました。源義経が奥州に行く途中で祈願したのは蹴上にあったときです。
その後、源義経が平氏を打倒したことから、「出世恵比寿」や「門出恵比寿」と言われました。
今から500年くらい前。室町時代に山崩れがあり麓まで流されてきました。それが今の三条恵夷町のあたり。
その後、恵比寿像は青蓮院の金蔵寺に移されました。
明治維新の後、恵比寿像は神仏分離で粟田神社境内に移されました。現在では家運隆昌(家族の運が良くなり栄えること)・商売繁盛の神様として信仰を集めています。
えびす像は限定公開
この恵比寿像は大変古いものなので平成9年に大修理が行われました。修理後の平成10年から期間限定で公開されています。毎年1月9~11日の3日間。十日恵比寿とその前後の期間公開されています。
甘酒もいただきました
出世えびす祭の期間。境内で無料で甘酒もふるまわれていました。
この甘酒が甘くて美味しいかったです。生姜を入れるとおいしいということで少しいれてみました。生姜の風味にくわえて、甘さがより引き立つ感じがしておいしくいただけました。
貴重な恵比寿様の神像を拝見してパワーをいただけた気がします。それに甘酒もおいしかったですね。
まだまだ、知る人ぞ知るえびす祭りなのでそれほど混雑もありません。ゆっくり見ることが出来ます。
毎年1月9~11日に行われているようなので機会があれば行ってみてはいかがでしょうか。
住 所 :京都市東山区粟田口鍛冶町1
公式サイト:粟田神社
アクセス
鍛冶神社に行くのは電車が便利です。
駐車場:境内に数台は止めることができます。えびす祭期間はいっぱいになるので公共交通機関を利用したほうがいいです。
電車
京都市営地下鉄
東西線 東山駅下車 東へ徒歩7分
東西線 蹴上駅下車 西へ徒歩7分
京都市営バス 神宮道バス停下車徒歩5分
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