満濃池は龍神伝説のある日本最大のため池|香川

満濃池

こんにちは、たかふみです。

満濃池に行ってきました。

満濃池は香川県にある農業用としては日本最大のため池です。

ため池なので人間が作ったものです。しかも1300年以上前に作られたものなんですね。その古さと大きさから地元では「龍神の住む池」として人々に親しまれてきました。

満濃池周辺にはちょっとしたご利益スポットもあるので一緒に回ってきました。

満濃池に伝わる龍神伝説もあわせて紹介します。

 

タップできる目次

満濃池(まんのういけ)とは

 

香川県民なら誰でも知ってる満濃池

でも他県の人から見ると「ただのため池でしょ。何が凄いの?」と思うかもしれません。

池の周囲は20km。面積は1.4km2、貯水量は1,540万t。

自然の湖にはこれよりも大きなものはいくらでもありますが、人間が作った灌漑用のため池としては日本最大です。

ダムは現代の技術で川をせき止めて作ったものなので、またちょっと違います。

ため池は大昔の人が土を積み上げて堤防を作って水をためたもの。稲作文化の発展した古代日本ではため池も重要な施設でした。弥生時代からため池を作る文化があったといわれます。

 

満濃池の歴史

香川県は雨が少なく大きな川も湖もないので水不足に悩んでいました。水がなければ米は作れません。そこで昔の人は各地に池を作りました。そのひとつが満濃池です。

飛鳥時代の大宝年間(701~704年)に讃岐守道守が池を作ったのがはじまり。

那珂郡神野郷にあったので神野池と呼ばれました。その後、真野池、万濃池、萬農池と名前がかわりました。正式に満濃池となったは明治になってからです。

818年(弘仁9年)。洪水で決壊しました。大和朝廷は池を修復しようとしますが、あまりにも大きすぎるため修理できません。

百姓泣かせといわれるほど、満濃池の決壊には苦しめられました。

821年(弘仁12年)。唐から帰国した空海が工事の責任者に任命されました。空海の指揮のもと工事は三か月で無事完了。

1184年(元暦1年)。平安時代末期。時代は源平合戦の真っ最中。世の中が混乱していた頃で、池は修復されず放置されました。池の跡地に村ができてしまうほどでした。

1628年(寛永5年)。さすがにこれではまずいと思ったのでしょうか。讃岐国の領主 生駒高俊は 西嶋八兵衛に命令して池を修復させました。3年後に完成しました。

1855年(安政元年)。地震で壊れます。

1871年(明治3年)。豪農・長谷川佐太郎が明治政府に陳情して修復が実現。

以後は決壊していません。昭和になって何度か堤防を高くする工事をしています。

 

満濃池に行って来ました

当日は冬場ということもあり、寒かったです。
日差しもなくどんよりと曇っていました。

冬の満濃池

せっかく来たのに残念。

 

世界かんがい施設遺産って何?

池の周辺にはこんな石碑が建っていました。

「世界かんがい施設遺産」だそうです。

世界灌漑施設遺産

ICID(国際かんがい排水委員会)という国際組織が認定した施設だということです。ICIDのHPは英語なので何を書いているのかわかりません。世界かんがい施設遺産の意義について日本語訳したものが農林水産省のHPにありました。

建設から100年以上経過し、かんがい農業の発展に貢献したもの、卓越した技術により建設されたもの等、歴史的・技術的・社会的価値のあるかんがい施設を登録・表彰するために、世界かんがい施設遺産制度を創設しました。

農林水産省のHP

「世界かんがい施設遺産」はユネスコの世界遺産とは別ですが、世界的にも貴重な施設だと認められたということですね。

農林水産省のHPにしっかり満濃池の写真が載っています。やっぱり凄い池なんですね。

登録を記念する石碑。

石碑の絵があまり日本人ぽくないのはなぜ?

水を抜く所。水が増えると自動的にここから流れる仕組みになってます。溜まりすぎた水が溢れて、池が決壊するのを防ぎます。

満濃池

水の排水口。取水設備ともいいます。

ため池は農業用の水を貯めるための池なので必ず取水口があります。ここから川に水を流して水田に水を取り入れます。逆にいうと取水口のない池はため池とはいいません。ただの貯水池です。

取水口

 

池のなかにある島のようなもの。

満濃池

少しずつ日がさしてきました。

満濃池

 

満濃池の周辺には神野神社と神野寺があります。

神社とお寺をお参りして帰る頃には日がさしてきました。

湖面に映り込む雲。
空と池のグラデーションが素晴らしい!

満濃池

 

冬場にこんなにきれいな景色がみられるなんて!

龍神様のお導きでしょうか?

 

満濃池の龍神

「今昔物語」に満濃池に住む龍の話があります。

今昔物語とは平安時代末期に作られた説話集。世界(天竺(インド)、中国)や日本国内の物語をまとめた本です。

竜王、天狗のために取られたる物語り

今昔物語 巻二十の第一より現代風に意訳。

満濃池

 

昔々、満濃池に龍神が住んでいました。

龍が水底で休んでいると子供の喜ぶ声が聞こえました。龍は声に誘われて水面まで上がり外を見ました。今年は豊作だったので人々が喜んでいました。豊作の香りに満ちた空気を吸って龍は池の外に出たくなりました。人々を驚かさないように蛇の姿に変えて池の堤に出ました。暖かな陽気のあまりの気持ちよさに龍は蛇の姿のまま寝てしまいました。

ところが鳶に姿を変えた天狗が蛇を連れ去ってしまいました。蛇は比良山(現在の滋賀県大津市)の山奥にある洞穴につれてこられてしまいました。

蛇は洞窟から抜け出そうとしましたが蛇の姿では出られません。蛇は水がないと龍の姿には戻れなかったのです。

そこに比叡山(現在の滋賀県大津市)の僧侶が天狗に連れ去られて来ました。僧侶は手を洗う途中でさらわれたため水瓶を持っていました。

蛇は事情を話して僧侶に水を分けてもらいました。水瓶に残っていたわずかの水をもらうと、蛇はもとの龍の姿に戻りました。

龍は僧侶を助けて比叡山に戻したあと、満濃池に戻ってきました。しかし自分をひどい目にあわせた天狗を懲らしめないと気が済みません。

龍は天狗を探しました。すると法師に姿を変えた天狗が京の町を歩いていました。龍は天狗を懲らしめました(もとの話では襲いかかって天狗を殺した事になってます)。

龍は満濃池にもどって静かに暮らしました。

僧侶は龍に助けられたことを人々に語り、龍のためにお経を読みました。そのため龍は長生きしたということです。

満濃池に住む龍は豊作をもたらせてくれる水の神様です。その一方で蛇の姿に変身すると龍の力が使えないという意外な弱点ももってます。蛇の姿で寝ていて天狗に連れ去られてしまうという、ちょっとお間抜けなところもあるのですが。力を取り戻した龍は容赦ありません。龍は天狗を殺してしまいました。現代では殺すという表現がよくないというので「懲らしめる」という表現になってることもありますが。昔話や伝説って残酷な一面もあるんですね。

優しい一面と怖い一面の両方をもっているのが神様なんです。

 

満濃池そのものが龍神?

 

満濃池には龍神がいて怒らせると怖いことはわかりました。でもその龍神は人々を驚かないように気を使ったり、助けてくれた人にはお礼をする礼儀正しい部分もあります。

満濃池の龍神は豊作をもたらす神様だったのかもしれませんね。

満濃池は人が作った池とはいえ、大きさと古さからいつの間にか龍神が住み着いていると考えられるようになったのです。

龍神伝説を思い浮かべながら改めてグーグルMAPで池の姿を見ると、満濃池の形って龍神に似てるような・・・

グーグルMAP

昔から地図を見るたびに何か生き物の形に似てるって思ってたんですよね。

大昔の人が池の形を知っていたかはわかりませんが、これほど大きな池だと何かがいるのかもしれないと思ったのでしょうね。

決壊すると恐ろしいけど、普段はお米を実のらせる水を与えてくれるありがたい存在。そのような満濃池の存在が龍神伝説に繋がったのかもしれませんね。

 

満濃池のアクセス

満濃池の堤防が駐車場になっています。
公共交通機関はありません。

住 所 :香川県仲多度郡まんのう町神野45

駐車場:あり

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