弘法大師空海の祖先が眠る?香色山は神が降臨した山|香川

香色山

四国霊場75番札所 善通寺のおとなりに香色山(こうしきやま)という小さな山があります。

 善通寺に行った人は多いと思いますが、香色山に登ったという人はあまりいないのではないでしょうか?ところがこの香色山。神が降臨したという伝説も残る弥生時代から続く神聖な場所なんですよ。

香色山に行ってまいりました。

香色山は標高は157mとあまり高い山ではありません。でもお椀を伏せたような形をした均整のとれた山です。

険しい山ではないので初心者のハイキングにもピッタリ。

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香色山

香色山に行くには善通寺の西駐車場に車を停めるのが便利です。
駐車場の目の前に五色山がそびえます。

香色山

ちょっと、近すぎて全貌が分かりづらいかもしれませんね。何しろ目の前ですから。車を停めるのにぴったりです。

善通寺の駐車場には香色山の案内があります。

香色山

ミニ四国八十八ヶ所と書かれてますね。

そうなんです。香色山の周囲にはミニ八十八ヶ所があるんです。四国霊場1番から88番に対応した石仏があって、すべてをお参りすると、四国八十八ヶ所をすべて回ったのと同じ御利益があるというもの。

聖地に行けない人のために造られたミニチュアの聖地です。富士山と富士塚の関係に近いです。四国や関西の各地にミニ八十八ヶ所がありますね。

でも今回は山頂に登るのが目的です。ミニ八十八ヶ所はまたの機会にします。

では出発。

駐車場を出て道を渡ると登山道入り口があります。

香色山登山道入り口

香色山の登山道は整備されているので山登りの初心者でも登れますよ。

舗装されたゆるやかな登山道です。

香色山登山道

登山道のまわりには緑の木々が生い茂って真夏でも涼しいです。

道中にはお地蔵様がありました。「延命地蔵」と書かれています。

延命地蔵

 

更に進むと小さなお社があります。稲荷神社の奥宮です。

香色山

現在はふもとに稲荷大明神があります。かつてはこちらにお祀りされていたのでしょうね。

道を戻って登山を続けます。土の道になってきました。このあたりは平坦なので全然つらくありません。

香色山登山道

 

更に進むと、ひらけた場所がありました。

善通寺市の市街地が見下ろせます。いつの間にか高いところまで来てしまいましたね。

善通寺市を望む

ながめがいいですね。一休みしましょう。

山頂に近づくにつれて、道が急になってきます。

香色山登山道

山頂が見えてきました。あともう少しです。

香色山

この階段を登れば山頂です。

山頂に到着です。やりました!

山頂

 

山頂はちょっとしたひらけた場所になっていて、石仏や石碑などが建っています。

 

古代の聖地が残る香色山山頂

香色山は古代から聖地になっていました。
時代は変わってもその時代ごとに大切な場所として守られてきました。

佐伯直遠祖神

まず目についたのは。お墓のような石碑。

佐伯氏遠祖

「佐伯直遠祖神」と書かれています。

佐伯直(さえきのあがた)とは現在の香川県中部、善通寺一帯を治めていた古代の豪族。

佐伯直は弘法大師空海の実家です。奈良時代には佐伯氏はこのあたりの領主になっていました。そんな一族から空海は誕生したんですね。

香色山は佐伯氏の祖先になる神が降臨した場所なんですよ。この石は佐伯氏がこの山を祖先の眠る場所と崇めていた証なのでしょうね。よく見ると石碑の裏には古そうな岩が置かれています。石版に囲まれてよく見えませんがかなり古そうです。

石座(いわくら)かもしれませんね。石座とは神様が降臨する場所です。岩が神様の魂を宿す依代になるんですね。古代には日本各地で山を神と崇める信仰がありました。ここも古代の祭祀の場所なのかもしれません。神がこの岩に降臨したのかもしれません。

神聖な山のふもとに善通寺はあります。善通寺の敷地は空海の生まれ育った佐伯氏の屋敷があった場所です。古代の佐伯氏は山を神を崇め、神様に守られた場所で暮らしていたのでしょうね。

佐伯氏にとってはこの山そのものが御神体だったのかもしれません。

弥生時代のお墓のあと

石碑の近くにはコンクリートで覆われた部分があります。
説明書きには「1号石棺墓」と書かれています。

弥生時代後期のお墓なんです。現在はコンクリートで覆われて隠されていますが。香色山の山頂に石でできた棺があったそうです。古代の有力者のお墓だったみたいです。古墳時代よりもさらに古い時代には山に埋葬する習慣があったのでしょうね。空海の祖先かもしれませんね。

ちなみにコンクリートの上には登ってはいけませんよ。お墓ですからね。この写真は望遠で撮って拡大しています。

香色山1号経塚

お墓の横には、経典を納めた石室があります。「経塚」といいます。香色山1号経塚と呼ばれています。
こちらも現在はコンクリートで覆われています。

経塚

経塚とはお経を埋めた塚のこと。山や神社仏閣などの聖地に穴をほって石室を作り、その中にお経を入れた筒を保管しました。

保管場所と言うより、お経を埋めることそれ時代が神聖な儀式でした。平安時代に広く行われました。平安時代後半は末法思想が流行ってた時代。仏の信仰が廃れる時代が来ると恐れられていました。そこで後世に仏の教えを残そうとお経を保管する場所を造ったのです。

香色山1号経塚は日本でも珍しい2段の経塚。地下1階と地下2階に分かれていました。下の階(古い方)は12世紀前半、上の階(新しい方)は12世紀後半のお経が納められていたようです。いずれも平安時代後期になります。

埋めたのは佐伯一族や善通寺の人たちだと考えられています。佐伯一族は空海だけでなく一族も仏教への信仰が深かったようです。

不動明王・愛染明王の石仏

山頂でもっとも目立つと思われるのがこの石仏。

不動明王

左。剣を持っているのが不動明王。
右。6本の腕があるのが愛染明王です。

江戸時代に西讃岐を治めていた京極氏が建てた石仏です。
石仏の裏には江戸時代に経塚が発見されたときの様子、石仏がつくられたいきさつが書かれています。碑文を見ると寛政壬子秋と書いてあるので1792年にこの石仏はつくられたようです。

京極氏はもともとは近江(滋賀県)の大名。豊臣秀吉の側室・京極竜子の実家です。秀吉の側室 淀君の妹・お初の嫁ぎ先でもあります。京極氏はあちこち移動して江戸時代には京極高和の時代に丸亀藩の藩主になります。京極氏は讃岐の外からきた大名ですが金毘羅さんを信仰したり、地元の神仏を大切にしました。石仏がつくられたのは京極氏の丸亀藩主としては5代目・京極高中の時代です。碑文を書いたのは誕生院の僧正のようです。誕生院というのは現在の善通寺西院。江戸時代までは善通寺と誕生院2つのお寺は別でした。明治時代に合併して善通寺の東院と西院になってます。

石碑

この地を治める人は変わってもずっと香色山は聖地として崇められていたんですね。

真新しいしゃしゃきやろうそくが備えられていました。現在でも信仰は続いているのです。
山頂に来たらぜひ手を合わせておきたいですね。

アクセス

香色山に行くには自動車が便利。
善通寺ICより約5km。車で12分ほど。

駐車場:善通寺駐車場
善通寺駐車場の住所:香川県善通寺市善通寺町1065−1
普通車200円

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